あたまのなかで

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芝不器男俳句新人賞について① 〜私が賞に対して考えたこと〜


こんにちは

 

昨日、第5回芝不器男俳句新人賞の最終結果が発表されました。

 

芝不器男俳句新人賞とは、26歳で夭折した俳句作家・芝不器男の名を顕彰した俳句の賞です。応募資格はまず40歳以下であること。また、未発表作品・既発表作品を問わず1人あたり100句を揃えることです。

2002年に第1回が開催され、以後4年に1度のペースで開催されています。

 

公式サイトはこちら。

 

http://fukiosho.org/index.html

 

実は、この賞に私も応募していました。一昨年の12月から俳句を詠みはじめて、応募の締め切りだった今年の1月20日まで、句歴は約1年しかないなかで頑張りました。

 

前置きが長くなってしまいましたが、今日はこの賞について色々書いていきたいと思います。

 

以前のブログでもそうでしたが、俳句の話をすると長くなってしまうので、目次付きでどうぞ。

 

目次

 

1 応募にあたって意識したこと~宮崎斗士さんの俳句の特長~

 

2 一次選考通過の驚き

 

3 今回を振り返って~自分らしい俳句のために~

 

1 応募にあたって意識したこと ~宮崎斗士さんの俳句の特長~

 

芝不器男俳句新人賞は「若手俳句作家の登竜門」と呼ばれている賞です。実際に、これまで新人賞を受賞した人、またそれぞれの審査員からの奨励賞を受賞した人の多くが俳句の世界で活躍しています。

 

私がこの賞に応募しようと思った理由は、まず自分の句を100句まとめるといういままでに無い経験をしたかったから。

次に、日頃句会等に参加している「海程」の会員以外である審査員に自分の俳句を読んでもらいたかったからです。

 

また、応募にあたって意識したのは、「口語体の俳句を重きを置いて100句をまとめる」ということでした。

ここで説明すると、俳句の文体は文語体と口語体の二種類に大きく分かれます。

 

文語体の特徴としては、「や、かな、けり」といった「切れ字」が用いられていることが挙げられます。

例えば

 

古池や蛙飛び込む水の音(松尾芭蕉

流れ行く大根の葉の早さかな(高濱虚子)

降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男

 

これらの句は文語体で詠まれています。極めて大ざっぱに捉えれば、「教科書に出てきた俳句」「俳句を詠んでいない人がイメージするような俳句」と言えるでしょう。

 

対して口語体は、文字通り、口の言葉、つまり話し言葉で詠まれています。

 

生きるの大好き冬のはじめが春に似て(池田澄子

今生の汗が消えゆくお母さん(古賀まり子)

鮎かがやく運命的って具体的(宮崎斗士)

 

このような口語体の俳句は戦後から増えてゆき、いまも口語体で句を詠む人が多くいます。上に挙げた3句は、どれも戦後に詠まれた句です。

 

私が「口語体に重きを置いてまとめる」と考えたのは、「俳句で使う言葉が身近なぶん、作者である私の思いも読書に伝わりやすいのではないか」と考えたからです。

 

そして、上に挙げた口語体の3句の作者のうち、私が特に惹かれたのは最後の宮崎斗士さんによる句でした。

 

宮崎さんは「海程」に所属している俳句作家で、『翌朝回路』(2005年 六花書林)『そんな青』(2014年 六花書林)の2冊の句集があります。

それぞれの句集から私が特に印象的な句を引いてみたいと思います。

 

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『翌朝回路』

沈丁花ぼくはあなたの回路です

さくらどき海図広げるよう欠伸

春の風邪陶器のような部屋がある

蜜豆やあのころ画家になりたかった

田中主任のそういう考え方が鯨

 

『そんな青』

東京暮らしはどこか棒読み蜆汁

鮎かがやく運命的って具体的

くちづけは黙読に似て麦の秋

修司の忌歩きにくくて砂丘が好き

原爆ドーム一(いち)は何乗しても一

 

宮崎さんの俳句の特長として、季語とその周りの言葉との距離感があります。例えば、「沈丁花」の句では、沈丁花の特徴である良い香りから「ぼくはあなたの回路です」「ぼく」と「あなた」との明確な関係性へ広がっています。

また、「蜜豆や」の句からは、器に盛られた蜜豆のそれぞれの微妙な色合いの違いに気付き、そこから「あの頃画家になりたった」という、かつて抱いていた憧れへ広がっています。「あの頃画家になりたかった」という直接的な言葉が、俳句の言葉として使われていることに驚きます。

 

そして、私が上に挙げた宮崎さんの俳句のなかで、最も好きなものが「鮎かがやく」の句です。

鮎が水面で跳ねる様子を指した「鮎光る」という表現は以前からありましたが、この句ではさらに「かがやく」と表現しています。このことで、鮎が水面で跳ねる躍動感や、鮎の周りに立つ水しぶきが、よりはっきりとしたイメージとして伝わってきます。そして、そのはっきりとしたイメージが「運命的って具体的」という言葉で広がっていきます。

「運命的って具体的」。これ以上シンプルに運命的とはどういうことか説明した言葉は無いと思います。運命と聞くと抽象的な印象を持ちますが、人がそれぞれ「これって運命だ」と思うことはことごとく具体的です。

 

このように、宮崎さんの俳句には季語と周りの言葉によって、季語の持つ世界観を広げる特長があります。季語の古い価値観に縛られるといったことは全くありません。

 

私はこの賞に応募する前は文語体中心に句を詠んでいましたが、賞をきっかけに口語体へ方向転換をしようと思いました。

そして、自分が理想とする口語体の俳句作家として宮崎斗士さんを位置付けました。

 

応募期間は去年の11月1日から今年の1月20日まで。宮崎さんの2冊の句集を繰り返し読み、自分もなんとか100句揃えて応募することが出来ました。

受付番号の78番も、きちんともらえました。

 

しかし、応募して1週間後くらいから後悔の思いが強くなりました。

それは、口語体で俳句を詠むことの難しさを感じたからです。先ほども書いたように、口語体は話し言葉で句を詠むので、下手をすれば句の表現がひどく平凡なものになってしまうのです。この文章の最後に自分の応募作品からベスト10句とワースト10句を並べますが、正直そうしたひどく平凡な句もワースト10句のなかにはあります。

 

自分の予想していた以上に、口語体の俳句の難しさ、宮崎さんの俳句のレベルの高さを感じました。

はっきり言って、この時点で自分にとっての芝不器男俳句新人賞は失敗に終わっていました。まだ一次選考の段階でしたが、「一次選考を通過して最終選考に残ることなど億に一つも無いのだから、応募作品を返してくれ」と半ば本気で思っていました。

そうした思いで、一次選考通過作品が発表される3月31日までを過ごしていました。

 

2 一次選考通過の驚き


3月31日、その日は「炎環」という結社の同人で「子連れ句会」を主催されてもいる西川火尖(にしかわ・かせん)さんに誘われて、代々木公園までお花見へ行っていました。

話は少し変わりますが、「子連れ句会」がどのようなものかは、以下のブログ記事を読んでいただけると分かると思います。

 

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/07/015645

 

話を戻します。お花見のビニールシートの上には、西川さん以外の「炎環」の同人の方や、他の結社からいらっしゃった方も座られていました。

そして、そのうちの何名かは芝不器男俳句新人賞に応募していました。そのため、一次選考通過作品が発表されるまでのお花見の席は和気藹々としながらもどこか緊張感のある不思議な雰囲気が漂っていました。

 

午後1時を少し過ぎたくらいのことでした。

 

私はそのとき、花見のトイレ待ちの列にいました。花見のトイレが混むことはある程度覚悟していましたが、やはり代々木公園は広く、その列は予想以上のものでした。

手持ち無沙汰で待っているのもつまらないと思っていたとき、ふと「一次選考通過の作品ってもう発表されているのかな」と気付き、スマホを開いてみました。

 

そして・・・全応募作品140作品(過去最多でした)のうち、一次選考を通過した34作品に、自分の受付番号78番を見つけました。

 

思わず声を上げそうになりました。そのあと、お花見の場所へ戻り西川さんをはじめとした皆さんに通過したことを伝えると、皆さんから「おめでとう!」と言っていただけました。

しかし、当の本人は何故通過したのか皆目見当がつきません。口語体の俳句の難しさ、宮崎さんの俳句のレベルの高さを感じて終わっていましたから。

また、さらに言えば、最終結果が発表されてから一晩経ってからのいまでもよく分かっていません。

 

とにかく、その日から昨日の最終選考会までの約2週間は狐につままれたような気分で過ごしました。

 

3 今回を振り返って~自分らしい俳句のために~

 

そうした2週間を過ぎ、昨日最終選考会が荒川区のホールで公開され行われて、最終結果が以下のように発表されました。

 

第5回芝不器男俳句新人賞

受付番号58番 生駒大祐

 

城戸朱理(きど・しゅり)奨励賞

38番 表健太郎

 

齋藤愼爾(さいとう・しんじ)奨励賞

1番 菅原慎矢

 

対馬康子奨励賞

105番 堀下翔

 

中村和弘奨励賞

13番 松本てふこ

 

西村我尼吾(にしむら・がにあ)奨励賞

45番 佐々木貴

 

関悦史特別賞

71番 白川走を(一次選考非通過作品)

 

・・・というワケで、私は最終選考で落とされました。

 

ちなみに、私はこの最終選考会には用事があって行けなかったのですが、実際に行かれたTwitterのフォロワーの方から、それぞれの審査員が誰の応募作品について評していたのか教えていただきました。

そして、そのなかで城戸朱理さんが私の作品について評されていたそうです。曰く「今を生きる感覚。まだ自己の確証がないまま世界を見つめている。若さゆえの戸惑い?」とのこと。

 

今を生きる感覚は、肯定的な評だと思っています。それを意識して詠んだので、このことが城戸さんに伝わったのは良かったです。

また、自己の確証の無さは、口語体への確証の無さとイコールだと考えています。繰り返すように、宮崎さんの俳句を理想として自分の口語体の俳句を詠もうとしましたが、結果的に上手く行きませんでした。

言ってみれば、自分がいままで文語体で詠んでいた世界観と宮崎さんの俳句の世界観との間に宙ぶらりんになってしまったのだと思います。

 

・・・でも、語弊を承知で言いますが、落とされて良かったと思います。何故なら、やはり自分が応募した作品は、自分らしさが感じられるものではなかったからです。

 

一次選考を通過したときから、自分で自分らしさが感じられない俳句を、自分の俳句として捉えられてしまうことに少し怖さを感じていました。例えるなら、ブカブカの服を着せられているような感覚です。

 

それが、こうして最終結果が発表されたいま、その服を脱いで、宮崎さんの俳句とは何か、自分の俳句とは何か、もう一度ゼロから考えたいです。

 

だから、繰り返すように今回は落とされて良かったと思っていますが、次回以降は賞を獲りたいです。次回まで4年の時間がありながら、もしまた今回のように「自分らしさが感じられない俳句だった」と言うのなら、それはみっともないです。

それから、今回辿り着けた「一次選考通過」というラインは、次回以降も維持したいと考えています。

 

では、最後に、自分の応募作品(受付番号78番)からベスト10句とワースト10句を並べて、この文章を終わりにします。

 

また、自分の応募作品、さらにはそれぞれの賞に選ばれた作品は、下に貼った「一次選考通過作品」のpdfからすべてお読みいただけます。是非よろしくお願いします。

 

自選ベスト10句

キョウチクトウ嫌いな人の名が綺麗

校歌っていつも嘘つき晩夏光

ただ咲いているだけなのに彼岸花

手品師の一瞬真顔ほうせんか

夏草や手首にそよぐ友の傷

致死量に達するほどの夏の雲

百日紅ものすごいって嘘くさい

教室で狼を飼う羊かな

カラオケで人が死ぬ歌八月来

ドアノブはドアの向こうを知らず春

 

自選ワースト10句

あめんぼが言うならここも海だろう

燕の子まだ雨の日を知らないで

つくづくとパンダは熊の目付きかな

からあげはもう無くなって日は短か

柚子実るみなごつごつの笑顔かな

日々という風蝕に立つヒヤシンス

なぞなぞの答えのように蝶が来る

霜の華最後に笑ってくれました

かぶとむしあの頃バカと言い合えた

はだれ雪もっとも人を遠くさせ

 

一次選考通過作品一覧→

http://fukiosho.org/_src/sc705/20180331.pdf

 

次回はそれぞれの賞に選ばれた作品から、特に印象的な句を何句かずつ取り上げたいと思います。