あたまのなかで

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どのようにして藤原月彦から藤原龍一郎になったのかー2018.2.5

 

どのようにして藤原月彦から藤原龍一郎になったのかー2018.2.5

 

※昨年の10月に続き、俳句文学館へ行ってきたときの記事です。このときの目的は、日頃からお世話になっている藤原龍一郎さんが「藤原月彦」の俳号で上梓された句集を読むことです。俳人・藤原月彦から、歌人藤原龍一郎に至るまでの作風の変化についてまとめました。

ちなみに、後日藤原さんご本人からブログに書いたことへのお礼のメールをいただきました。恐縮です。


こんばんは。

 

日付が変わって昨日は、大久保にある俳句文学館へ行ってきました。


ちなみに、前回行ったのは去年の10月30日。休みの日になる度に行きたいと思うのですが、あっと言う間に3ヶ月以上も過ぎてしまいました。

 

前回行ったときの記事はこちらです。よければお読みください。

 

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/07/010721

 

この記事に書いたように、前回は「暗黒詩人」こと大原テルカズの句集を中心に読みましたが、昨日はまた別の句集を読みました。

それが藤原月彦『貴腐』(1981年 深夜叢書社)。

 

以前にもブログで書きましたが、この句集は歌人としても知られる藤原龍一郎さんが「月彦」の俳号で上梓されたものです。

今回も長くなるので、目次つきでどうぞ。

 

1 歌人藤原龍一郎の作風

 

2 『貴腐』

 

3 どのようにして藤原月彦から藤原龍一郎になったのか

 

1 歌人藤原龍一郎の作風

 

広く知られていますが、藤原さんの歌人としての作風の特長は、固有名詞が多く歌に詠まれていることです。

去年ご本人からいただいた歌集『花束で殴る』(2002年 柊書房)にも、このような歌が収録されています。

 

平成四年晩秋冥し敗戦の茂吉の秋も暗かったろう

 

『磯野家の謎』にかかわる一刻もせつなき世紀末のエスプリ

 

中島みゆき「遍路」にサナトリウムなる単語はありて、闇、深き闇

 

MXテレビがきっと映すだろう世紀末東京の滅亡

 

都市の生むうたかたとしてぬーべーやキューティー・ハニーも熟れよ爛れよ

 

私は藤原さんの短歌に知悉しているわけではもちろんありませんが、恐らく藤原さんはこうした固有名詞を置くことで、短歌のなかで時代感を克明に記録しようとしているのだと思います。
そして、その記録を「あの頃あんな時代だったよね」とノスタルジーに身を任すためではなく、むしろ「あの時代に自分はなにを考えていたのだろう」と、時代と自分を対峙させるために書き留めているのだと思います。それを示すようにそうした固有名詞と合わせて「冥し」「せつなき」「闇」「滅亡」「うたかた」といった、悲しさを感じさせる言葉が置かれています。


そういえば、『花束で殴る』に収録されている歌ではありませんが、個人的に印象に残っている歌として

 

精神に文学的な傷痕のありてアクション仮面になれず

 

というものがあります。この歌も「アクション仮面」という固有名詞が短歌に置かれているインパクトばかりに気を取られてしまいそうですが、「文学的な傷痕」とは何かということを考えなければいけないと思います。

 

長くなってしまいましたが、まず歌人としての藤原さんの作風について、大まかではありますが解説しました。

 

2 『貴腐』

 

しかし、『貴腐』に収録された句は、そうした歌人としての作風とはつながりづらいものが多いです。
『貴腐』には「貴腐」から「デジャ・ヴュ」までの全10章に分かれて句が収録されていますが、各章ごとに特に気になった句を並べてみました。

 

貴腐
夏は闇母よりわれに征露丸
手に足に胎内に今日野菊咲く
足音のむかしへ続く寒の暮

 

地動説
剃刀を泉にあらふ夢のあと
合せ鏡のうしろに花の骨見ゆる
鶏頭に憑きし兄弟姉妹かな

 

火の昔
寒凪のさなか世界は忌のごとし
薄荷水吸ふ口中にある前世
四季尽きて蛇輪廻する廃区かな

 

お伽野行
蝶々に憑きわれを追ふ狂気かな
春雷が照らす手相のわが荒野
青蜜柑吸ひて未生の罪いくつ

 

憑依論
夢つきてわが生前の千の夏
転生の終りはいづこ星月夜
残菊の前に後に死者生者

 

彼岸考
流木になぜ雌雄なき夕日かな
秋蛍飛ばば此処より中世か
逝く秋の身に水毒はあふれけり

 

光陰
春の血を舐むれば睡し西枕
救世主(メシア)いまこの地に死せり草の花
隣国も雪か明治のオルゴール

 

さかしま
死者とゐて空気濃くなる麦畠
汝おもふゆゑにわれ亡き木下闇
噴水にわが霊は濡れゐたりけり

 

彼方
万緑を負ひ方舟にとほくなる
夢のはてまた金雀枝にたどりつき
なかんづく日暮は兇器冬の芹

 

デジャ・ヴュ
春浅き夢も少年探偵団
花文字の巴里も羅馬も受難節
情人の虚言癖貴腐葡萄園

 

私は、『貴腐』のこれらの句を見て、まるで万華鏡を覗いているような気分になりました。飽くまで私が特に気になった句での話ですが、使われている季語自体に聞き慣れないものはあまりありません。「夏」や「春」といった、季節がそのまま詠まれている句もあります。
しかし、その季語を取り囲む世界観が尋常ではありません。思い切って言えば、常軌を逸しています。


例えば、

 

夏は闇母よりわれに征露丸

 

「夏」と聞いて思い浮かべるのは、照りつける太陽の明るさではなく、「闇」です。そして、その闇のなかで「われ」は「母」に「征露丸」を渡されています。薬が持つ不健康なイメージも先ほどの夏の明るさとはストレートに結びつきづらいものがあります。そして、「征露丸」の表記が、現在の「正露丸」ではなく、日露戦争の頃に開発された当時(露西亞を征服するという意味)のものであることも、妖しげなノスタルジーを感じさせます。

 

あるいは、

 

春の血を舐むれば睡し西枕

 

この句にも「春」の朗らかさは全くありません。「血を舐むれば睡し」という退廃的な世界観が続きます。そして「西枕」。風水では北枕は縁起が悪いとして知られていますが、西枕も特に若い人の活力を奪う方角とされ、避けるべきとされています。このように、終始不穏なイメージが展開されています。

 

こうした妖しげな、不穏な、しかし美しい世界観が、私が『貴腐』の句を「万華鏡を覗いているよう」と感じた理由です。つまり、季語が原石だとすれば、それらを俳句という筒のなかに散らばせてグルリと傾けることにより、聞き慣れていたはずの季語が途端に別の風景を見せはじめるのです。

 

この句集の解説は、作家の中島梓栗本薫)が書いていますが、彼女はこれらの句について

「藤原月彦にとっての春夏秋冬は、もはや決して花鳥風月ではありえない。」

と評しています。まことに的を射た評だと思います。
あるいは、前回に俳句文学館へ行ったときの記事でも取り上げた本ですが、『怖い俳句』(2012年 幻冬舎新書)のなかで、著者の倉阪鬼一郎俳人・藤原月彦について「出現それ自体が事件と言われた耽美派俳人でした。」と評しています。いま読んでもクラクラするような妖しい美しさが色褪せていないのですから、初めて藤原月彦がその俳句とともに俳句の世界に「出現」したときの衝撃は相当大きかったのだと想像出来ます。
『貴腐』は、そのような妖しい美しさを放つ句集でした。

 

3 どのようにして藤原月彦から藤原龍一郎になったのか

 

しかし、私は『貴腐』を読み終えたとき、ある疑問が生まれました。疑問というよりはギャップと呼ぶべきでしょうか。
それは、先ほど述べた、現在知られている歌人藤原龍一郎の固有名詞を多く用いて、時代と自分を対峙させる作風とのギャップです。

なお、現在も藤原さんは俳句も詠まれていますが、既に「月彦」の俳号は用いていません。短歌・俳句ともに「藤原龍一郎」の名前で詠まれています。

いま、手元にある藤原さんの句を確認出来る資料としては同人誌『豈』第60号があります。
そこでは、「東京句集・拾遺」というタイトルで

 

りんかい線のひらがなあはれ梅雨曇


雑誌売る夜店をのぞく夢声かな


白雨過ぎ能町みね子なる知恵者

 

といった20句を寄せられています。やはり「りんかい線」「夢声」(徳川夢声)「能町みね子」といった固有名詞が句に詠まれています。

これらの句風は、歌人としての作風とつながりやすいものであり、言い換えれば『貴腐』の幻想的・耽美的な句風とは離れているように感じます。

気障な言い方を承知で言えば、藤原龍一郎は、どのようにして藤原月彦から藤原龍一郎になったのでしょうか。

 

その疑問を解く鍵が、やはり『貴腐』の中島梓の解説にありました。曰く

 

「生きて走る馬をうたうのはすでにこの、競馬場でしかかれらを見ぬわれわれにとっては虚偽である。ならば、われわれは、回転木馬を、天空をかけるペガサスをうたうべきではないのか?藤原月彦はそう妖しくいざない、そそのかす。」

この解説の「生きて走る馬をうたうのはすでにこの、競馬場でしかかれらを見ぬわれわれにとっては虚偽である。」という主張には深く肯けます。

藤原さんの俳句についての感想とは少し離れてしまいますが、私は俳句に於ける「有季定型」が即ち季節感に与する作風であるという暗黙の了解のようなものに強く疑問を抱いています。


「夏は闇母よりわれに征露丸


「春の血を舐むれば睡し西枕」


繰り返すように、これらの句は所謂一般的な季節感とは離れています。
しかし、季節感をー特にあらゆる細分化・流動化が進む2010年代に於いてー俳人が共有することは可能でしょうか。
いや、俳句以前に人間の情緒として、全ての人間が夏になれば明るくなるわけでも、春になれば朗らかになるわけでもないことは自明の理です。
「有季定型」とは、文字通り季語が有り定型の句を指せば良いのであって、その季節の情緒は別問題だと思います。

そのことに目を瞑り、季節感に与する句しか詠まない・詠めないということは、まさしく中島の「生きて走る馬をうたう虚偽」と呼べます。

 

しかし、そのあとの「われわれは、回転木馬を、天空をかけるペガサスをうたうべきではないのか?藤原月彦はそう妖しくいざない、そそのかす。」という部分には正直同意しかねます。
恐らく、『貴腐』は中島の指摘する俳句に於ける「虚偽」をつきぬけて、ひとつのファンタジーとして世界観を完成させた句集でした。

しかし、当時の藤原月彦には、そうしたファンタジー的な要素への作風の強まりと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に季語の共有性の虚偽という問題意識が強くあったのではないかと思います。

これは、詳しくは、第一句集『王権神授説』(1975年 深夜叢書社 俳句文学館には所蔵されていないと思います)から、現在に至るまでの藤原さんの俳句・短歌を勉強しないと分かりませんが、恐らくは季語の共有性の虚偽、及びその季語と自分との対峙に難しさを感じ、結果として固有名詞という時代の限定性が逆説的に持つ共有性に自分を対峙させるという作風に行き着いたのではないでしょうか。

だから、先ほどの中島の「回転木馬を、天空をかけるペガサスをうたうべきではないのか?」という問題提起について言えば、現在の藤原さんは、回転木馬を短歌や俳句に詠んだとしても、それは実景としての「メリーゴーランド」であり、ファンタジー的な「回転木馬」ではないと思います。増して「ペガサス」が詠まれるということは無いでしょう。

 

つまり、藤原さんは、『貴腐』に於ける季語の共有性の虚偽という問題意識から始まり、固有名詞という共有性に辿り着くことで藤原月彦から藤原龍一郎になったのだと思います。

 

今回、俳句文学館で『貴腐』を読んだことは、その句集の世界観に惹かれるだけではなく、藤原龍一郎さんという一人の作家について考え直す機会を与えてくれた体験でもありました。

そして、藤原さんがそうした季語の共有性の虚偽についてストレートに詠んだ短歌を『花束で殴る』から引用します。

 

紫陽花をまた詠いたる心情を嘲笑いこの憎き紫陽花

 

自分も紫陽花を、桜を、紅葉を憎んでみたい。そして、可能ならその感情を俳句として詠んでみたい。そう思います。

藤原さんとは歌集や俳誌を沢山送っていただいたり、メールでもやりとりをさせていただいていますが、実際にはまだ一回しかお会いしたことがありません。


私も俳句を詠む身として、俳人としても歌人としても高名な藤原さんは改めて凄い方だと感じます。そうした人物は、ほかに思いつくとしても寺山修司しかいないのではないのでしょうか。
今度またお会いしたら、このブログに書いたことを訊いてみたいと思います。