石田波郷新人賞について考えたこと
こんばんは。
昨日、我が家に『石田波郷俳句大会 第10回 作品集』が送られてきました。
石田波郷俳句大会というのは、俳句作家・石田波郷(1913〜1969)が胸膜炎のため1948年(35歳)より度々入所し、息を引き取った場所でもある国立東京療養所(現・東京病院)が清瀬市にあることに因み、2009年から清瀬市石田波郷俳句大会実行委員会の主催のもと開催されている大会です。
石田波郷俳句大会では、
・大賞
・清瀬市長賞
・角川『俳句』賞
・新人賞(準賞・大山雅由記念奨励賞)
・ジュニアの部
・一般の部
の6つに分けて、それぞれの賞や部門で俳句を募集をしています。
石田波郷俳句大会公式サイト→(http://city.kiyose.lg.jp/s055/020/010/070/20140919091641.html)
石田波郷新人賞公式ブログ→(http://www.ishidahakyo-shinjinsho.com/?m=1)
私はそのなかの新人賞に今回応募しました。今回はそのことを中心に書いていきます。
新人賞の応募要項は
・応募資格は30歳以下であること
・未発表句20句に表題を付けて応募すること
というものです。
また、審査員は甲斐由紀子・岸本尚毅・齋藤朝比古・佐藤郁良の4名です。
7月30日が締め切りだったので、6月頃からおよそ1ヶ月半か2ヶ月くらいに渡り、句の推敲を行ったり並び順を整理したりしました。
しかし、結果を先に申し上げると、私は新人賞・準賞・大山雅由記念奨励賞のいずれも受賞出来ませんでした。
今回の石田波郷新人賞の各賞受賞作は以下の3作品です。
新人賞「まだ雪に」岩田奎
準賞「裏うつり」渡辺光
大山雅由記念・奨励賞「月面」日下部太河
また、作品集では選考の様子と、審査員による選評も収録されているのですが、それを読んで各賞を決める前段階の一次選考にも通過出来なかったことを知りました。
先に書いたように作品集が送られてきたのは昨日ですが、各賞の受賞者をはじめて知ったのは10月5日のことでした。
率直に言って、ものすごく悔しかったです。
以前、芝不器男俳句新人賞に応募したときの記事でも書きましたが、私は口語体(話し言葉)・現代仮名遣いを基調に俳句を書いています。
芝不器男俳句新人賞について書いた記事→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/15/124205)
それは、「俳句で口語体や現代仮名遣いを使う分、作者である私の思いも読者に伝わりやすいのではないか」という思いからです。
芝不器男俳句新人賞に応募したのは今年の1月中旬でしたが、それから石田波郷新人賞に応募した7月末までの約半年間、私のなかでその思いはさらに強くなっていました。
石田波郷新人賞に応募した20句は、そうした口語体も踏まえ、自分が理想とする俳句にベストを尽くしたという自負もありました。
それだけに、受賞したいという思いも、受賞出来なかったという悔しさも、芝不器男俳句新人賞のときより強かったです。
また・・・これは受賞出来なかった悔しさから感じた、冷静な意見ではないかも知れませんが、作品集を読んで石田波郷新人賞は全体として口語体の俳句を軽く見ているような印象を受けました。実際、石田波郷新人賞の各賞の受賞作は、いずれも文語体・旧仮名遣いの作品でした。
先に書いたように私は俳句に於ける口語体での表現を重要視していますが、全面的に文語体より口語体のほうが優れているとは思っていません。石田波郷新人賞の受賞作にも良いと思う句はありました。以下、そうした句を受賞作から5句ずつ引いていきます。
新人賞「まだ雪に」岩田奎
涅槃会やみなとはゆきのすぐ溶くる
うつし世を雲の流るる茅の輪かな
水羊羹風の谷中のどこか通夜
白式部手鏡は手を映さざる
まだ雪に気づかず起きてくる音か
準賞「裏うつり」渡辺光
ストローに関節のある立夏かな
台風一過創刊号のやうに空
溶けるまで漂ふを綿虫といふ
貼る前に糊乾きゆくかみなづき
ポケットにあるはずの鍵鳥帰る
大山雅由記念・奨励賞「月面」日下部太河
卒業や傷付け合つて舟と陸
短夜の花瓶あらあらしく光る
つとめてのピアノあかるし水蜜桃
いくばくかひかがみ汚す障子貼り
白鳥を置き去りにする一日かな
また、石田波郷新人賞を抜きにしても文語体・旧仮名遣いで書かれた良い句はたくさんあります。私自身も、俳句を書き始めた当初は文語体・旧仮名遣いを使っていました。
しかし、そのことを踏まえても、口語体の俳句を軽く見ているような印象は拭えませんでした。
それは、各賞の受賞作の何句かに、五七五の韻律や、文語体の格調に甘んじていると思った句があったからです。
例えば、
新人賞「まだ雪に」のなかの
合格を告げて上着の雪払ふ
準賞「裏うつり」のなかの
東京や団扇をこんなにも貰ひ
大山雅由記念・奨励賞「月面」の
蝶追つててのひらはつつましき花
届かざる手紙さまよふ花野かな
これらの句からは、そうした甘えを感じました。
「合格を」の句からは、多少のドラマ性、世界観の広がりがあると思いますが、「東京や」の句からは単なる日常を切り取っただけという印象を受けます。
また、その逆に「蝶追つて」「届かざる」の句からは、いかにも俳句的な美しさを想望していて、現実感が伝わってきませんでした。
また、現実感について話を広げると、作品集の冒頭には石田波郷の長男である石田修大による「俳句は生活そのもの」という文章が掲載されています。
やや暴論かも知れませんが、「俳句は生活そのもの」と述べるのであれば、文語体・旧仮名遣いによる俳句を書いた時点で「そのもの」と言い切ることとの乖離が生じていると思います。
繰り返すように、私は俳句に於ける口語体での表現を重要視していますが、自分のなかでその根拠となっているのは、宮崎斗士句集『そんな青』(六花書林 2014年)の栞に寄稿されている柳生正名「『おっぱい』という語感」のなかにある文章です。この文章のなかで柳生は、文語体を基調とする自身の俳句と、口語体を基調とする宮崎の俳句の違いについて以下のように述べています。
筆者自身(註・柳生)は文語を基調に作句しており、宮崎との違いがどこから出てくるのか、興味をそそられる。自己分析的に思い当たるのは、自らの文語志向の背景には、俳句を口語に象徴される日常世界と切り離した別世界として立ち上げたい、つまり満たされない日常からの逃避先として俳句世界を位置付けたい、という“厨二病”めいた欲求が存在するようだ。
「伝統」を標榜する俳人も、建前は日常の常住坐臥や、ありきたりの自然をリアルに詠む立場を強調するが、実際は日常から逃れ出て、例えば「花鳥諷詠」という理念に基づき再構成されたヴァーチャルな空間に遊ぶがごとき句を詠むケースが多くなかろうか。
この文章の特に2段落目は、私の「俳句は生活そのもの」という文章への違和感と殆ど同じことについて述べていると思います。
また、「俳句は生活そのもの」を体現している句の一つとして選ばれたのが、「東京や団扇をこんなにも貰ひ」だとすれば、そのことも問題です。
今回の石田波郷新人賞で全体的に感じたのは、「自分とは全く違うところで俳句を書いている人がいる」ということです。揶揄等ではなく、率直にそう思いました。また、次回に応募するかどうかは、かなり悩んでいます。
最後に、大げさに聞こえるかも知れませんが、今回の新人賞の結果を受けても私はこれからもこの社会で感じたことや考えたことを肉声として俳句に書いていきたいですし、そのために口語体で書いていきたいです。