あたまのなかで

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佐伯俊男展覧会「雲然」を観に行きましたー2018.2.18

 

佐伯俊男展覧会「雲然」を観に行きましたー2018.2.18

 

※約半世紀にわたり狂気と欲望の世界を描き続ける画家、佐伯俊男の展覧会を観に行ったときの記事です。その作品たちに圧倒されました。

 

こんばんは

 

2月16日 金曜日に、渋谷まである展覧会を観に行ってきました。

 

その展覧会とは、佐伯俊男展覧会「 雲然」。

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ちなみに、会場の入り口には「R16」の張り紙があったので、これからブログをお読みいただく方によってはそうした年齢制限を意識したほうが良いかも知れません。

 

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佐伯俊男、と言っても何人の人が彼の名前と絵に見覚えがあるでしょうか。

 

彼は1970年から画家として活動しています。寺山修司澁澤龍彦丸尾末広等当時の所謂「アングラ」と称される文化人からその作風は激賞されました。

恐らく寺山修司と関係してでしょう、私が佐伯俊男の絵を初めて観たのは、おなじく「アングラ歌手」と呼ばれる三上寛のライブレコードのジャケットでした。

 

それがこちら。

 

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(画像引用元→https://www.discogs.com/三上寛-コンサートライヴ零孤徒-三上寛1972/master/56766)

 

地獄絵に見られるような餓鬼が、全裸の女性に真っ赤な花を渡している。しかも、その女性は涙を流している。
餓鬼と女性の関係性や如何に。女性の涙の理由や如何に。餓鬼と女性が白黒なのに対し、真ん中な花だけが赤く塗られているこの絵に対し、私は異様な迫力を覚えました。

 

それから、この絵の作者が佐伯俊男なる人物であると知りました。

三上寛寺山修司とおなじ青森県の出身です。それこそ寺山修司の映画「田園に死す」に顕在されたような、東北の地が持つ怨念といったものを叫ぶように唄う歌手です。彼の唄う歌は、その唄い方から「怨歌」(えんか)の異名すら持っています。
私は、そうした三上寛の歌と佐伯俊男の絵があまりにピッタリ合っていたために、佐伯俊男も「青森か、少なくとも東北の出身だろう。」と思い込んでいました。


しかし調べてみると佐伯俊男は宮崎県出身、大阪府育ちでした。つまり東北どころか西日本に育った人間だったのです。初めて知ったときとても驚きました。

それ以降、私のなかで佐伯俊男は先ほど述べた異様な迫力を引きずるように忘れられない画家になりました。
しかし、様々な理由からその作品をまとまって鑑賞出来る機会には恵まれませんでした。

 

それが今回、渋谷で展覧会が行われることを知ったのです。行かない理由が無いと思いました。

会場の入り口には、先ほどの「R16」の張り紙以外にも、「写真撮影可」の張り紙がありました。

 

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SNS時代の潮流なのでしょう。むやみに写真撮影を禁じるよりかは、むしろ撮影した写真をSNS等に挙げ、さらに集客を呼び込もうという狙いだと思います。ともあれ、鑑賞する側としては非常に嬉しかったです。

 

入り口に入ると、いきなり壁一面ほどの大きな絵が目に留まります。

 

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よくよく近づいてみると、ものすごい絵が壁一面に広がっていました。

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今回の展覧会では、絵の下に作品名はありませんでした。
そのため、入り口近くに置かれてある図録からそうした作品名を知るほかないのですが、その図録にもこの大きな絵の作品名は書いてありませんでした。


それにしても、2枚とも何という絵だろうかと思いました。
1枚目ですが、釜茹でにされる全裸の女性と、それを上から見下ろす頭だけの怪物(?)。そして、そうした異様な光景に目もくれず素通りする男子小学生。
ミスマッチとか意外性とか言葉では足りない、それぞれの個性を無理矢理一枚に押し込めたような迫力を感じます。

 

2枚目は、1枚目と比べて構図はシンプルです。また、1枚目のようなサイケデリックな色遣いも見られません。
しかし、真ん中の竹によじ登っている女子の表情には、やはり異様な迫力を感じます。なぜ竹に登っているのか。浮かべているのは苦悶の表情か、随喜の表情か。どちらの表情にも感じられます。

 

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入り口に入っていきなり、私はこの2枚の大きな絵に圧倒されました。

また、スペースを少し移動すると、小さな絵の展示も何枚かされていました。

そのうちの何枚か、特に印象的だったものを紹介しようと思います。

 

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雨情(あめなさけ)1969年

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肉刺繍(にくししゅう)1979 年

 

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肉奴隷(にくどれい) 1981年


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狂学(きょうがく)1976年

 

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夕焼(ゆうやけ)1978年

 

このように、挙げていけばきりの無い性的かつグロデスクな世界観が展開されていきます。


ちなみに、私が写真を撮った作品のなかで最も印象的だったのは「狂学」です。まず描かれている光景ですが、体操着姿で鉄棒に登る素足の女子と、口が裂けるほど鉄棒を噛み、よだれを垂らしていてもその女子を見つめることをやめない男子。ものすごいインパクトを感じました。
またタイトルの「狂学」とは、「共学」の言葉遊びでしょうが、「学問に狂った」という意味なのか、「狂ったことを学んでいる」という意味なのか。恐らくどちらとも当て嵌まるでしょう。絵のインパクトと相俟って、様々なことを想像させるタイトルだと思いました。

 

また、こうした小さな絵は全てモノクロ画でしたが、彩色したものも存在するようで、図録からは佐伯俊男による細かい色の指定が見てとれました。
例えば、これは「夕焼」の図録ですが、このように丁寧な色の指定が分かります。

 

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展覧会に飾られた絵を観て、私のなかに起こった感情を一言で言うのは難しいです。
繰り返すように、佐伯俊男の絵は性的かつグロデスクですが、だからと言っていやらしい気持ちにはなりませんでした。
それは、最初に三上寛のレコードのジャケットで佐伯俊男を知ったときと変わらない「異様な迫力」がそのまま続いているのだと思います。
展覧会の絵を観ながら、そして日にちを経て、こうしたブログを書いているいまでも、私はその迫力に圧倒されているほかないのでしょう。

 

ただ、その感情に言葉を付け加えるならば、佐伯俊男の絵は決して「エロ」や「猥褻」といった表層的な言葉で言い尽くされるものではないと思いました。
佐伯俊男の絵からは、そうした言葉よりもっと深い、人間の根底にある、理性という皮を剥ぎ取ったような狂気と欲望が見て取れました。

そうした人間の根底にあるものをおよそ50年描いたきたからこそ、決して多くの人ではありませんが、その絵に心刺さる人が今日までいるのだと思います。無論、私もその1人です。

 

この展覧会は当初2月24日 土曜日までの予定でしたが、3月3日 土曜日までの延長が決まったそうです。
展覧会に行った1人として、より多くの人に佐伯俊男という稀有な画家の存在に触れてほしいと思います。

 

なお、会場である「NANZUKA」の詳しい情報は、こちらからご確認ください。
http://nug.jp/jp/top/

 

そして最後は、佐伯俊男の絵とピッタリ合う三上寛の歌のなかから、特に私の好きなこの歌を聴いていただき、その狂気と怨念の止まぬ世界観を感じてほしいです。

 

三上寛青森県北津軽郡東京村」
https://youtu.be/I6lfJSJ2ow8

 

では、おやすみなさい。