あたまのなかで

よろしくお願いします。神経症患者としてではなく、ひとりの人間として。俳句が好きです。Twitter→(https://twitter.com/ryuji_haiku)

将来の不安と、生きることについて


こんばんは


今日は夕方から夜まで仕事でした。家に着いて、 夕飯を食べて、お風呂に入って・・・それでいま、ベッドの上でこの記事を書いています。


この間の診察記録でも書きましたが、最近、全体として眠りが浅いです。


https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/07/100022


診察に行ったのが4月4日で、あれから約10日経ちましたが、診察に行った日より段々寝つきが悪くなっていると思います。


本当は、今夜もすぐに眠らなくちゃいけないんでしょうが、日付が変わって今日は休みですし、少し考えてしまうことがあるのでこうしてブログを書いています。


それは、将来の不安についてです。


家族や友人といった周りの人たちは普通に暮らしています。(普通という言葉は嫌いなんですが、どうしても普通に暮らしていると思ってしまいます)
普通に学校に行って、普通に仕事に行って・・・。


それなのに自分は、去年の5月末に神経症と診断され、それから8月末まで療養しました。
9月から今年の2月はじめまで働いていましたが、そのとき固定でアルバイトに入っていた工場からいきなりクビを言い渡されました。いままで自分が頑張ってきたことが、簡単に崩された気がして「死のう」とすら思いました。
そのことを医師に打ち明けたら、それからまた約1ヶ月療養し、3月のはじめから働きはじめています。


・・・前回の診察記録でも少し触れましたが、こうして書いてみると、まだ1年も経っていないのに、ずいぶん長い時間を過ごしてきたように感じます。


そして、神経症になってから、いつも私の頭をもたげるのは「履歴書にどういう風に書こう?」という不安です。
私の新卒での社会人経験は、わずか約1ヶ月半でした。その後は先ほど書いた経緯からも分かるように、療養かアルバイトか派遣社員(現在)を繰り返してきました。


抗不安剤を服んでいる関係で、運転免許は取得出来ません。また、もともと免許を取るために勉強していた段階で神経症を発症しました。


その他に持っている資格もあまり多くありません・・・。漢字検定2級と、P検パソコン検定)4級くらいかな・・・?


このように、ほぼ職歴なし、運転免許なし、ほぼ資格なし、神経症あり、という立場で将来を考えると、やはり不安になります。


・・・そして、その不安を断ち切るための手段として、自殺を考えてしまうことも事実です。


先ほど、2月のはじめに勤めていた工場からいきなりクビを言い渡されたとき「死のう」と思ったと書きました。このときは、埼玉医科大学病院が山のなかにあることから、「荷物のなかにロープを入れて、病院の最寄り駅を降りて山道へ入り、山のなかで首を吊ってしまおう」とまで具体的に考えてしまっていました。
いまは、そこまで強い自殺願望ではありません。しかし、ぼんやりとした希死念慮は時折感じてしまいます。そうしたときの自分の思いとしては「死にたい」と言うより「消えたい」と言ったほうが近いです。


もちろん、この自殺が逃避以外のなにものでも無いことは事実です。


それでも、本当に、将来が不安でたまらないときがあるんです・・・。


自殺について思い出したことがあります。「あの素晴しい愛をもう一度」等のヒット曲で知られるミュージシャン・プロデューサーの加藤和彦は、2009年10月に自殺しました。


多くのヒット曲を自らの手で、またプロデュースによって産み出してきた彼でしたが、晩年に鬱病を患っており、自殺はそれが悪化して起きたことでした。


そして、彼の遺書は、こんな書き出しから始まっています。


「今日は晴れて良い日だ。こんな日に消えられるなんて素敵ではないか」


・・・正直に言えば、この遺書の書き出しに私は肯いてしまうことがあります。


加藤和彦の自殺の方法は首吊りでした。首吊りの遺体は凄惨なものだといいます。いや、首吊りに限らず自殺した遺体というのはどれも凄惨なものでしょう。


それでも、それでもです。私も含め、「自分がこの世から消えられる」ことを求めてしまうのです。


多分、自殺の根本として言えるでしょうが、そのことを求めてしまうのは、自分のことで追い詰められていて、他人のことを考える余裕が無いからだと思います。


・・・いまは、なんとか生きていたいという思いのほうが強く持てています。


具体的には、自分にとって楽しみなことを探すようにしています。
例えば、日付が変わって今日、夕方から学生時代の友人とご飯を食べる予定があります。
私の体調がどこまで良いかは、自分でも分かりませんが・・・(苦笑)
とにかく、大学を卒業して以来初めて揃うメンバーなので楽しみです。


このように、近いうちに楽しみな予定を入れていくことが、自分にとって「生きていたい」という思いをより長く持たせる方法の1つです。


そういえば、学生時代にどういう会話の流れだったかは忘れてしまいましたが、神経症ではありませんが心の病を抱える友人に「いま頑張っていることはある?」と訊いたことがありました。
私とっては、ほんの世間話のつもりでした。


しかし、友人から返ってきた答えは


「生きること」


という、思いも寄らないものでした。


そのときは正直、どう返答して良いか分かりませんでしたが、振り返ってみると、心の病と長い間戦ってきた友人にとっては、何よりの実感が込められた答えだったと思います。


そして、私も神経症の診断を受け、先ほど書いたような楽しみな予定を増やすことが、私にとっての「生きること」の1つだという気がします。
時折あらわれる希死念慮をどうにか消すために。


私にとっての「生きること」が、例え直接的に将来の不安を解消することには繋がらなくても、「死にたい」「消えたい」という思いに打ちひしがれるよりかは遥かに良いことだと信じています。


なんだか、言葉に興してすっきりしました。考えてみれば、この「ブログを書くこと」も「生きること」ですね。


そろそろ夜更かしし過ぎてしまった感じがするので、寝ようと思います。


おやすみなさい。