あたまのなかで

よろしくお願いします。神経症患者としてではなく、ひとりの人間として。俳句が好きです。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryuji_haiku)

診察記録 2019年3月・4月 ~その他、近況報告~


こんばんは。っていうか、お久しぶりです。

 

なるべくブログは頻繫に更新しようと思っているのですが、前回の更新から1ヶ月以上も過ぎてしまいました m(_ _)m

 

今回は3月・4月の診察記録を中心に近況を書いていきたいと思います。

 

・3月6日(水) 埼玉医科大学病院へ診察

 

診察のことを書く前に、前の仕事を辞めたあとの様子について書こうと思います。

 

2月28日付けで、前の仕事を辞めました。また、その少し前の2月20日に大宮年金事務所で障害者年金の申請をしました。

 

それらのことは下の記事に詳しく書いてあるので、よければお読みください m(_ _)m

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2019/02/21/164111

 

この記事の終わりのほうで、「新しくアルバイトを探すか、このまましばらくアルバイトを休むか」ということをいま迷っている、と私は書きました。

 

でも、結果的にまた新しい仕事を探すことにしました。

 

そして、2月下旬に警備員として採用されました。

 

実は、過去にも警備員のアルバイトの面接を受けたのですが、精神疾患を理由に断られてしまったことがあります。

そのこともあり採用してもらえるか不安だったのですが、今回の面接の担当者は私が精神疾患を抱えているというだけで断りはせず、丁寧に話を聞いてくれました。

 

というわけでいまは、隣の市にある物流倉庫で警備員として働いています。

 

3月6日の診察日は、昨日まで3日間あった本社での研修が終わり、翌日から実際に物流倉庫で働き始めるというちょうど間の日でした。

 

そのため、正直に言えば、自分の病気のことより仕事で覚えなくちゃいけないことで頭がいっぱいでした(笑)

でも、こうした状況は、いままでの何をしていても気分の落ち込みや体調不良になることが多かった状況と比べると、そうした心身の不調があまり現れず仕事について意識が集中出来ているということですから、良い状況と言えます。

 

そのため、診察でも「心身の体調不良はあまりありません。それよりも仕事で覚えることが多くて頭がいっぱいです」と正直に先生に言いました。

先生は少し驚いたようですが、私の新しい仕事が決まったことを喜んでくださいました。嬉しかったです。

 

・4月3日(水) 埼玉医科大学病院へ診察

 

物流倉庫で働き始めてから約1ヶ月後のこの日、診察に行ってきました。

 

先に「本社での研修」と書きましたが、さらに言えばその後物流倉庫で働き始めてからも、約1ヶ月は研修期間として先輩の警備員の方と常に行動を共にしながら仕事(入り口・出口の警備、倉庫の巡回等)を覚えていきました。

 

つまり、4月の診察はその約1ヶ月の研修期間がもうすぐ終わるときにありました。

 

約1ヶ月の研修期間が終わろうとしたとき、私のなかには「なんとか続けられそうかな」という思いがありました。

 

そして、診察では「心身の体調不良は、前回の診察からもあまりありません。警備員の仕事ですが、続けられそうです」とやはり正直に言いました。このときも先生からは喜んでいただきました。

 

・現在の状況

 

というわけで現在は、1ヶ月の研修期間が終わり、「一人立ち」をし始めたという状況です。

 

私が働く物流倉庫では、基本的に警備員の仕事は時間ごとにルーティンで回っています。そのため、先に書いた入り口・出口の警備、倉庫の巡回等は一人で行います。

 

最初の頃はその時間に一人しかいないことへの不安がありましたが、いまは仕事さえしっかりしていれば周りからは何も言われないという気楽さのようなものに変わりつつあります。

また、先輩の警備員の皆さんが「一人立ちしたあとも、分からないことは質問してね」と言ってくれることも安心感につながっています。

 

正直、大変なこともあります。また神経症への不安も無くなったわけではありません。それでも、出来るだけ(少なくとも、障害者年金の申請結果がわかるまでは)仕事を続けたいと思います。

 

最後に、現在の薬の状況です。

抗不安剤 ロラゼパム錠「サワイ」 0.5mg 1日4回
睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
抗不安剤 レキソタン錠5 5mg 不安時

 

ちなみに、4月の診察でレキソタンの処方を失くせないか」という話をしたので、いまはそれに向けても頑張っています。

 

次回の診察は5月1日(水)です。

 

岡上淑子の作品についての3つの印象


1

 

3月14日(水)に、東京都庭園美術館で開催されている展覧会岡上淑子 沈黙の奇蹟」に行ってきた。

 

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展覧会の公式サイト→(https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190126-0407_okanoue.html

 

岡上淑子はコラージュ作家である。彼女の名前を私が初めて知ったのは、昨年に彼女の出身地である高知県で開催された個展についてインターネットで観たときだった。
岡上のコラージュ作品について、私がまず印象的だったのは、その発想の自由さであった。
例えば、今回観た展覧会の公式ガイドブックの表紙にもなっている「夜間訪問」という作品でも、その自由さはお分かりいただけると思う。

 

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頭部が扇になっているドレス姿の女性が中心に置かれている。女性の背景はヨーロッパ風の大きな城を臨む街並みのシルエットであり、女性は宙に浮かんでいるように見える。そして、その女性を取り囲むように蝙蝠傘が何本も開いている・・・。
写真とは、端的に言えば現実を前面に押し出した表現である。現実には意味が付随する。
しかし、岡上はそれらの写真をバラバラにして意味を解き放つ。そして、意味ではないものによってもう一度それらの写真の断片をつなぎ合わせて、非現実を、幻想を前面に押し出した表現に変える。
扇も、ヨーロッパの街並みも、蝙蝠傘も、そしてなにより中心に置かれたドレスの女性も、岡上の作品のなかでは機能や目的といった意味を持たない。これらは、みな美しいかたちそのものとして作品に置かれている。
このような岡上の作品の、元の写真の存在を忘れさせるような発想の自由さは、私にとってまず印象的であった。

 

2

 

次に私が印象的だったのは、作品に使用されている元の写真にモノクロのものが多いことだ。これは、彼女の生まれ育った時代と関係している。
岡上は1928年に高知県で生まれている。その後、1950年に文化学院デザイン科に入学したことを端緒に、コラージュ作品を作るようになる。そのため、彼女の作品の元の写真は、1950年代の『LIFE』や『VOGUE』等、海外の雑誌に掲載されていたモノクロのものが多いのだ。
しかし、私はこうしたモノクロの写真の多さを、単なる時代背景のみで結論付けたくはない。さらに言えば、岡上はモノクロの写真を使って作品をつくることで、作品にある大きな要素を与えていたと思う。
その要素とは、世界観の統一である。これは、先に書いた「発想の自由さ」と矛盾しているように聞こえるかも知れない。しかし、決してそうではない。
岡上は元の写真の断片の多様性から、さらに多様性のある作品をつくっていき、それが自由な世界観へとつながっていった。
しかし、その自由さは即ち楽しさ、やわらかさとして通じるものではない。寧ろ、彼女の作品の世界観はそれぞれの写真の断片の意味から解き放たれた自由さが、一つの作品のなかでガツンガツンとぶつかり合っているようである。
それは、自由というより混沌に近いかも知れない。例えば、岡上の作品がカラーだったらどうだろうと考える。先に取り上げた「夜間訪問」の扇やドレス、蝙蝠傘に色がついていとしたら。
恐らく、作品のなかの色は鑑賞者にとって非常に乱雑に映り、岡上の思い描く世界観を共有する、或いは鑑賞者のなかで広げていくことは難しいだろう。まさに鑑賞者は自由より混沌を感じてしまう。
つまりそうしたことを防ぐために、先に書いたような、意味から取り除かれた写真の断片の自由さを守るために、岡上はモノクロという世界観の統一を行ったのである。
このような世界観の統一により、岡上の作品には自由と緊張との非常に微妙なバランスが生まれている。彼女の美意識の高さを強く感じる。

 

3

 

岡上の作品について私が最後に印象的だったのは、女性が大きなモティーフとなっているものが多いことだ。例えば「夜間訪問」も、ドレス姿の女性が中心に大きく置かれている。
また、岡上の作品に於ける女性の多くからは、堂々とした印象を受ける。そしてそれは、単純に正義につながるものではなく、寧ろ人間の黒い部分が幻想的な美しさを伴って表現されていると思う。例えば「懺悔室の展望」という作品では、砂漠に髑髏が群がり、その砂漠のさらに遠くにはイエス・キリストらしき人物が立っている光景を、カーテンの付いた窓から笑って眺める二人の女性が描かれている。また、「とらわれ人」という作品では、ベルリンの壁を思わせる長い壁でうなだれている人々の列を前に、全裸の、そして頭部が鎖になっている女性が踊っているように立っている。この作品の女性は堂々としているというよりはエロティックであるというべきだろう。
そして、このような岡上の作品に於ける女性について考える上では、彼女自身の境涯についても触れざるを得ない。
先に書いたように、岡上は1928年に高知県で生まれている。その後、1950年からコラージュ作品を作るようになる。
しかし、1957年に画家・藤野一友と結婚して以降、現在までコラージュの製作から離れている。(因みに藤野とは1967年に離婚。岡上は母と息子とともに東京都から高知県に転居し、現在もそこに住む)
つまり、今回の個展に出品された約150点の作品は、全て岡上が22歳から29歳までの約7年間につくられたものである。
また、今回のような大規模な個展が開催されるようになった端緒は2000年の岡上淑子 フォト・コラージュ —夢のしずく—」(東京・第一生命南ギャラリー)だが、それは1956年以来44年ぶりに開催された個展であった。
こうした事実をもとに、岡上がコラージュの製作を止めた理由を推測したり、所謂「忘れられた作家」であったことを嘆いたりすることは出来るだろう。また、そのことが岡上の作家としての評価につながる部分もあるだろう。
しかし、敢えて言えばそうした岡上の境涯、言い換えるなら「物語性」のようなものを前提として彼女の作品に触れることを私は好まない。
確かに、岡上にとってコラージュの製作は何か救いになるものであったろう。また、その製作を止めた苦しさもあったろう。しかし、これまで述べてきたような岡上の幻想的な作品を前にすると、彼女がそうした個人的なことに重きを置いて製作していたとは私はどうしても思えないのだ。

 

4


「小説のなかにある言葉は、辞書のなかにある言葉よりも美しくなければならない」といった言葉を聞いたことがある。芥川龍之介の言葉だったろうか。岡上のコラージュ作品を観たとき、またその後に彼女の境涯を知ったとき、私はこの言葉を思い出した。
つまり、岡上のコラージュ作品のなかの写真は、雑誌の写真より美しくなければならないと思う。芥川の言葉の「辞書」に象徴されているのは、やはり機能や目的や意味といったものであり、それらは雑誌の写真にも存在する要素だと思う。そうした機能や目的や意味は社会を円滑に進める反面、個人にしがらみを強いてしまうものでもある。岡上は、そうしたしがらみに対して、コラージュの製作という非常に優雅な方法で復讐を試みたのではないだろうか。
岡上の作品での堂々とした、エロティックな、人間の黒い部分を見せる女性たちは、岡上個人の救済と希望のみを表現しているのではない。寧ろ個人を超えて、或いは一過性のイデオロギーを超えて女性というものの本来的な救済と希望を表現していると思う。それは、とても大きな表現である。だからこそ、岡上の作品は長きにわたってその鮮烈な美しさを保っているのだ。
最後に、公式ガイドブックに掲載されている岡上の言葉を引いて筆を擱く。

 

日常の生活を平凡に掃き返す私の指から、ふと生まれましたコラージュ。コラージュ—他人の作品の拝借。鋏と少しばかりの糊。芸術・・・・・・芸術と申せば何んと軽やかな、そして何んと厚かましい純粋さでしょう。ただ私はコラージュが其の冷静な解放の影に、幾分の嘲笑を込めた歌としてではなく、その偶然の拘束のうえに、意志の象を拓くことを願うのです。

 

 

九堂夜想試論 ~前回の文章の欠点から~


1 自慢話のような前置き

 

前回、このブログに「九堂夜想句集『アラベスク』を読む」という文章を書いた。

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2019/02/24/231148

 

著者の九堂氏自ら私に句集をお送りいただいたこともあり、そのお礼代わりとして感想を書いた。「本人に読んでいただけたら嬉しい」と思っていた。

 

しかし、そのブログを書いたあとの九堂氏からの反応が嬉しかった。まず、読んでいただいたどころか、私の「ブログを更新した」という旨のツイートに「いいね」を押され、リツイートもしていただいた。

 

また、今日起きてパソコンを点けると、九堂氏がTwitterのみならず、Facebookにも私のブログのリンクを貼っていただいたことを知った。

 

そしてそのFacebookのコメント欄には、俳句作家であり『豈』同人の堀本吟氏からのコメントが寄せられていた。

 

このように、九堂氏と堀本氏から丁寧な反応をしていただき、私は「ブログを更新して良かった」と強く思った。

 

2 私の『アラベスク』の感想の欠点

 

―と、ここまでお読みいただいた方は、「自慢話じゃないか」としか思わないだろう。仰る通りである。私が逆の立場でもそうとしか思わない。

 

だから、このように「九堂氏と堀本氏から丁寧な対応をしていただいた」とわざわざ自慢するのは、拙稿をブログにアップするより恥ずかしいことである。

 

それを踏まえた上で、どうしてこのような文章を書いているのかと訊かれたら、「私がひねくれた性格だからです」と答える。

 

ひねくれた性格―つまり、私は今回のように自分の文章を他人から褒められたりすると、反比例するように自分の文章の欠点を探してしまうのだ。

 

この稿でこれから本題として述べるのは、無論『アラベスク』の感想の欠点である。その欠点とは、次のようなものである。以下、前回の文章から引く。

 

九堂の「海程」同人としての作品で、私の手元にある最も古いものは『海程多摩』第八集(2009年)に寄せている「墨界」20句である。以下、1句目から10句目までを引く。

萍や古人(いにしえびと)と徒人(ただびと)と
さかしまに湖は立つらし告天子
常おとめ野の一切はうたわずに
蛇ひそと風は面をあげにけり
月朧あれ画かれたる顔ならん
ときしらず他界の火事のとよむかな
墨界に蝶を釣らんと空し手は
諸がえり日は血脈を濁らせつ
鳥過ぎて野には呻めく石柱

一読、聞き慣れない言葉が並ぶ。「徒人」(普通の人、常人、天皇・皇后に対する臣下の称、官位の低い人、僧でない人、俗人)、「常おとめ」(とこしえに若々しい女、いつも変わらぬ若々しい少女)、「墨界」(料紙に墨で引いたり墨色に刷ったりした罫線)等々・・・。九堂の句を知ってから、私は電子辞書を広げる回数が増えた。

 

また、句のなかの季語も古さを感じさせる言い回しが目立つ。「告天子」(雲雀の別名)、「ときしらず」(キンセンカの別名)、「諸がえり」(生後3年を経た鷹。あおたかとも言う)等々・・・。

 

つまり、前回の文章のなかで私は、俳句のなかの言葉を解説することで、それを意味の領域まで落としてしまっているのだ。

 

例えば、「徒人」「常おとめ」という言葉から、読者はそれぞれに自由なイメージを持っていいと思う。それを「普通の人」、「とこしえに若々しい女」と解説されると、読者の想像はそこで止まってしまう。


尊大な言い方になるが、感想を書くということは著者と読者をつなぐ中間点になるということである。つまり、私のブログを読んで「『アラベスク』を読んでみたい」と思ってもらえることが重要である。

 

そのように考えると、私が九堂氏の俳句の言葉の意味を解説したことは非常に野暮であったと思う。

 

さらに言えば、私も九堂氏の句からその意味を知った言葉がある。例えば「墨界」がそうだ。「料紙に墨で引いたり墨色に刷ったりした罫線」という意味の言葉だが、私はそれまで文字の並び通り「墨の世界」をイメージしていた。そして、「墨の世界」は「言葉の世界」「本の世界」へとそのイメージを変えていった。


それは私にとって非常に楽しかった。いま「墨界」の正しい意味を知っても、そうした楽しいイメージは私のなかで持続させようと思う。

 

九堂氏の俳句を読む上で非常に重要なのに、前回の文章で書き忘れたことがある。それは、「九堂氏の俳句は意味を考えるのではなく、イメージを感じる句である」ということだ。

例えば、先に「墨界」という言葉について触れたが、『アラベスク』には

 

墨界に蝶を釣らんと空し手は

 

という句が収録されている。掲句から、私はこんな光景をイメージした。飽くまでも私のイメージである。

 

「墨界」とは、言葉の世界であり、本の世界である。理性の世界と言い換えても良い。森のように、或いは海のように言葉が満ちているその世界を、一頭の蝶が渡ってゆく。蝶は美しい。自分はその蝶を捕まえようと釣り糸を垂らすが、(そう、俳句の光景が意味ではなくイメージであるなら、蝶もおよぐ)なかなか捕まえられない。そのうち、蝶は理性の世界を離れ、本能のままにどこかへ過ぎてしまう。残された釣り糸のさびしさ、終(つい)に理性の世界を抜け出せなかった自分のさびしさが「空し手」という言葉に象徴的に表れている。

 

―だいたいこのような光景である。「墨界」という言葉の正しい意味は疎か、蝶がいるのはどのような場所かもはっきりとは分からない。しかし、正直に言えば個人的に気に入っている解釈である。

 

3 九堂氏の俳句に於ける言葉の解放

 

前回の文章で、私は九堂氏の

 

蝶や果つなべて旅人算の外(げ)に

 

という句を例に、「九堂の句の世界では、『蝶』や『蛇』は悉く季語の桎梏から解放される。」と書いた。

 

しかし、いま改めて『アラベスク』、また『LOTUS』を読むと、九堂氏は季語どころか言葉それ自体を意味の桎梏から解放しようとしていることが分かる。前回の文章で九堂氏の句について「聞き慣れない言葉が並ぶ」「季語も古さを感じさせる言い回しが目立つ」と書いたが、それは言葉から日常性を取り除き、意味の桎梏から解放させるための術なのだろう。

 

前回の文章で、図らずも「言葉の意味の解説」という野暮なことをしてしまったが、それでも九堂氏の句には、自由にイメージを感じられる言葉がまだ沢山ある。

 

試しに『アラベスク』からアトランダムに引けば、以下のようになる。

 

天泣の鳥トルソーを嬲らんと
日あらぬ海には海の破墨とや
寂声をふいに天道ぼこりの蝶
虹や落つ紫都は何々してあそぶ
妹這うや硯に立てる天眼を
リュートや亡し風眼の騎手にして
狐窓しずと菊の香とどまれる
まむしゆび月の脂を啜らんか
鳥食やつとに毬(があが)を咥えては
めくら道つれゆく花のおとうとを

 

「天泣」「破墨」「寂声」「紫都」・・・。もう先のような野暮なことは行わない。これらの言葉から、読者はどのようなイメージを広げるだろうか。

 

このような九堂氏の言葉の使い方は、いまの私にとってひとつの憧れである。どうしても一句のなかで言葉の意味に囚われ(それは季語に限ったことではない)、その先のイメージも意味を抜け出させないからだ。

 

そして、そうした言葉の自由なイメージによって、前回の文章で書いた、百鬼夜行絵巻を広げるような、或いはボルヘス「砂の本」を広げるような、始まりも終わりも無い世界を多くの人に楽しんでほしい。

 

 

九堂夜想句集『アラベスク』を読む

 

九堂夜想の句集アラベスクが、今月六花書林より上梓された。

 

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私と九堂とは、これまでに彼が同人として参加している「LOTUS」の句会に於いて昨年10月と12月の2回会ったに過ぎない。しかし、幸運にも彼自ら句集を謹呈していただいた。非常にありがたく思う。

 

Ⅰ 九堂夜想を知ったきっかけ

 

そもそも九堂を知ったのは、現在私が所属している俳句結社「海原」の前進であった「海程」(主宰・金子兜太の逝去に伴い、昨年7月で終刊)に、彼がかつて所属していたからである。

 

私が九堂を知ったとき、既に彼の作風は「海程」のなかで異端とも言うべきものだった。九堂の「海程」同人としての作品で、私の手元にある最も古いものは『海程多摩』第八集(2009年)に寄せている「墨界」20句である。以下、1句目から10句目までを引く。

 

萍や古人(いにしえびと)と徒人(ただびと)と
さかしまに湖は立つらし告天子
常おとめ野の一切はうたわずに
蛇ひそと風は面をあげにけり
月朧あれ画かれたる顔ならん
ときしらず他界の火事のとよむかな
墨界に蝶を釣らんと空し手は
諸がえり日は血脈を濁らせつ
鳥過ぎて野には呻めく石柱

 

一読、聞き慣れない言葉が並ぶ。「徒人」(普通の人、常人、天皇・皇后に対する臣下の称、官位の低い人、僧でない人、俗人)、「常おとめ」(とこしえに若々しい女、いつも変わらぬ若々しい少女)、「墨界」(料紙に墨で引いたり墨色に刷ったりした罫線)等々・・・。九堂の句を知ってから、私は電子辞書を広げる回数が増えた。


また、句のなかの季語も古さを感じさせる言い回しが目立つ。「告天子」(雲雀の別名)、「ときしらず」(キンセンカの別名)、「諸がえり」(生後3年を経た鷹。あおたかとも言う)等々・・・。

 

現実世界のあれこれには見向きもせず、ひたすら言葉によって妖しく美しいイメージを作り出していく。そんな九堂の俳句に私は圧倒された。以来、私は出来るだけ多くの九堂の句を読もうと心掛けた。

 

先に書いたように九堂は「LOTUS」に参加しているが、さらに詳しく言えば、彼は2004年の創刊以来の同人である。

そして、彼は句歴を重ねるごとに作品・評論の発表の場の重きを「海程」から「LOTUS」に移していった。九堂がいつ「海程」を退会したのか具体的には分からないが、彼は『海程多摩』第十二集(2013年)にも「神遣う」20句を寄せているから、この年まで「海程」同人だったことは間違いない。いずれにしても現在の「海原」に参加していないことは確かである。

 

そのため、九堂の俳句は「海程」より「LOTUS」で書かれていったと言うほうが適切だろう。

 

Ⅱ 『アラベスク』の感想の書きづらさ

 

ここまでの長い前置きを終え、ようやく『アラベスク』の感想を書いていきたいのだが、忌憚なく言えば『アラベスク』は非常に感想を書きづらい句集である。

 

誤解のないように付け加えれば、その理由は九堂の句のレベルの低さにあるのではない。寧ろ、その理由は九堂の作風の強固なオリジナリティにある。

 

端的に言えば『アラベスク』は、というより、「LOTUS」で近年発表されている九堂の句は一句で完結するものではない。

 

例えば、『LOTUS』最新号(第41号)に九堂は「天鏡」18句を寄せている。そのなかから何句かを抄出する。

 

天鏡にひそむ蠍の神ごえや

空井戸や言葉か砂か興りつつ

風やまた砂を繰らんと大鷹は

蝶を食む子のまなうらに砂丘あれ

叛きゆく大鷹終わりなき問いを

 

このように「天」「鷹」「蝶」「砂」といった言葉を繰り返し用いている。

 

また、その第41号では

 

さすらいの天深くして祖語や蛇

 

第40号(「遊部」20句)では

 

天庭を蛇およぐみな巫病とぞ

 

といったように、『LOTUS』を何冊か通して読めば「蛇」という言葉をやはり多く用いている。『アラベスク』を通読して、特に多く用いていると思った言葉は「蝶」「蛇」、それから「鳥」であった。

このような同じ言葉の頻出によって、九堂は一句を超えた大きな俳句の世界を作ろうとしている。

 

その大きな世界とは、先に書いたような現実世界のあれこれには見向きもしない世界である。寧ろ九堂は、あの世、彼岸、他界といった我々が生きているうちには垣間見ることすら叶わない世界に目を向けているようだ。


それらを考えると、九堂の句を読むことは絵巻物を広げることに似ている。百鬼夜行絵巻のなかで繰り返し画かれる、日没と共に現れ夜明けと共に消える鬼神の姿と、九堂の句の「蝶」「蛇」「鳥」の姿は重なる。そう言えば、『アラベスク』には

 

日ふかく化人の尻を吸う蝶ら

 

という句も収められている。

 

また、そうした九堂の句の世界では、「蝶」や「蛇」は悉く季語の桎梏から解放される。これはおそらく『アラベスク』には収められていないが、

 

蝶や果つなべて旅人算の外(げ)に

 

という句がある。(『LOTUS』第41号収録)掲句の「蝶」を、私は既に死んでいる蝶と解釈した。また、「旅人算」に象徴されているのは、どちらが先でどちらが後、どちらが速くてどちらが遅い、牽いてはどちらが優れていてどちらが劣っているかといったこの世の様々なつまらぬしがらみだと思う。しかし、掲句の死んだ「蝶」はそのようなしがらみから「なべて」「外に」飛んで行ける。先を飛んでいたかと思えば後ろを飛び、現れたと思えば消える、そんな何匹もの蝶の姿を想像する。


そして、考え方によっては季語もそのようなしがらみのひとつではないだろうか。どの季節に飛んでいても、或いは生きていても死んでいても、「蝶」は「蝶」。蝶を春の季語に限定し、夏の蝶、秋の蝶、冬の蝶・・・と注釈のように書かなければいけないことは、ナンセンスとも言える。

掲句からは、季語の桎梏から解放された「蝶」のたましいとも呼びたい姿が感じられる。

 

富澤赤黃男の有名な言葉に

 

蝶はまさに〈蝶〉であるが、その〈蝶〉ではない。(「クロノスの舌」)

 

というものがあるが、掲句は赤黃男の言葉を実作によって示したのではないか。

 

アラベスク』の特長の一つとして、そうして絵巻物を広げるように蝶の姿や蛇の姿、鳥の姿を追っていく句集ということが言える。

 

Ⅲ 『アラベスク』という「砂の本」

 

アラベスク』は全部で3章に分かれている句集である。また、章ごとのタイトルはなく簡素に「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」と振られているのみだ。そして、その3章のなかを先に書いたように「蝶」「蛇」「鳥」が繰り返し現れる。


これは、卑近なことを言ってしまえば、非常にある一句を探すことが困難である。しかし、読み進めていくうちに、この私が感じた困難さこそ九堂が『アラベスク』という句集で表現したかったことなのではないかと考えるようになった。

 

「詩客」というウェブサイトの「私の好きな詩人」というコーナーで、昨年2月に九堂はエドモン・ジャベスいう詩人を取り上げている。
https://blog.goo.ne.jp/sikyakuesse/e/c3692a929b9c79c7e78a9d716cd1e5ee)その書き出しの文を引く。

 

ボルヘスの掌編「砂の本」に出てくる書物は、魅惑的で、かつ恐るべき存在である。布製の、一見してさほど厚いとも思えない古びた八折り判の本だが、異様に重い。普通に開くことはできる。だが、表紙があるにもかかわらず、なぜか一頁目が開けない。同様に最終頁も見出せない。始まりも終わりもなく、書物自体が次々とあらたな頁を生み出し(あるページには九乗の頁数が!)、本を開くたびに、言葉が、文章が、流れるように変容する。そして、ひとたび本を閉じたが最後、二度と同じ頁を繰ることはできない。

 

そして、九堂はこの面妖な「砂の本」について、さらに以下のように述べている。

 

まさに、砂のごとく、サラサラと絶え間ない遊動性をはらむ、ある意味で〈無限〉を体現したような本だが、これを読んで、ふと似たようなイメージの書物が脳裡に浮かんだものである。句集である。
五七五・一行・棒書きの、砂粒のようなフラジャイルな一句一句がまとめられた一巻の在りようは、さすがに記されたテクスト自体は変わらないものの、初読から時を経てあらたに頁を開くたびに、その都度あたらしい感懐や発見、創造の契機を読み手に与えてくれる(あくまで中身の充実した良質なものに限られるが)。

 

その後、九堂は実際に「砂の本」と呼べるような詩を書いた詩人として、ジャベスの名を挙げている。九堂にとってはジャベスについての記述が重要なのだろうが、私は寧ろボルヘスの「砂の本」そのものに惹かれてしまった。

 

つまり、九堂にとって『アラベスク』の3章に繰り返し現れる「蝶」「蛇」「鳥」の存在は、その絵巻物のような世界を具現化することと同じくらい、「砂の本」を具現化することに於いて重要だったのである。このことも『アラベスク』の特長である。

 

先に私は

 

蝶や果つなべて旅人算の外(げ)に

 

という句を、「おそらく『アラベスク』には収められていないが」と断った上で取り上げた。

 

そう、「おそらく」なのだ。正直に言えば、私は掲句が「『アラベスク』のどこかの頁に収められていたのではないか?」という疑問を捨てきれずにいる。いま、この稿を書くにあたって、句集を読み返したが見つからなかった。

 

しかし、掲句はあるとき『アラベスク』のなかで見つかるかも知れない。またしかし、それと同様にある句が『アラベスク』から消えてしまうかも知れない。

 

掲句が『アラベスク』から消えたとき、私は「『アラベスク』に仕掛けられた罠にまんまと嵌ってしまったなぁ」と思った。無論、非常に嬉しかった。

 

アラベスク』のなかの「蝶」「蛇」「鳥」のどれかが動き出したら気を付けたほうがいい。それは、九堂が著したこの「砂の本」に足元を掬われ始めているということだから。無論、気を付けたところで無駄であり、最後はそれを快楽とすら感じるようになるのだが―。

 

最後に『アラベスク』から、その特長を最も表していると私が感じた句を引く。

 

我空とやみな蛇の香に酔いやすし

 

私ばかり酩酊していても周りはつまらない。是非多くの人にその妖しく美しいイメージを味わってほしい。

 

診察記録 2019年2月 その他、2月の様子


こんにちは。というか、お久しぶりです。

 

前回の更新から、1ヶ月以上も経ってしまいました。

 

その間のことを、2月13日(水)の埼玉医科大学病院への診察も合わせて、つらつらと書いていこうと思います。

 

・2月5日 風邪を引く

 

ブログをなかなか更新出来なかった大きな理由の一つがこれです。2月のはじめから、仕事から帰ったあと、なんとなくだるく、すぐにベッドに潜り込むような日々が続いていました。

 

はじめは、アルバイトでの疲れ、あるいは時々起こる神経症による体調不良だと思っていました。

 

しかし、それにしてはだるさが長引くと感じ、5日の夕方に念のため熱を測ってみると38.2度・・・。即座に熱さまシートを貼って、ベッドに入りました。

 

インフルエンザかも知れないので翌日に病院へ診察。検査の結果は陰性でした。

 

ただ、インフルエンザではなかったとしてもやはり風邪はつらい!

 

39度以上の熱が出て、結局、完全に治るまで1週間くらいかかりました。友人と会う約束や、句会もキャンセルせざるを得ませんでした。残念・・・。

 

ここ何年か風邪は引いてなかったので、油断していたのかも知れません。改めて風邪には気を付けようと思いました。

 

・2月13日 埼玉医科大学病院へ診察

 

今回の診察で先生に話した主な内容は、アルバイトの悩み。正確に言えば、今回に限らずもう何回か診察の度に話していることなんですが、社員と打ち解けることが出来なかったり、社員から心ないことを言われたりして、やはり段々と自分のなかでアルバイトがつらいものになっていました。

 

また、先に書いたように風邪を引いて、自分のなかでアルバイトに対する虚しさが強くなりました。

 

その虚しさが強くなった大きな理由が、勤務時間です。


以前ブログに書いたこともありますが、私のアルバイトは最寄りの駅に隣接するショッピングモールの清掃です。

 

勤務時間は、求人情報の上では

 

・午前7時から午前10時まで

・午前7時から午後12時まで(休憩30分)

・午前7時から午後5時まで(休憩2時間)

 

の3種類になっています。

 

しかし、実際は「人手不足だから」「開店前の掃除が終わらないから」という理由で、私を含め社員全員が1時間くらい早い午前6時から仕事をしていました。

 

そして、その1時間分の給料は払われていませんでした。

 

私を含め、良くないことだったのですが、全員が「みんなやっているから」という感じで、この給料未払いについて意見しませんでした。

 

また、時給も891円と埼玉県の最低賃金でした。つまり、午前7時から午前10時までの3時間だと、2673円にしかなりません。そして、私は清掃の仕事に就いて日が浅いことや、神経症のために仕事を休むこともあったので、3時間しか仕事を入れてもらえない日が多かったです。

 

つまり、ただでさえその日2673円しか働けないのに、風邪を引いて休むと、そのお金すら稼げなくなります。

 

そうした給料の問題や人間関係の問題に対して、風邪で休んでいるうちに「別の仕事を探したほうが良いのではないか」と考えるようになりました。

 

その日の診察では「仕事を変えようか悩んでいる」というところまでしか先生に話しませんでしたが、結局、この診察から数日後、アルバイト先に「退職したい」と伝えました。近いうちに職場へ退職届を書きに行く予定です。

 

・2月20日 障害者年金の申請をする

 

前回の診察記録で、障害者年金の申請のために、診断書を書いてもらうよう先生に頼んだと書きました。(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2019/01/16/104812

 

13日の診察でその診断書を受け取り、予め用意しておいた他の書類と合わせて、20日に大宮年金事務所まで障害者年金の申請にいきました。(この書類への記入が忙しかったことも、ブログを更新出来なかった大きな理由です)

 

年金事務所では、「病歴・就労状況等申立書」(自分がその病気を発病したときから病院に初診でかかったときまでの様子を年月順に記入する紙)の訂正を求められ、慌てて職員の前で書き直したりしましたが、それ以外は書類の不備もなく、申請することが出来ました。

 

書類は何種類かありどれも複雑なので、認定されるまで3、4ヶ月かかるそうです。また、申請したからといって必ず認定されるわけではありません。

 

個人的には、もちろん認定されてほしいです。少し不安ですが、「やるだけのことはやった」と思い、結果を待つことにします。

 

ただ、とりあえず申請をして肩の荷が下りた感じはします。

 

・現在の状況

 

というわけで、以上が私の2月の大体の様子です。改めて書いてみると、自分でも「忙しかったんだなぁ」と思います(笑)

 

つまり、現在の状況は「アルバイトを辞め、障害者年金の認定を待っている」というものです。

 

そして、「新しくアルバイトを探すか、このまましばらくアルバイトを休むか」ということをいま迷っています。

 

あまり詳しく書くと重たい話になってしまいそうですが(もうなっている?)前職に限らず、これまで色んなアルバイト先でつらい思いをして、その度に辞めているので、障害者年金の結果が分かるまでは少しのんびりしようかなとも思っています。

 

まぁ、このことについては今すぐに結論が出る話でもないでしょうから、また考えて、ブログにも書こうと思います。

 

久々の更新で、つい長い文章になってしまいました。

 

最後に、現在の薬の状況です。

 

抗不安剤 ロラゼパム錠「サワイ」 0.5mg 1日4回
睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
抗不安剤 レキソタン錠5 5mg 不安時

 

診察記録 2019年1月 障害者年金について

 

こんにちは。(もう「明けましておめでとうございます」という時期ではありませんよね・・・)

 

2019年になってはじめてのブログ更新です。

 

1月9日(水)に、埼玉医科大学病院での診察に行ってきました。

 

主に仕事の上での悩みや、最近、気分の落ち込みが激しいこと、また、それに伴って体調が優れないこと等を先生に話しました。

 

また、その日の診察での大きな出来事として、障害者年金に必要な診断書を書いてもらうよう、先生に渡しました。

 

障害者年金の申請に必要な書類自体は、診察の日から少し前の1月4日(金)、大宮年金事務所に行って全て揃えてきました。

 

次の診察の日(2月6日)に診断書を受け取ることになっているので、2月中には申請しようと思います。

 

 

今後の予定としては、障害者年金を申請し、認定されるまではいまの仕事でお金を稼いでいこうと思います。

 

もちろん、障害者年金は申請したからと言って必ずしも認定されるものではないので、その不安もありますが、もし認定されなかったら、それはそのときに考えようと思います。

 

とりあえず、いまは障害者年金の申請に必要な書類を丁寧に仕上げていきたいと思います。


現在の薬の状況です。頭痛薬 ロキソプロフェンナトリウム錠「クニヒロ」と、胃腸薬 レバミピド錠「EMEC」が減って、いまは3種類処方されています。

 

抗不安剤 ロラゼパム錠「サワイ」 0.5mg 1日4回
睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
抗不安剤 レキソタン錠5 5mg 不安時

 

 

 

 

診察記録 2018年12月

 

こんにちは。

 

12月26日(水)に、埼玉医科大学病院まで診察に行ってきました。

 

早いもので、もう今年最後の診察です。

 

前回の診察記録では、仕事の上で悩みがあり、それを思い切って上司に相談したら、上司や同僚からの私への接し方が以前より穏やかになったということを書きました。

 

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/12/04/191408


前回の診察から約1か月が過ぎましたが、有難いことにそうした状況は続いています。

なので、繰り返すようですが以前より仕事がしやすくなっています。

 

というわけで、いまの精神的な悩みは殆どありません。

 

強いて言えば、1日のなかで気分の変動が少し多い気もしますが、抗不安剤を服んで自分でコントロール出来ていると思っています。

 

あとは、体調的な悩みでは、これも前回の診察記録で書いたことですが、寒い季節になってからの頭痛が少し多いです。でも。これもロキソニンジェネリック医薬品を服めば抑えられます。

 

・・・というわけで、総じて言えば、いまのところはこのブログに書くようなことは殆どありません(笑)

 

でも、これは良いことだと思っています。それだけ寛解に近づいているということですから。

 

来年もこのまま、なるべく穏やかに過ごせていけたら良いです。

 

現在の薬の状況です。

 

抗不安剤 ロラゼパム錠「サワイ」 0.5mg 1日4回
睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
抗不安剤 レキソタン錠5 5mg 不安時
・頭痛薬 ロキソプロフェンナトリウム錠 「クニヒロ」 60mg 頭痛時
・胃腸薬 レバミピド錠「EMEC」 100mg 頭痛時

 

次回の診察は、少し事情があって早まって1月9日(水)の予定です。

 

また、今年は障害者年金・障害者手帳の申請をしようと思ったのですが、忙しかったり体調が優れなかったりして結局出来ませんでした。来年は早めに申請しようと思います。来年の大きな目標のひとつです。

 

この記事で、診察記録のカテゴリ記事だけでなく、このブログ全体としても今年最後の記事になるかも知れません。

 

皆さん、どうぞよいお年をお迎えください (*^_^*)