あたまのなかで

よろしくお願いします。神経症患者としてではなく、ひとりの人間として。俳句が好きです。Twitter→(https://twitter.com/ryuji_haiku)

聖書の花文字 〜高柳重信の俳句論についての雑感〜


こんばんは。

 

日付が変わり今日、また昨日と、仕事のことで悩み、メンタルがボロボロだったのですが、TwitterのDMで何人かのフォロワーさんに悩みを聞いてもらい少しですが落ち着くことが出来ました。


また、15日 水曜日から実に1週間も書けていなかった俳句もまた書けるようになりました。


その反面、最近、自分のなかで、「これが最後に書ける句かも知れない」と思うことが増えています。


先月末に「石田波郷新人賞」という、30歳以下を対象とした俳句の新人賞に応募しました。

応募前の準備段階から、普段句会でお世話になっている俳句作家さんにアドバイスをいただいたりしました。

それから、まだ結果は出ていませんが、先日の句会の二次会で、最終的な応募作品をプリントアウトしたものをその場にいらっしゃった皆さんにお渡しすると異口同音に「面白い」「上手だ」という声をいただけました。


しかし、その石田波郷新人賞以降、どうも自分の納得出来る句が書けていません。例えるなら、石田波郷新人賞を頂点として、だんだんと衰退の階段を下っているような気がします。


それが、先に書いたように「最近、自分のなかで、『これが最後に書ける句かも知れない』と思うことが増えている」ということの要因です。


そうした私が最近思い出すのは高柳重信(1923~1983)という俳句作家の言葉です。

重信は『「書き」つつ「見る」行為』(「俳句」誌    1970年6月号)のなかで、以下のようなことを書いています。

 


「これは、僕の率直な私見であるが、俳句のように単純化と普遍化を最高の詩法とする形式では、その技術を一つ一っ数えあげていっても知れたものである。まして、一人の俳人が、その資質に見合う範囲で会得できる技術は、いっそう知れたものであろう。また、その表現が可能な領域も、きわめて狭小であろう。それを充分に思いながら、表現の一回性ということを厳密に重んじてゆけば、その巧拙にかかわらず、たかだか一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」


高柳重信『「書き」つつ「見る」行為』全文→(https://sites.google.com/view/takayanagifukiko/%E9%AB%98%E6%9F%B3%E9%87%8D%E4%BF%A1%E9%96%A2%E4%BF%82%E7%9B%AE%E6%AC%A1/%E9%87%8D%E4%BF%A1-%E6%9B%B8%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%A4%E8%A6%8B%E3%82%8B%E8%A1%8C%E7%82%BA?authuser=0


つまり重信は「俳句に於いて一人の作家が百句ほども書いてしまえば、その世界観はほとんど尽きてしまい、あとは自己模倣の繰り返しになる」と言っています。自分がいま感じている停滞と重ね合わせると、この重信の言葉はなんだか怖く聞こえます。


また、重信は彼の弟子であった折笠美秋(1934~1990)との会話のなかで以下のようなことも話しています。(折笠美秋『君なら蝶に』1986年   立風書房


「またの日、高柳さんはこんな歎きを洩らした。

中世の修道僧達は、聖書の写本に精魂傾けた。唯の一字一句も、書き変えるわけにはゆかない。彼等が唯一、自分の個性を発揮出来るのは、各章の最初の一文字。

『この一個の花文字を、如何に飾るかに、智慧と意欲のすべてをそそいだわけですね。僕等の仕事も、この僧達と変わりありませんね。俳句形式に何かを書き加えたつもりでも、思うに、なしうることは実は花文字一つ飾ったにすぎない。そういうことでしょうね。ふふふ。』」


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折笠美秋『君なら蝶に』


これらの文章で重信がそれぞれ語っている、一人の俳句作家が書ける世界観の限界性と、俳句形式というものの矮小性。私はこれらの重信の文章に触れたとき、非常に驚きました。

それは、高柳重信という一人の俳句作家の考えに対する単純な驚きというよりも、重信がどのような俳句作家か少しではあるが理解していた上での驚きでした。


何故なら重信の句には、こんなものがあるからです。(『現代俳句の世界14   金子兜太高柳重信集』1984年   朝日文庫

 

身をそらす虹の

絶巓

            処刑台

 

くるしくて

みな愛す

この

河口の海色

 

杭のごとく

たちならび

打ちこまれ


このように重信は、俳句の世界で従来まで殆どを占めていた1行表記ではなく、多行表記で殆どの俳句を書いた作家です。

 

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『現代俳句の世界14    金子兜太高柳重信集』

 

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金子兜太高柳重信集』より。高柳重信


例えば1句目。「絶巓」という山の頂を意味する言葉を3行のうちの2行目の、さらに一番上に置くことで、「絶巓」という言葉に意味を超えた映像性を含ませています。

 

また、3句目の「墓」も、2行目にポツンと置かれる「墓」の文字が、やはり意味を超えて、「たちならび」とされながら、墓地のなかの一基の墓の持つ不気味さという映像性を含ませています。また、「杭のごとく」と書かれた1行目は当然「悔いのごとく」のダブル・ミーニングとして、そのあとの世界観に通じています。


これらが仮に


身をそらす虹の絶巓処刑台


杭のごとく墓たちならび打ちこまれ


と1行と表記されていれば、どうしても先に書いた「絶巓」「墓」の文字は1行のなかに流れていってしまい、ここまでのインパクトは持たないでしょう。


また、多行表記の亜種と言えば良いのでしょうか、重信には


の    夜

更    け    の

    拝

火    の    彌    撒

    に

身    を    焼

く    彩


(森の夜更けの拝火の彌撒に身を焼く彩蛾)


という、俳句自体が蛾の姿を取ったカリグラフィ的な句も存在します。(縦書きに書き直してみると、蛾の姿であるということがより分かりやすいと思います)


そして、話を戻しますが、このような従来の俳句とはまったく違うような多行の句を書いた重信が、「たかだか一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」と俳句の世界観の限界性、また「僕等の仕事も、この僧達と変わりありませんね。俳句形式に何かを書き加えたつもりでも、思うに、なしうることは実は花文字一つ飾ったにすぎない。そういうことでしょうね。」と俳句形式の矮小性をそれぞれ語っていたことは、私にとって大きな衝撃でした。そして、この重信が語ったことは、1行表記で俳句を書いている私にとっては、より真剣に考えなければいけないことだと思います。


先に重信について「俳句の世界で従来まで殆どを占めていた1行表記ではなく、多行表記で俳句を書いた作家」と書きました。

重信の没後も大岡頌司(1937〜2003)や彼の弟子の酒卷英一郞(1950〜   )が3行表記の俳句を書いてはいますが、俳句の世界で一行表記が殆どを占めている状況そのものは変わりありません。


私は、1行表記と多行表記はフェアに考えられるものであり、1行表記で俳句を書く作家であっても、多行表記のその1行ごとの言葉の置き方、それに続く全体的な世界観は大いに参考になると思います。


しかし、現状ではそのような考えは広まっておらず、多行俳句の実作者がその研究を細々と続けているのが残念ながら実情のようです。


話を最初に戻しますが、重信の述べた俳句の世界観の限界性と俳句形式の矮小性について、私ははじめ、実作者として克服すべきだと考えました。しかし、次第にそれを思い直すようになりました。

何故なら、重信は『「書き」つつ「見る」行為』の最後を以下のように結んでいるからです。 

 

「所詮、僕にとっての俳句は、不毛な僕に対する不毛な愛情からはじまり、不毛な形式に対する愛着として、いまなお不毛な連続をくりかえしているにすぎないようである。」

 

重信はこの文章で先に「一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」と書いた「不毛」な形式に、「不毛」な連続を繰り返している、と書いています。また、そうした行為のそもそもの出発点として「不毛な僕に対する不毛な愛情」があると書いています。

 

つまり、重信は「一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」なんてことは分かりきっていながら、あえてそこに留まろうとしたのです。また、美秋との話になぞえられば聖書の花文字のなかに留まろうとしたのです。

 

このときの重信の思いを、私はまだよく分かりません。しかし、いまの自分が俳句に対して感じている「季語や17音という束縛ゆえの美しさ」の延長線上にあるものかも知れないとは思います。

 

このように重信が「不毛」と思い定めながら、それでも向かっていった俳句の世界。その世界を自分はどこまで進めるでしょうか。

 

重信の思い定めた俳句の限界性や矮小性をどう捉えていくか。

またその上で、1行にしろ多行にしろ、「形式」という予め与えられた器に言葉を注いでいくようなものではなく、「表記」として自分の俳句を如何にして1行で立たせるか、或いは多行で広がらせる(?)か。

そうしたことを考え、実作しなければならないと思います。


尚、現状では、「1行形式」に倦んでいる例が見られますが、前衛即伝統という前衛俳句が持つ側面から言えば、「多行形式」に倦んでしまうということもあるでしょう。


最近、停滞気味な自分の俳句に発破をかける目的で、こんな文章を書いてみました。

 

友よ我れは片腕すでに鬼となりぬ    高柳重信