北海道旅行記 2日目① 〜登別温泉へ行く〜
こんばんは。
前回に引き続き、8月28日(火)から8月30日(木)までの、2泊3日の北海道旅行について書いていきます。
今日は2日目について。ちなみに、1日目の様子は前回の記事をお読みください m(_ _)m→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/20/205644)
・8月29日(水)
・死に体で迎えた朝
・スープカレーへの憧れ
・担担麺を食べることに
・「わくわく号」で旅館へ向かう
・旅館の夕食、まだまだ続く北海道旅行
・死に体で迎えた朝
前日に髙田さんから「死ぬまで呑みましょう。」と言われ、私たちは焼き鳥が美味しい居酒屋とカルパッチョが美味しい居酒屋をハシゴしました。さらにコンビニでビールを買い、髙田さんのご自宅でも深夜まで呑み続けました。
その結果、髙田さんの「死ぬまで呑みましょう。」という言葉が予言だったかのように、翌朝8時頃に目を覚ました私は死に体でした。頭が痛いし、全身の節々も痛かったです。
この日は登別温泉に行く予定でした。14時に、札幌駅から登別温泉にある旅館「第一滝本館」まで直通しているバスに乗ります。なので、その前の晩に「12時くらいに起きて、12時半くらいに家を出ましょう。」と2人で確認し合いました。
ところが、実際に朝が来てみると私だけが早く起きていました。それも先に書いたように、起きたは良いけど死に体でした。
そんな感じで8時頃から12時までの約4時間、私は布団のなかで寝たり起きたりを繰り返していました。
ちなみに途中、お手洗いをお借りしようと私が泊めていただいた部屋を出て、隣の部屋にいらっしゃる髙田さんをドアのガラス越しに見てみると爆睡していました。うらやましいと思いました。
やがて12時頃に髙田さんが起きてこられました。私が「おはようございます」の次に髙田さんに言ったのは「シャワーを貸していただいても良いですか?」ということでした。
先に書いたように、この日は札幌駅から登別温泉の旅館までバスで行くんですが、その道程が約2時間かかるんです。頭も体の節々も痛かったそのときの私は「こんな状態で2時間もバスに乗るなんてムリだ!」と思いました。
幸い、快くシャワーを貸してくださり、だいぶ死に体から解放されました。
12時半頃、髙田さんのお父さんが車を運転してくださり、札幌駅まで向かいます。ここで髙田さんのご自宅とはお別れです。一晩泊めていただきどうもありがとうございました!
・スープカレーへの憧れ
髙田さんのご自宅の最寄り駅から出発し、札幌駅に着いた頃には13時を少し過ぎていたと思います。
お昼時ということもあり、電車内での会話も自然と食べ物の話になります。何と言っても北海道は美味しい食べ物がいっぱいあるところですからね。
そんな会話のなかで、髙田さんが薦めてくれたのが札幌駅内の飲食店街にある「奥芝商店 実家」というスープカレーのお店。
「奥芝商店 実家」の食べログ→(https://s.tabelog.com/hokkaido/A0101/A010101/1055977/top_amp/)
私にとってスープカレーと言えば、「名前は聞いたことがあるけど食べたことがない」ものの一つでした。大泉洋がテレビでその魅力を盛んに喋っていたのがやけに印象的です。
大泉洋はともかく、髙田さんからスマホで見せてもらったそのお店のスープカレーはどれも美味しそうでした。そんな感じで、「今日のお昼はスープカレーを食べよう」と2人のなかで決まりました。
・担担麺を食べることに
札幌駅に着き、早速飲食店街に向かいます。しばらく進むと「奥芝商店 実家」はありました!・・・が、スゴい行列。人気店らしく、その列が途絶える気配はありません。正直私はかなりお腹が減っていたので、並んでまで食べる気力はありませんでした・・・。
というワケで、同じ飲食店街にあった「175°DENO担担麺」というお店へ行くことにしました。
「175°DENO担担麺」公式サイト→(https://www.175.co.jp/)
店名からも分かるように、担担麺のお店です。このお店の担担麺は刺激の強さが花椒の量によって
・シビれない
・シビれる
・すごくシビれる
の3つに分かれています。このお店も電車内での会話のなかで「美味しいよ」と話題にのぼっていました。
はじめに食券を買うシステムで、私は「黒ごま担担麺(汁あり)」の「シビれない」を注文。髙田さんは「黒ごま担担麺(汁なし)」の、確か「シビれる」か「すごくシビれる」のどちらかを注文していました。
私のもとに運ばれてきた「黒ごま担担麺(汁あり)」の「シビれない」がこちら。
美味しそうでしょう?美味しかったです。
上にはナッツものっています。ナッツがのっている担担麺というのはあまり見たことがなかったのですが、担担麺のスープの辛さとナッツのコクが不思議と合っていました。
正直、「せっかく札幌まで来たのに、『シビれる』を選んで辛くて食べられなかったらもったいない」と考えて「シビれない」を頼んだのですが、実際に食べてみると思っていたよりマイルドな味で「これなら『シビれる』も食べられるかも知れない」と思いました。また札幌に行くときに食べに行きたいお店です。
それから、「奥芝商店 実家」のスープカレーもいつか食べてみたいと思います!
・「わくわく号」で旅館へ向かう
担担麺に大満足したまま、私たちは登別温泉の旅館「第一滝本館」まで直通しているバスに乗ります。
ちなみに、そのバスの名前は「わくわく号」と言います。「5歳児が考えたみたいな名前ですね」と声に出してしまいました。
「わくわく号」に乗っていく
バスのなかでも髙田さんと様々な話をしましたが、特に印象的だったのが髙田さんの大学生当時のお話でした。
前回のブログでも書いたように、髙田さんは現在は札幌にお住まいですが、大学生当時は東京都内の大学に通っていました。
その大学生生活で、自分と同世代の俳句作家とお会いしたり、様々な句会に参加したりしたそうです。
私は、いままで「海原」(旧・海程)の句会のみに参加することを、半ば意識して続けていましたが、「それではいけない」と考え直しました。髙田さんのように、「海原」に限らず自分の興味のある俳句作家と会ったり、句会に参加したりすることの必要性を感じました。
(ちなみに、その第一歩として来月に「LOTUS」という同人誌の句会に参加します。その様子もブログにあげる予定です。お楽しみに〜)
そんな感じで、途中一度サービスエリアでの休憩をはさみ、「わくわく号」は約2時間後の14時に「第一滝本館」に到着しました。
「第一滝本館」公式サイト→(https://takimotokan.co.jp/)
バスを降りてまず感じたのが硫黄の匂いです。上の写真の右側に写っている滝は、実は温泉が流れています。「登別温泉に来た」という思いが高まっていきます。
そしてこれが旅館のロビーです。広かったです。髙田さんが2人分のチェックインをされている間することもなかったので、この高い天井をただただボーッと眺めていました(笑)
部屋の鍵が思った以上に開けるのが難しいというハプニングもありましたが(フロントの方に直接訊いて開けられるようになりました)、私たちが泊まった部屋は広々とした洋室でした。大きな窓からは、旅館の中庭を見下ろすことも出来ました。
きれいな中庭
髙田さんは部屋に少しいた後、浴場へ行きました。私は荷物の整理をしたかったので部屋に残ることにしました。
それから、浴衣に着替えようとも思いましたが、帯が思った以上に長く結びづらかったのでさっさと諦めて、家から持ってきた甚平に着替えてダラダラ過ごしていました。
しばらくすると髙田さんが部屋に帰ってきました。ちょうど夕食が始まる時間だったので、食堂へ行きました。
・旅館の夕食、まだまだ続く北海道旅行
第一滝本館での夕食・朝食はどちらもバイキング形式でした。旅行の前の打ち合わせで髙田さんからそのことを教えていただき、私はもちろん楽しみに感じていましたが、半面不安にも感じていました。
何故なら、私はバイキングでの盛り付けがとても下手だからです。友人と旅行に行っても、いつも目の前の友人がきれいに盛り付けたプレートを遠い目で眺めるだけでした・・・。
そんなワケで私のバイキングの写真はありませんが、食べたものは少し紹介しようと思います。まずはこちら。
いくら丼です。いくらはもちろん北海道産ですし、またお米も「ななつぼし」という北海道産のお米です。
口に含んだ瞬間、いくらがプチプチとはじけて大変美味しかったです。
また、いくらの他にも海鮮系のおかずは充実していました。それからラーメンやステーキ、竜田揚げもありました。デザートも豊富でした。
ちなみに、私の目の前の髙田さんのプレートはとてもきれいでした。
そんな感じで、お昼の担担麺に続き夕食も大満足で終わりました。
・・・とここまで書いて3614文字。
本当は夕食の後もようやく私が入ったお風呂のことや、旅館のそばの温泉街を回ったこと、間欠泉や登別温泉の「地獄谷」を回ったこと、部屋で映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」について語ったこと・・・等、書きたいことがまだまだあるのですが、それを書き進めてしまうとあと2000文字から3000文字は必要になってしまうでしょうから、今回はこのあたりでとりあえず終わりにしたいと思います。
楽しかった北海道旅行記はまだまだ続きます !(*^▽^*)
北海道旅行記 1日目 〜髙田獄舎さんと初めてお会いして、札幌でお酒を呑みまくりました〜
こんばんは。
少し前の話ですが、8月28日(火)から30日(木)までの2泊3日で北海道旅行に行ってきました!
本当は旅行から帰ってきた直後に感想を書きたかったのですが、それから約1週間後の9月6日(木)に北海道で大きな地震があり、なんとなく書きそびれてしまっていました。
というワケで、早速その2泊3日を振り返っていこうと思います。
まず、今回私を北海道旅行に誘っていただいたのは札幌在住のフォロワーさん・髙田獄舎さん。俳句や短歌を書かれています。
髙田さんのブログ「愚人正機」→(http://guzinsyouki.blog.fc2.com)
髙田さんの俳句50句連作「ふるさと」→(http://guzinsyouki.blog.fc2.com/blog-entry-41.html)
髙田さんから今年の5月初旬くらいに初めて北海道旅行の誘いを受け、8月上旬くらいまでにTwitterのDMで具体的なことを決めて行きました。
それでは、まずは1日目の様子を目次付きでどうぞ!
8月28日(火)
・出発
・髙田さんと合流、テレビ局のインタビューを受ける
・赤レンガ庁舎と札幌時計台
・「死ぬまで呑みましょう」
・札幌の夜景を一望する
・出発
今回私が羽田空港から乗った便は12時50分羽田空港発14時20分新千歳空港着・AIR DO23便です。
搭乗券
朝早くに埼玉の家を出て、羽田空港に到着します。「空港が混んでいたらどうしよう」等と考えた結果、出発時刻の2時間前までには空港に着いていました。どう考えても早過ぎました。
空港内の立ち食いそば屋でお昼を食べたあとは特にすることもなく、「北海道は寒いだろうな」と考えて用意したブルゾンと長袖Tシャツに早くも着替え、ひたすら出発時刻まで待ちました。
割と気に入っているTシャツ
出発時刻の約1時間くらい前には、手荷物検査を経て搭乗口に通されます。空港の大きな窓から自分の乗る機体が見えるとやはり興奮します。
55番搭乗口
窓から見えるAIR DO23便
12時50分、予定時刻通りに飛行機は出発。自由席だったので、私の席は3人掛け席の真ん中でした。
しかし、飛んでいる間に外の景色を眺めるという行為は自分が考えていた以上に気晴らしになっていたようで、フライト中はそれが出来なかったぶん、すこし窮屈な思いをしてしまいました・・・(^_^;)
そんなことがありながらも、飛行機は14時20分、これも予定時刻通りに新千歳空港に到着しました。生まれて初めて北海道にやってきました。
・髙田さんと合流、テレビ局のインタビューを受ける
その後、新千歳空港からさらに電車で40分ほどかけて札幌駅まで向かいます。途中、窓を流れる広々とした草原を見ているうちに「オレはいま北海道に来ているんだ・・・」という思いが強くなっていきます。
3時半頃、札幌駅で髙田さんと合流します。髙田さんの第一印象は、物静かで真面目そうな方でした。
札幌駅の構内でアイヌの生活の展示?をしていましたが、よく分からなかったのでスルーしてしまいました(苦笑)
アイヌの生活の展示。もっとよく見ておけば良かったかも知れない・・・。
ちなみに、札幌駅から北海道庁旧本庁舎(いわゆる赤レンガ庁舎)に行くために歩いていたのですが、途中でテレビ局からのインタビューを受けました。
質問は「ひと月にどれくらい本を読みますか?」というもので、髙田さんも私も「10冊から20冊くらい」と答えた・・・ような気がします。
相手はどこのテレビ局かも名乗らなかったので、どんな番組のインタビューかも分からなかったのですが、北海道に着いて初めての体験がテレビ局からのインタビューというのは、なんとも強烈な体験でした。
・赤レンガ庁舎と札幌時計台
程なくして赤レンガ庁舎に到着。
実際に見た赤レンガ庁舎は、写真で見るよりもレンガの重厚感があってずっと格好良かったです。2枚目の写真の屋根に見える赤い星も印象的でした。
赤レンガ庁舎の内部は、北海道庁舎として実際に使われていた頃の品々の展示から、明治時代の北海道の開拓史についての展示、北方領土についての展示、さらには北海道ゆかりの画家の絵の展示まで、北海道に関する事柄が幅広く展示してありました。内部の造りも、外から見たときと同じように重厚感のあるものでした。
赤レンガ庁舎のあとは、大通り公園を経て札幌時計台に進みます。大通り公園には何人もの人たちがベンチでくつろいでいました。
さて、これはご存知の方も多いかも知れませんが、札幌時計台は高層ビルに囲まれたなかに建っています。
そのため、なんとなく自然のなかに堂々と建っている様子を想像して実物を見ると、ガッカリしてしまうことが多いです。
しかもその日は改装工事中。ただでさえガッカリ度が高いのに、改装工事中ともなればそのガッカリ度には拍車がかかっているだろうと、ひねくれた期待をして時計台まで向かいます。
そうした期待を胸に、実際に見た札幌時計台がコレです。
・・・なんというか、非常に「ダメ」な感じがしますね。
改装工事のブルーシートに時計台の絵が描かれているのは「せめて時計台の感じを出そう」という施工者側の思いなんでしょうが、それが却って「ダメ」な感じを助長させていると思います。髙田さんと2人で「ダメですね」「ダメですね」とうなずき合いました・・・(笑)
・「死ぬまで呑みましょう」
札幌時計台のあとは、すすきの近くにある居酒屋さん「串鳥」で、少し早めのご飯を食べます。主に北海道内にお店がある居酒屋さんで、店名の通り焼き鳥が美味しいお店です。
「串鳥」の公式サイト→(https://kushidori.com/)
考えてみれば、3時半頃に髙田さんと合流してから、はじめて腰を落ち着けられた場所でした。お互いに俳句を書いているので、焼き鳥を食べお酒を呑みながら俳句についての色々な話題を話しました。
私が今年の7月末に応募した石田波郷新人賞の作品と、髙田さんの連作「ふるさと」とを見せ合ったりもしました。
「串鳥」を出たあとも、その隣にあったワインと海鮮がメインの居酒屋さんに行きます。(名前は忘れてしまいました)
ここのお店のカルパッチョはすごく美味しかったです。それから、ワインも色んな種類がありました。
大通り公園を歩いているときに、髙田さんから「今夜は死ぬまで呑みましょう」と言われたのですが、この2軒目のお店でそれが現実味を帯びてきたと思います。
「死ぬほど呑んでいる」途中の様子
2軒目を出たあとは、かなり酔いが回っていました。(ここから記憶も曖昧になっています)
・札幌の夜景を一望する
そのかなり酔いが回った状態で、JRタワーの展望台へと向かいました。たぶん、展望台の開館時間が終わってしまうギリギリで、どうにか間に合いました。
タワー38階、地上160mから眺める札幌の夜景はとても綺麗でした。繰り返すようにかなり酔いが回っていたので、「絶対あとで覚えていない」と思い写真を撮りまくりました(笑)
ちなみに、すすきので有名なニッカウヰスキーの大きな看板も写真に撮りました。
この日は髙田さんのご自宅へ泊めていただくことになっていたので、札幌からタクシーで髙田さんのご自宅まで向かいます。(既に終電は乗り過ごしていました)
それで・・・多分、そのタクシーに乗る前に、札幌駅の近くのコンビニでビールとポテチを買ったと思います。髙田さんのご自宅でビールを呑みながら深夜まで話した記憶があるので。
髙田さんはいくら酔いが回っても私のことを「リュウジ」などと呼び捨てにはしませんでしたが(されてもまったく構いません)、私と言えば髙田さんのご自宅に着く頃になると「獄舎〜」と呼び捨てにしていたと思います。単刀直入に言えばウザ絡みです。
翌朝髙田さんに謝罪し、髙田さんも「別に良いですよ」と言ってくれましたが、やはり思い返すと恥ずかしくなります・・・。
それからも午前の2時か3時まで話して、ようやく寝たと思います。
こんな感じで北海道旅行の1日目は終わりました。
2日目は札幌駅から専用のバスに乗り、2時間ほどかけて登別温泉まで行ったので、その様子を書いていきます。なるべく早めに更新するつもりなので、お楽しみに (^_^)
(前回の続き?)Twitterでのセロトニン分泌のツイートについて
(前回のブログからの続きで読んだほうが良いかも知れません・・・)
前回のブログ→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/12/212436)
ちなみに、ここからは私のTwitterを読んでいただいている方向けの話なんですが・・・。
私はある時期、セロトニンを分泌するために朝起きてすぐ外に出て、日光浴をしていました。
また、その日の太陽の写真と合わせてツイートをしていました。
8月25日
8月26日
8月27日
8月31日
9月5日(曇り空ですが・・・)
しかし、最近はそうしたツイートをしていません。
それは、いままで書いたように、清掃のアルバイトが始まり、朝5時半頃に起きて、出勤の準備をするなかでそうした時間が取れないからです。
しかし、言い換えれば通勤中に自転車に乗りながらセロトニンを分泌しているとも言えます。
というワケで、ツイートは難しくなってしまいましたが、朝早く起きてセロトニンを分泌していること自体は続けているのでご安心ください (^_^)
以上、細かいことですが、報告でした m(_ _)m
診察記録 2018年9月 〜新しい仕事が始まりました〜
こんばんは。
前回の記事で、アルバイトがキツくて何日間か無断欠勤をしてしまい、その職場を辞めたことと、いま新しいアルバイトが決まりつつあることを書きました。
前回の記事→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/01/225224)
そのあとのことですが、結果的に最初に採用を受けた職場で働くことになりました。
仕事の内容は最寄りの駅に隣接するショッピングモールの清掃です。9月7日から始めて、もうすぐで1週間になります。
勤務時間は、最初は
・午前7時から午前10時まで
です。その後、仕事に慣れてゆくに連れて
・午前7時から午後12時まで(休憩30分)
・午前7時から午後5時まで(休憩2時間)
という風に勤務時間が長くなっていきます。(ちなみに、朝の5時半頃に起きています。早い・・・)
私は働き始めたばかりなので、まだ午前7時から午前10時までの日が多いのですが、それでも午前7時から午後12時までの日もあります。(明日もその時間です)
もちろん、勤務時間が長ければそれだけお給料ももらえるので、頑張ろうと思います。(欲しいものがたくさんあるのです・・・笑)
ただ、いまは「お金を稼ぐ」ということよりも、「ゆっくり仕事に慣れてゆく」ということを重要視していきたいです。
何故なら、前の職場では「お金を稼ごう」と焦るあまり、例えば自分のなかのストレスとの向き合い方について考えることをおざなりにしてしまっていたからです。
新しい清掃の仕事は、前の職場より一緒に仕事をする人数も少ないし、仕事の内容も単調だと思いますが、それでもストレスを全く感じるということはありません。
そうしたストレスに対する向き合い方を、新しい仕事で考えたいです。
話は少し変わりますが(というかタイトルの話にようやくなりますが)、今日は埼玉医科大学病院での診察でした。
前回の診察で、先生も私がこのままのアルバイトを続けられるか気にしていたので、いままでこのブログに書いたような経緯を話しました。
「清掃の仕事です。」と私が言ったとき、「木村さんには向いている仕事だと思う。」と先生が仰ったことが嬉しかったです。
最近の体調については言えば、集中力が続かず、頭に霧がかかったような感じが時々あるのですが、先生の言葉も励みに新しい仕事を頑張ろうと思います。
それから、処方せんは前回から睡眠導入剤が1回1錠から2錠に増えましたが、今回の診察でもそれは変わりませんでした。
現在の薬の状況です。
・頓服薬 ロラゼパム錠「サワイ」0.5mg 10回分
・頓服薬 「レキソタン錠」5mg 10回分
・睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
では、明日も早いのでそろそろ寝ようと思います。
おやすみなさい。
『海原』創刊!
こんばんは。
日付が変わって昨日、9月1日に『海原』(かいげん)が創刊されました。
今回は、そのことについて書いていきます。長くなるので目次付きでどうぞ。
1.『海原』はどんな俳句雑誌か
2.「同人」と「会友」の違い
3.創刊号で嬉しかったこと
1.『海原』はどんな俳句雑誌か
『海原』は、このブログでも何度か取り上げている『海程』(かいてい)の後継となる俳句雑誌です。
「海程」は1962年の創刊以来約56年間続いた俳句雑誌でしたが、昨年の5月金子兜太主宰から終刊が発表されました。
また、当初は金子主宰ご自身も「海原」の創刊号を手に取られる予定でしたが、それが叶うことはなく、今年の2月に98歳で亡くなられてしまいました。
金子主宰の死後、今年の7月に「海程」は終刊号を迎え、その約56年の歴史に幕を下ろしました。
それから約2ヶ月経ち、安西篤さんの代表のもと「海原」の創刊号が出されました。
もちろん、「海程」の句会等でその存在は知っていましたが、やはり実物を見ると感慨深いものがありました。
そして、これもこのブログで何度か書いていることですが、私は「海程」時代、句会に俳句を送ることはあっても、「海程」の会員になることはしませんでした。さらに言えば、私が初めて「海程」の句会に出席したのが既に終刊が発表されたあとだったので、敢えて会員にはなりませんでした。
つまり、「海原」は私にとって初めて所属する俳句雑誌というわけです。先に書いた感慨深さのなかには、単に実物を見たという思いだけではなく、そのような思いも大きくありました。
2.「同人」と「会友」の違い
「海原」に所属している俳句作家には大きく分けて2種類あります。それは「同人」と「会友」です。
「同人」は「海程」に所属していたときに何か賞を受賞したことがある俳句作家。「海程」の時代から同人であり、句歴が長い方が多く、俳句の賞の選考委員を務められている方もいらっしゃいます。
対して「会友」は、まだそうした賞を受賞していない俳句作家。句歴も比較的短い方が多いです。
繰り返すように私は「海原」から所属したので会友です。
この「同人」「会友」という分かれ方は、誌面にも反映されています。
つまり、同人には「碇の衆」「光の衆」「風の衆」「帆の衆」というページがあり、それぞれに同人たちの俳句が掲載されています。
この「衆」と名付けられた4つのページが、どのような基準で同人の方を分けているのかは詳しくは分かりません。ただ、私が読んだ限りでは、「碇の衆」には「海程」の時代から同人であった方のなかでも、さらにベテランの同人の方が集中していると感じました。
対して会友には「海原集」というページがあり、会友の方たちの俳句が掲載されています。
「海原集」では、発行人・武田伸一さんの選により、上位30位までの会友が元々投句した5句のうち4句掲載されます。30位より下は3句掲載されます。
また、その上位30位までのうち、さらに武田さんが良いと思われた句は「好作三十句」のなかに選ばれ、1ページにまとめて掲載されます。
おおよそこうしたことが、「海原」での同人と会友との違いです。
3.創刊号で嬉しかったこと
そして、会友である私にとって、その創刊号で嬉しいことがありました。
先に述べた上位30位までのなかに選ばれたのです。
初めて俳句雑誌に投句をして、その5句のうち4句が掲載されたということは非常に驚きましたし、嬉しかったです。
また、「好句拾録」というコーナーに、その4句のうち1句が掲載されたことも嬉しかったです。
「好句拾録」は、そのタイトルの下にかっことじで「好作三十句を除く」と書かれているので、「好作三十句」の次点のようなものだと自分では捉えています。
これが「好句拾録」に掲載された1句です。
半分は薬のからだ 百合活ける リュウジ
この嬉しさに甘んじることなく、次は「好作三十句」に掲載されるように頑張りたいです。
そして、さらに大きな目標として、この「海原」を通じて、自分らしい俳句をさらに書いていきたいと思います。
具体的には、口語体表現についてや類想句に対する避け方等を当面の課題として考えていきたいです。
最後に、『海原』について、私の主観ではなくどんな俳句雑誌か知りたいという方は、こちらのブログをおすすめします。大井恒行さんという俳句作家の書かれているものです。
大井恒行の日々彼是:安西篤「災後七年いま災前や半夏生」(「海原」創刊号)→http://ooikomon.blogspot.com/2018/08/blog-post_29.html
無断欠勤のその後
こんばんは。
久しぶりのブログ更新です。
前回のブログで、アルバイトに行くことが怖く、無断欠勤を続けているということを書きました。
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/08/22/235628
今回はその後のことについて書きたいと思います。
結論から言うと、会社に電話をして、アルバイトを辞めることにしました。
ブログを書いた翌日の23日(木)、会社に電話をして、いままでの無断欠勤を謝り、8月いっぱいでアルバイトを辞めたいと伝えました。
電話に出た上司は渋々といった感じでしたが、退職は認められました。
無断欠勤を続けたことは良くないと思っています。しかし、心身ともに限界でした。
前回のブログにも書きましたが、事務所の代表や上司の仕事の方法についていけませんでした。
電話を切り終わった後、頭痛と左肩の痛みがどっと押し寄せてきて、フラフラとベッドに横になってしまいました。
その身体の正直な反応に、少しだけ「自分は間違っていない」と思えました。
また、無断欠勤を続けていた間は、とにかく気分の沈みがひどかったです。一日中ベッドに横になって、気づけば泣いていました。家族からの呼びかけにも、満足に反応出来ないときもありました。
それが、会社へアルバイトを辞めたいと伝えてからは、段々と気分も落ち着いてきました。やはり、気分の沈みの原因として、働いていたときからのストレスに加えて、無断欠勤を続けてしまっている疚しさもあったんだと思います。
そして、いまは「自分が出来るアルバイトは何か」ということを考えて、新しいアルバイトを探している最中です。
実を言うと、面接を受けた会社のうち、1つから採用の電話をもらえました。
ただ、その会社の入社日までに、面接を受けたもう1つの会社の採用の合否が分かるので、それが分かってから、最終的にどちらの会社で働き始めようか決める予定です。
いまの私の状況はこんな感じです。とりあえず、ひどい気分の沈みからは抜け出せました。
いつもいつも思うのですが、新しい会社が良いところであることを願います。