俳句を書きはじめて三年になりました
Ⅰ 今年上梓された3冊の句集
こんばんは。
今日で俳句を書き始めてから3年になりました。
下に貼った記事をお読みいただければ分かると思いますが、1年目、2年目の記事はその年に印象的だったことを時系列で書いていました。
しかし、今年は少し内容を変えて、今年上梓された3冊の句集の感想を書く形で、1年を振り返っていきたいと思います。
1 『アラベスク』
2019年2月24日発行
著者 九堂夜想
出版社 六花書林
去年の10月に「LOTUS」の句会に初めて参加させていただいてから、早くも1年が過ぎました。(そのことに関して何か文章を書こうと思ったのですが、結局何も書けず今日になってしまいました・・・)
その10月、また12月の句会で同人のお一人・九堂さんに相次いでお会いしたときは句集を上梓されるといった話は少しもされていなかったので、今年2月にお送りいただいたときはいきなりのことで驚きました。
そして・・・そのページをひろげてみるとさらに驚きました。「蝶」「蛇」「祖」といった言葉たちが次々に織りなす妖しくも美しい世界がひろがっていたからです。
句集の感想をブログ(下のリンク)に書いたことがきっかけで、4月の批評会にも参加させていただきました。自分一人では考えもしなかった各参加者の解釈に、大いに刺激されました。
『アラベスク』は私が「俳句にとって言葉とは何か」という問題意識を抱く嚆矢となった句集でした。
因みに、批評会は予め各参加者が句集から5句選をしていたのですが、私が選んだのは以下の5句です。
楡よ祖は海より仆れくるものを (P6)
墨界に蝶を釣らんと空し手は (P24)
まなうらを水府と呼べば巫女秋沙(みこあいさ) (P79)
我空とやみな蛇の香に酔いやすし (P89)
祖の道のはたての墨界眼ならん (P105)
そして、このブログを書くにあたって改めて読み返してみると、以下の5句が印象的でした。
ピッコロにのる穀霊と迷い子と (P32)
フリュートや亡し風眼の騎手にして (P46)
死児らふと爪(つか)むや蛇体なす光ゲを(P51)
めくら道つれゆく花のおとうとを (P83)
巫病あゝ月に黒桃みのれるを (P103)
2 『藤原月彦全句集』
2019年7月13日発行
著者 藤原月彦
出版社 六花書林
藤原月彦が上梓した『王権神授説』『貴腐』『盗汗集』『魔都 魔界創世記篇』『魔都 魔性絢爛篇』『魔都 美貌夜行篇』という6冊の句集を1冊にまとめたものです。
去年の2月、大久保の俳句文學館まで藤原月彦の第2句集『貴腐』を読みに行ったことがあります。
そこに収録されていた作品は(『アラベスク』の感想を繰り返すようですが)、非常に幻想的、また耽美的な世界観がありました。『貴腐』から何句かを引いてみます。
夏は闇母より我に征露丸(P51 ページ表記は『藤原月彦全句集』による)
手に足に体内に今日野菊咲く (P53)
赤黄男忌の世界の大部分は雨(P54)
四季尽きて蛇輪廻する廃句かな (P64)
なかんづく日暮は兇器冬の芹 (P91)
釦穴に百合凄惨な美少年 (P96)
情人の虚言癖貴腐葡萄園 (P96)
『貴腐』は1981年刊。その作品と書かれた時代を重ね合わせるような観賞法は個人的にあまり好きではありませんが、それでもいまから約40年前にこのような句が書かれたこと、またそれらが現代に於いてもその鮮やかさを以て読者に衝撃を与え得ることに驚きます。
そして、既に有名なことですが、著者の藤原月彦とは歌人・藤原龍一郎さんの俳号です。藤原さんは現在でも「媚庵」(びあん、フランスの作家ボリス・ヴィアンに因む)の俳号で俳句を書いています。しかし、その作風は「月彦」時代のものとは大きく異なっています。
そのことをはっきりと示すように全句集の帯にはこう書いてあります。
一九七三年、
鮮烈に登場、
六冊の句集を遺し、
駆け抜けていった
俳人の全貌。
世紀末へ向かう
都市から
耽美的なる
世界を創造、
烈しく言葉を
揺さぶり、
常に尖鋭的で
あろうとした軌跡。
「遺し」とあるように、藤原龍一郎さんはいても、藤原月彦は既に「この世にいない」のです。この全句集を読む度に、そのことが無性にさみしくなります。気障を承知で言えば、私は俳句の世界で「藤原月彦」というまぼろしの作家を追い続けているのかも知れません。
最後に、『貴腐』以外の句集から1句ずつ引きます。
親友の遺書未完なり犬歯抜く (P25 『王権神授説』)
錦木やパンパンごつこ縊死ごつこ(P123 『盗汗集』)
向日葵に同性愛の夜幾夜 (P143 『魔都 魔界創世記篇』)
トルソオの邪視栗の花満開に (P180 『魔都 魔性絢爛篇』)
少年忌ニコライ堂の鐘霞む (P240 『魔都 美貌夜行篇』)
3 『俳句詞華集 多行形式百句』
2019年8月25日発行
編著者 林桂
出版社 鬣の会(風の花冠文庫)
この本について書く前に、まず私の多行俳句についての思いを書いておきたいです。
私が「LOTUS」の句会に参加させていただきたいと思ったのは、同人のお一人・酒卷英一郞さんの三行表記俳句「阿哆喇句祠亞 ataraxia」(アタラクシア)に惹かれたからです。それから約1年、無論酒卷さんの句の猿真似の域を出ていませんが、句会の度に三行表記の句を投句出来たことは良かったです。『LOTUS』最新号(第43号)から、酒卷さんの句を何句か引きます。
山海經の
天狗を撫でて
春の夜で
羽衣を
手に盗りたれば
鬱の香が
朝影を
花に隱れて
待ち伏せり
酒卷さんは下のウェブサイトのインタビューで、「俳句には『一行で立つ』という言い方がありますが、比喩的に言うと多行俳句はそれを横に寝かせちゃうわけです。」と仰っています。
私は「惹かれた」と書いておきながら、酒卷さんの句の魅力を上手に説明出来ません。しかし、このインタビューの「横に寝かせちゃう」という比喩は、私が酒卷さんの句をはじめとした多行俳句を読むときの大きな助けになっています。さらに言えば、インタビューで酒卷さんはこの比喩をどちらかと言うとネガティブな文脈で仰っていますが、私はポジティブな印象を受けました。
俳句が「一行で立つ」ということは、人間で例えるなら二本の足で垂直に立つことです。そうすると人間の体には支点が生まれます。そして、ここからが重要なのですが、現在、私の知り得る限り殆どの俳句が「俳」という概念ではなく「季語」を支点にしています。つまり、いま私たちが「俳句」と呼んでいるのは「季語句」なのではないのでしょうか。忌憚なく言えば、季語を使って日常や境涯を「詠む」句の何処に「俳」があるのか、また何処に言葉の美しさがあるのかと疑問に思ってしまいます。
しかし、多行によって俳句を「横に寝かせる」ことで、句のなかの言葉どうしは等価値になる可能性が増え、季語に比重がかかる可能性が減ります。そして、それぞれの行間で言葉どうしはぶつかり合い、一行では見えなかった美しさが見えます。そして、そこから「俳」という概念が見えてきます。
このような私の多行俳句への観測は理想論かも知れません。しかし、多行俳句イコール高柳重信という認識を変えたいとは強く思います。さらに言えば、多行俳句は過去のものであるという認識も変えたいと思います。多行俳句は、いまの俳句作家の大多数に考えられているより可能性が多くあると考えます。
・・・と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、そのような自分にとって、この『多行形式百句』は、多行俳句の歴史を俯瞰・敷衍する意味に於いて非常に重要なアンソロジーだと思います。
最後に、アンソロジーから特に印象的だった句を引きます。
船燒き捨てし
船長は
泳ぐかな 高柳重信 (P6)
ふりかへる
長き尾が欲し
枯野驛 大岡頌司 (P23)
弟(おとうと)よ
相模(さがみ)は
海(うみ)と
著莪(しやが)の雨(あめ) 重信 (P27)
森羅
しみじみ
萬象
一個の桃にあり 折笠美秋 (P33)
他にも様々な句集や俳誌を読みましたが、自分にとって大きな影響を受けた句集を挙げるなら、これらの3冊になります。
Ⅱ 来年への展望
そして、これらの3冊の句集から、いまの自分が俳句によって表現したいものが、一行表記であれ三行表記であれ、現実ではなく言葉の世界にあるということを改めて強く感じました。
先に『多行形式百句』の感想で、「現在の多くの俳句はその支点を『俳』という概念ではなく季語にしている」という部分で図らずも熱くなってしまいましたが、考え自体は間違っていないと思います。俳句という短い詩だからこそ、言葉の持つ力を最大限に活かせるのではないでしょうか。
富澤赤黃男の「蝶はまさに<蝶>であるが、<その蝶>ではない。」(『クロノスの舌』)という有名な言葉があります。赤黃男のこの言葉を、私は季語としての「蝶」から詩語としての「蝶」への進化(或いは深化)を促す言葉だと考えています。
例えば、私がいま関心のあるのは、俳句に於ける「父」「母」「兄」「姉」といった言葉の読み方を変えることです。何故ならこれらの言葉は、あまりに多く実在の「父」や「母」と同一視され読まれているからです。実在するかどうかに関わらず、「父」「母」としか表現できない世界観があると思います。赤黃男に倣って言えば、「父はまさに<父>であるが、<その父>ではない。」とでもなるでしょうか。俳句のなかで、詩語としての「父」「母」等の可能性をひろげていきたいです。そしてそこから、(これも『多行形式百句』の感想で書きましたが)「季語を使って日常や境涯を『詠む』句」の変化につなげていきたいです。
最後に、先日古書店で買った『飯島晴子全句集』(2002年 富士見書房)の帯に書かれていた言葉に衝撃を受けたので、その熱気の冷めやらぬうちに書き留めておきたいです。
言葉の向うに、言葉を通して、現実にはない或る一つの時空が顕つかどうかというのが、一句の決め手である。究極のところ、その一句が或る世界を見る方向へ向いていなければ、無意識のうちにそういう希求がなければ、何も書かれたことにはならない。天然自然に生きている時々の断片など、いくら花びらのようにたくさん降って来ようと、この生きていることの退屈を、生きてある手応えへと転換してはくれない。 飯島晴子
何だか大それたことを書いてしまった気もしますが、飯島晴子の言葉も含め、このようなことを来年の展望としたいです。