あたまのなかで

よろしくお願いします。神経症患者としてではなく、ひとりの人間として。俳句が好きです。Twitter→(https://twitter.com/ryuji_haiku)

『海原』創刊!


こんばんは。


日付が変わって昨日、9月1日に『海原』(かいげん)が創刊されました。

 

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今回は、そのことについて書いていきます。長くなるので目次付きでどうぞ。


1.『海原』はどんな俳句雑誌か

 

2.「同人」と「会友」の違い


3.創刊号で嬉しかったこと


1.『海原』はどんな俳句雑誌か


『海原』は、このブログでも何度か取り上げている『海程』(かいてい)の後継となる俳句雑誌です。


「海程」は1962年の創刊以来約56年間続いた俳句雑誌でしたが、昨年の5月金子兜太主宰から終刊が発表されました。

また、当初は金子主宰ご自身も「海原」の創刊号を手に取られる予定でしたが、それが叶うことはなく、今年の2月に98歳で亡くなられてしまいました。


金子主宰の死後、今年の7月に「海程」は終刊号を迎え、その約56年の歴史に幕を下ろしました。

 

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それから約2ヶ月経ち、安西篤さんの代表のもと「海原」の創刊号が出されました。

もちろん、「海程」の句会等でその存在は知っていましたが、やはり実物を見ると感慨深いものがありました。


そして、これもこのブログで何度か書いていることですが、私は「海程」時代、句会に俳句を送ることはあっても、「海程」の会員になることはしませんでした。さらに言えば、私が初めて「海程」の句会に出席したのが既に終刊が発表されたあとだったので、敢えて会員にはなりませんでした。


つまり、「海原」は私にとって初めて所属する俳句雑誌というわけです。先に書いた感慨深さのなかには、単に実物を見たという思いだけではなく、そのような思いも大きくありました。


2.「同人」と「会友」の違い


「海原」に所属している俳句作家には大きく分けて2種類あります。それは「同人」と「会友」です。


「同人」は「海程」に所属していたときに何か賞を受賞したことがある俳句作家。「海程」の時代から同人であり、句歴が長い方が多く、俳句の賞の選考委員を務められている方もいらっしゃいます。


対して「会友」は、まだそうした賞を受賞していない俳句作家。句歴も比較的短い方が多いです。

繰り返すように私は「海原」から所属したので会友です。


この「同人」「会友」という分かれ方は、誌面にも反映されています。


つまり、同人には「碇の衆」「光の衆」「風の衆」「帆の衆」というページがあり、それぞれに同人たちの俳句が掲載されています。

 

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この「衆」と名付けられた4つのページが、どのような基準で同人の方を分けているのかは詳しくは分かりません。ただ、私が読んだ限りでは、「碇の衆」には「海程」の時代から同人であった方のなかでも、さらにベテランの同人の方が集中していると感じました。


対して会友には「海原集」というページがあり、会友の方たちの俳句が掲載されています。

「海原集」では、発行人・武田伸一さんの選により、上位30位までの会友が元々投句した5句のうち4句掲載されます。30位より下は3句掲載されます。

また、その上位30位までのうち、さらに武田さんが良いと思われた句は「好作三十句」のなかに選ばれ、1ページにまとめて掲載されます。

おおよそこうしたことが、「海原」での同人と会友との違いです。

 

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3.創刊号で嬉しかったこと


そして、会友である私にとって、その創刊号で嬉しいことがありました。

先に述べた上位30位までのなかに選ばれたのです。

初めて俳句雑誌に投句をして、その5句のうち4句が掲載されたということは非常に驚きましたし、嬉しかったです。


また、「好句拾録」というコーナーに、その4句のうち1句が掲載されたことも嬉しかったです。

「好句拾録」は、そのタイトルの下にかっことじで「好作三十句を除く」と書かれているので、「好作三十句」の次点のようなものだと自分では捉えています。


これが「好句拾録」に掲載された1句です。

 

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半分は薬のからだ    百合活ける    リュウ


この嬉しさに甘んじることなく、次は「好作三十句」に掲載されるように頑張りたいです。


そして、さらに大きな目標として、この「海原」を通じて、自分らしい俳句をさらに書いていきたいと思います。

具体的には、口語体表現についてや類想句に対する避け方等を当面の課題として考えていきたいです。


最後に、『海原』について、私の主観ではなくどんな俳句雑誌か知りたいという方は、こちらのブログをおすすめします。大井恒行さんという俳句作家の書かれているものです。


大井恒行の日々彼是:安西篤「災後七年いま災前や半夏生」(「海原」創刊号)→http://ooikomon.blogspot.com/2018/08/blog-post_29.html

 

無断欠勤のその後

 

こんばんは。

 

久しぶりのブログ更新です。


前回のブログで、アルバイトに行くことが怖く、無断欠勤を続けているということを書きました。


https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/08/22/235628


今回はその後のことについて書きたいと思います。


結論から言うと、会社に電話をして、アルバイトを辞めることにしました。


ブログを書いた翌日の23日(木)、会社に電話をして、いままでの無断欠勤を謝り、8月いっぱいでアルバイトを辞めたいと伝えました。


電話に出た上司は渋々といった感じでしたが、退職は認められました。


無断欠勤を続けたことは良くないと思っています。しかし、心身ともに限界でした。


前回のブログにも書きましたが、事務所の代表や上司の仕事の方法についていけませんでした。


電話を切り終わった後、頭痛と左肩の痛みがどっと押し寄せてきて、フラフラとベッドに横になってしまいました。

その身体の正直な反応に、少しだけ「自分は間違っていない」と思えました。


また、無断欠勤を続けていた間は、とにかく気分の沈みがひどかったです。一日中ベッドに横になって、気づけば泣いていました。家族からの呼びかけにも、満足に反応出来ないときもありました。


それが、会社へアルバイトを辞めたいと伝えてからは、段々と気分も落ち着いてきました。やはり、気分の沈みの原因として、働いていたときからのストレスに加えて、無断欠勤を続けてしまっている疚しさもあったんだと思います。


そして、いまは「自分が出来るアルバイトは何か」ということを考えて、新しいアルバイトを探している最中です。

実を言うと、面接を受けた会社のうち、1つから採用の電話をもらえました。

ただ、その会社の入社日までに、面接を受けたもう1つの会社の採用の合否が分かるので、それが分かってから、最終的にどちらの会社で働き始めようか決める予定です。


いまの私の状況はこんな感じです。とりあえず、ひどい気分の沈みからは抜け出せました。


いつもいつも思うのですが、新しい会社が良いところであることを願います。

 

診察記録 2018年8月 〜仕事に行けない〜

 

こんばんは。

 

生来文章が長いせいもあって、毎月の診察記録もダラダラと書いてしまっていますが、今回は短めにします。

 

診察で先生と話したのは主にいまの仕事への不安なんですが、正直それを思い出すのもつらいです。

 

診察とは別に、まず処方せんについて書いておきます。

 

就寝前に服んでいる睡眠導入剤が1日1錠から2錠に増えました。

抗不安剤は、いままでと変わらず1日4回分(朝・昼・晩・就寝前)で、頓服薬もいままでと変わらず10回分処方されました。

 

それから、少し前のブログで自立支援医療制度が認定できたと書きましたが、今回の診察でそれを初めて使いました。

 

その結果、診察費が前回までの1,430円から480円になりました。また、処方せん代も前回の1280円から425円になりました。これは良かったです。

 

そして、その診察で話した仕事への不安と関連することなんですが、いま仕事を無断欠勤してしまっている状況が続いています・・・。先ほど「思い出すのもつらい」と書いたのも、このためです。

 

診察があったのは15日(水)。そのあと、16日(木)と17日(金)は仕事に行けました。

 

そして、18日 (土)は用事があって休みました。

 

この18日の休みが良くなかったんだと思います。翌日朝起きたら、体が重くて動きませんでした。

 

とりあえずその日は風邪気味と腹痛だと仕事場に電話して、休みました。

 

そして、その翌日、つまり19日(日)から今日まで仕事に行けていません。

 

仕事がどうしても怖いんです。私は薬の影響か、集中力が散漫になってしまい、ひどいときには伝票の文字も追えないような状況になります。

しかし、周りはその間次々と仕事を片付けていきます。そんななか私だけ一枚の伝票を睨んだままでいると、周りから無能の烙印を押されているようでつらいです。

 

それでも、上司には仕事を早く覚えるように急かされ、事務所の代表には「いつまでも伝票を置きっ放しにするな!」と言われ・・・。

 

そうした日々にストレスを感じていました。それが先に書いたように、18日の休みをきっかけに、私のなかの何かがぷつん、と切れてしまったんだと思います。

 

もうたぶん、いまの職場には戻れないでしょう。

しかし、これから先どうすれば良いのかという見通しも立てられません。

 

先日、TwitterのDMで何人かのひとに悩みを聞いてもらいました。そのひとと話せたこと自体は嬉しかったけれど、大きな気持ちの好転は起こりませんでした。

 

いまは家のベッドで1日中横になって、気付けば泣いています。

 

周りの人々(職場の上司に限らず、友人知人)への劣等感、職場への申し訳なさ、親への申し訳なさ、将来への不安・・・に押しつぶされています。

 

つらいです。

 

このまま生きていて良いのかな。

 

率直にそう思います。

 

聖書の花文字 〜高柳重信の俳句論についての雑感〜


こんばんは。

 

日付が変わり今日、また昨日と、仕事のことで悩み、メンタルがボロボロだったのですが、TwitterのDMで何人かのフォロワーさんに悩みを聞いてもらい少しですが落ち着くことが出来ました。


また、15日 水曜日から実に1週間も書けていなかった俳句もまた書けるようになりました。


その反面、最近、自分のなかで、「これが最後に書ける句かも知れない」と思うことが増えています。


先月末に「石田波郷新人賞」という、30歳以下を対象とした俳句の新人賞に応募しました。

応募前の準備段階から、普段句会でお世話になっている俳句作家さんにアドバイスをいただいたりしました。

それから、まだ結果は出ていませんが、先日の句会の二次会で、最終的な応募作品をプリントアウトしたものをその場にいらっしゃった皆さんにお渡しすると異口同音に「面白い」「上手だ」という声をいただけました。


しかし、その石田波郷新人賞以降、どうも自分の納得出来る句が書けていません。例えるなら、石田波郷新人賞を頂点として、だんだんと衰退の階段を下っているような気がします。


それが、先に書いたように「最近、自分のなかで、『これが最後に書ける句かも知れない』と思うことが増えている」ということの要因です。


そうした私が最近思い出すのは高柳重信(1923~1983)という俳句作家の言葉です。

重信は『「書き」つつ「見る」行為』(「俳句」誌    1970年6月号)のなかで、以下のようなことを書いています。

 


「これは、僕の率直な私見であるが、俳句のように単純化と普遍化を最高の詩法とする形式では、その技術を一つ一っ数えあげていっても知れたものである。まして、一人の俳人が、その資質に見合う範囲で会得できる技術は、いっそう知れたものであろう。また、その表現が可能な領域も、きわめて狭小であろう。それを充分に思いながら、表現の一回性ということを厳密に重んじてゆけば、その巧拙にかかわらず、たかだか一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」


高柳重信『「書き」つつ「見る」行為』全文→(https://sites.google.com/view/takayanagifukiko/%E9%AB%98%E6%9F%B3%E9%87%8D%E4%BF%A1%E9%96%A2%E4%BF%82%E7%9B%AE%E6%AC%A1/%E9%87%8D%E4%BF%A1-%E6%9B%B8%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%A4%E8%A6%8B%E3%82%8B%E8%A1%8C%E7%82%BA?authuser=0


つまり重信は「俳句に於いて一人の作家が百句ほども書いてしまえば、その世界観はほとんど尽きてしまい、あとは自己模倣の繰り返しになる」と言っています。自分がいま感じている停滞と重ね合わせると、この重信の言葉はなんだか怖く聞こえます。


また、重信は彼の弟子であった折笠美秋(1934~1990)との会話のなかで以下のようなことも話しています。(折笠美秋『君なら蝶に』1986年   立風書房


「またの日、高柳さんはこんな歎きを洩らした。

中世の修道僧達は、聖書の写本に精魂傾けた。唯の一字一句も、書き変えるわけにはゆかない。彼等が唯一、自分の個性を発揮出来るのは、各章の最初の一文字。

『この一個の花文字を、如何に飾るかに、智慧と意欲のすべてをそそいだわけですね。僕等の仕事も、この僧達と変わりありませんね。俳句形式に何かを書き加えたつもりでも、思うに、なしうることは実は花文字一つ飾ったにすぎない。そういうことでしょうね。ふふふ。』」


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折笠美秋『君なら蝶に』


これらの文章で重信がそれぞれ語っている、一人の俳句作家が書ける世界観の限界性と、俳句形式というものの矮小性。私はこれらの重信の文章に触れたとき、非常に驚きました。

それは、高柳重信という一人の俳句作家の考えに対する単純な驚きというよりも、重信がどのような俳句作家か少しではあるが理解していた上での驚きでした。


何故なら重信の句には、こんなものがあるからです。(『現代俳句の世界14   金子兜太高柳重信集』1984年   朝日文庫

 

身をそらす虹の

絶巓

            処刑台

 

くるしくて

みな愛す

この

河口の海色

 

杭のごとく

たちならび

打ちこまれ


このように重信は、俳句の世界で従来まで殆どを占めていた1行表記ではなく、多行表記で殆どの俳句を書いた作家です。

 

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『現代俳句の世界14    金子兜太高柳重信集』

 

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金子兜太高柳重信集』より。高柳重信


例えば1句目。「絶巓」という山の頂を意味する言葉を3行のうちの2行目の、さらに一番上に置くことで、「絶巓」という言葉に意味を超えた映像性を含ませています。

 

また、3句目の「墓」も、2行目にポツンと置かれる「墓」の文字が、やはり意味を超えて、「たちならび」とされながら、墓地のなかの一基の墓の持つ不気味さという映像性を含ませています。また、「杭のごとく」と書かれた1行目は当然「悔いのごとく」のダブル・ミーニングとして、そのあとの世界観に通じています。


これらが仮に


身をそらす虹の絶巓処刑台


杭のごとく墓たちならび打ちこまれ


と1行と表記されていれば、どうしても先に書いた「絶巓」「墓」の文字は1行のなかに流れていってしまい、ここまでのインパクトは持たないでしょう。


また、多行表記の亜種と言えば良いのでしょうか、重信には


の    夜

更    け    の

    拝

火    の    彌    撒

    に

身    を    焼

く    彩


(森の夜更けの拝火の彌撒に身を焼く彩蛾)


という、俳句自体が蛾の姿を取ったカリグラフィ的な句も存在します。(縦書きに書き直してみると、蛾の姿であるということがより分かりやすいと思います)


そして、話を戻しますが、このような従来の俳句とはまったく違うような多行の句を書いた重信が、「たかだか一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」と俳句の世界観の限界性、また「僕等の仕事も、この僧達と変わりありませんね。俳句形式に何かを書き加えたつもりでも、思うに、なしうることは実は花文字一つ飾ったにすぎない。そういうことでしょうね。」と俳句形式の矮小性をそれぞれ語っていたことは、私にとって大きな衝撃でした。そして、この重信が語ったことは、1行表記で俳句を書いている私にとっては、より真剣に考えなければいけないことだと思います。


先に重信について「俳句の世界で従来まで殆どを占めていた1行表記ではなく、多行表記で俳句を書いた作家」と書きました。

重信の没後も大岡頌司(1937〜2003)や彼の弟子の酒卷英一郞(1950〜   )が3行表記の俳句を書いてはいますが、俳句の世界で一行表記が殆どを占めている状況そのものは変わりありません。


私は、1行表記と多行表記はフェアに考えられるものであり、1行表記で俳句を書く作家であっても、多行表記のその1行ごとの言葉の置き方、それに続く全体的な世界観は大いに参考になると思います。


しかし、現状ではそのような考えは広まっておらず、多行俳句の実作者がその研究を細々と続けているのが残念ながら実情のようです。


話を最初に戻しますが、重信の述べた俳句の世界観の限界性と俳句形式の矮小性について、私ははじめ、実作者として克服すべきだと考えました。しかし、次第にそれを思い直すようになりました。

何故なら、重信は『「書き」つつ「見る」行為』の最後を以下のように結んでいるからです。 

 

「所詮、僕にとっての俳句は、不毛な僕に対する不毛な愛情からはじまり、不毛な形式に対する愛着として、いまなお不毛な連続をくりかえしているにすぎないようである。」

 

重信はこの文章で先に「一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」と書いた「不毛」な形式に、「不毛」な連続を繰り返している、と書いています。また、そうした行為のそもそもの出発点として「不毛な僕に対する不毛な愛情」があると書いています。

 

つまり、重信は「一人の作家が百句ほども書いてしまえば、ほとんど尽きてしまうにきまっている。」なんてことは分かりきっていながら、あえてそこに留まろうとしたのです。また、美秋との話になぞえられば聖書の花文字のなかに留まろうとしたのです。

 

このときの重信の思いを、私はまだよく分かりません。しかし、いまの自分が俳句に対して感じている「季語や17音という束縛ゆえの美しさ」の延長線上にあるものかも知れないとは思います。

 

このように重信が「不毛」と思い定めながら、それでも向かっていった俳句の世界。その世界を自分はどこまで進めるでしょうか。

 

重信の思い定めた俳句の限界性や矮小性をどう捉えていくか。

またその上で、1行にしろ多行にしろ、「形式」という予め与えられた器に言葉を注いでいくようなものではなく、「表記」として自分の俳句を如何にして1行で立たせるか、或いは多行で広がらせる(?)か。

そうしたことを考え、実作しなければならないと思います。


尚、現状では、「1行形式」に倦んでいる例が見られますが、前衛即伝統という前衛俳句が持つ側面から言えば、「多行形式」に倦んでしまうということもあるでしょう。


最近、停滞気味な自分の俳句に発破をかける目的で、こんな文章を書いてみました。

 

友よ我れは片腕すでに鬼となりぬ    高柳重信

 

八上桐子川柳句集『hibi』を読んで

 

先月、大阪の「葉ね文庫」さんで知り合った、同じ埼玉県出身の方と、それからもう一度お会いする機会があった。

 

そのときのブログ記事はこちらから→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/07/14/104813

 

自分のほうの最寄り駅までわざわざ来てくれた。駅の近くで食べた白桃のパフェが美味しかった。

 

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フォークもかわいい。

 

そして、その日貸していただいたのが八上桐子の句集『hibi』。

 

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句集といっても俳句の句集ではない。川柳の句集である。

 

川柳と聞くと、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」のような、「日常の喜怒哀楽をダジャレも交えて17音にまとめたもの」というイメージを持つ人も多いかも知れない。

 

しかし、この『hibi』は、そうしたイメージの川柳とはまったく違う川柳が収録されている。

 

一読して感じたのは、透明性と官能性が合わさった世界だということ。

 

日常のなかにあるやさしい瞬間、やわらかい瞬間を書き留めていながらも、同時に自分の体の感覚を(自身が女性であることをつよく意識しながら)書きとめている。

 

句集は「すずめのまぶた」「ねじれたガラス」「水に溶ける夜」「ままごと」「器ごとあたためる」「その岬の、春の」という全6章から成っている。以下、それぞれの章から印象的な句を引いてみたい。

 

「すずめのまぶた」

降りてゆく水の匂いになってゆく

 

指先の鳥の止まっていたかたち

 

噴水に虹    赤ちゃんの名が決まる

 

立ち止まりたくなる九月のくるぶし

 

いちじくはつめたい夢をみつづける

 

そうか川もしずかな獣だったのか

 

「ねじれたガラス」

よごれてもよい手と足で旅に出る

 

ぺったんこの靴    尻っぽのない魚

 

声になる手前の笑い桑畑

 

体育座りで傷口嗅いでいる

 

はちみつを透かすと会える遠い猫

 

「水に溶ける夜」

雨音のてれこてれこになる電話

 

水を    夜をうすめる水をください

 

向こうも夜で雨なのかしらヴェポラップ

 

「ままごと」

 

歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ

 

「器ごとあたためる」

またばきをするたびに舟が消えている

 

じょうみゃくどうみゃく海を通ります

 

秋に入るひとつも釦ない服で

 

一枚のカードは古い夜でした

 

からだしかなくて鯨の夜になる

 

「その岬の、春の」

くるうほど凪いで一枚のガラス

 

えんぴつを離す   舟がきましたね

 

俳句を書く立場として正直に言えば、短歌や川柳といった他の短詩型は、どのように読んで良いのか分からない部分がある。

 

しかし、この『hibi』は、そうした私の躊躇いを超えさせ、新鮮な読書体験を与えてくれた。

また個人的なことを言えば、口語体で俳句を書いている身として、口語体のレトリック、短詩型のレトリックの参考にもなった。(「遠い猫」、「鯨の夜になる」という表現はとても美しいと思った)

 

良い句集を貸してくれたことに、改めて感謝したい。

 

すこし疲れました


こんにちは


この間、15日(水)に埼玉医科大学病院まで診察に行って、本当はその診察記録を書きたいのですが、なかなか文章がまとまりません。

 

というのも、最近スゴく仕事で疲れていて・・・。

 

仕事を始めてから約1ヶ月が経ちましたが、キャパシティオーバー気味です。覚えることはたくさんありますが、集中力が追い付きません。


加えて、社長やまわりの同僚たちと上手くコミュニケーションも取れず、孤独に感じます。


社長と他の同僚が笑いながら話しているのを見ると、自分だけが変わっているような気分になります。


そんな心労と、職場の冷房が強く効きすぎたことが重なったのか、風邪を引いてしまいました。お腹も痛いです。


そうしたワケで、今日は仕事を休むことにしました。いま布団の上で横になっています。


本当は診察記録以外にも、いまの仕事についてや、いまの家族(特に母親)の無理解について、たくさん書きたいことがありますが、億劫に感じて書けません。

 

おやすみなさい。少し疲れました。

 

中山うりさんのライブに行ってきました!


こんばんは。


今日は埼玉県の鴻巣市まで、中山うりさんのライブに行ってきました。

 

私がうりさんを知ったのは、NHKみんなのうた」で2010年12月から翌年の1月まで放送されていた回転木馬に僕と猫」という歌を聴いたからです。そのやわらかい歌声と、切ない世界観が印象的でした。

 

回転木馬に僕の猫」のYouTubeの動画→(https://youtu.be/kGtOJaHpQAY

 

その後も、YouTubeの公式チャンネルで曲を聞いたりしていたのですが、なかなか実際にライブに行く機会には恵まれませんでした。

 

それが今回行けることになったので、期待して行きました。

 

先に感想をまとめると、はじめに期待していた以上でした。素晴らしかったです。うりさんの歌声と演奏に圧倒されました。

 

そんなうりさんのライブを振り返っていこうと思います。

 

今日の会場は鴻巣市にある「香文木」(こうぶんぼく)というカフェ&ギャラリー。周りを田んぼに囲まれたなかにあります。

 

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いかにも埼玉の田舎道・・・。ウチの周りの風景とそっくりです(笑)

 

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ライブの案内のポスター

 

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お店の入り口

 

開場は17時半からでしたが、30分以上も早く着いてしまいました。そして、既にお店のなかからはリハーサル中のうりさんの歌声が聴こえていました。


私に先に到着していた数人のお客さんと一緒にお店のなかに入って、受付と当日の料金3000円の支払いを済ませます。

ちなみに扉を開けたとき、うりさんと眼が合った・・・気がします。そっちのほうが嬉しいので、そういうことにしておきます(笑)

 

実際に眼で見たうりさんの第一印象は小柄!そして小顔!それから写真や映像で観るよりも鼻筋が通っていて、「やっぱり芸能人はキレイだな~」と思いました。

 

今日のうりさんはマドロス帽につばの無いような、可愛い帽子をかぶっていました。それから赤いロングスカートも印象的でした。


17時半の開場からさらに30分ほど待ち、店主の挨拶のあと、18時にうりさんとバックバンドの皆さんが登場します。こじんまりとしたカフェが拍手の音で埋め尽くされました。


ちなみに、今日の私の席はうりさんの真ん前でした。写真の真ん中にある椅子にうりさんは座っていたので、お店のなかでいちばん良い席でライブを観れたと思います (*^▽^*)

 

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まず一曲目は今年の4月に発表されたニューアルバム「カルデラから「メロンソーダさくらんぼ」。カップルの何気ない夏の日常を唄った歌なんですが(そう解釈しました)、この曲で一気に心を持っていかれました。


語彙力不足を覚悟で言いましたが、メチャクチャ良かったです。アップテンポで軽やかなんですが、どこか夏の寂しさも感じられて。

 

「毎日サンダルはいて君とふらふらするだけ

あついあついって言いながら僕たちすっかりまっくろけ

もう何度目の夏だろう

 

遠くの空で稲光り

君は頬杖ついて

降り出した雨を見つめてた

さみしそうに」

 

この曲の特に好きな部分です。歌詞もそうですが、「遠くの空で」のところで転調して、ゆっくりとしたメロディに変わります。そして「さみしそうに」と唄い終わったところでまたアップテンポなメロディに戻ります。この緩急の差がたまりません。

 

先に書いたように、今日のライブはうりさんの真ん前で観たので、スマホのメモにセットリストを記録するのは失礼に当たると考えて、そうしたことはしませんでした。紙のメモ帳でも・・・やっぱり失礼でしょう。というワケで、セットリスト順ではありませんが、その他の印象に残った曲を上げていきたいと思います。

 

「風邪薬」

新曲。「今日のライブで初披露します」と話していました。うりさんがツアー中に風邪を引いてしまった実体験を元に作った曲だそうです。風邪を引いてボーッとしたときのどこか気分の良い感じや、懐かしい感じが唄われています。うりさんの優しい歌声と相俟って、妙に実感出来る曲です。

 

 「プーアールママ」

カルデラ」収録曲。うりさんが週2(多いときは週3)で行く東京・十条の中華料理屋のママさんのことを、うりさん曰く「まったく親しくないのに」歌にしたといいます。

「小籠包    回鍋肉    油淋鶏   つくります

青椒肉絲    棒棒鶏    麻婆丼    おいしいよ」という、曲中でたたみかける中華料理の名前が聴いていて楽しいです。また、無類の中華料理好きとしては、どうしようもなくお腹が空く曲です。しばらく個人的にテーマソングにしようと思います(笑)

 

「犬の田中」

カルデラ」収録曲。うりさんがタイトルを言ったとき、会場から笑い声が起きていました。犬の「田中」が家出をするも結局戻ってくるという曲。

タイトルは「犬」ですが、「こういう田中みたいな人間っているよなぁ」と思いました(まぎらわしい表現)

 

・・・こうした感じで、曲数はだいたい10曲以上20曲未満、時間は18時から20時半までの2時間半くらいのライブは終わりました。


しかし、一旦うりさんたちがステージを後にしても、アンコールを求める拍手は鳴り止みません。もちろん私も夢中で手を叩いていました。そして間もなくうりさんたち再登場。ライブの始まりと同じくらい大きな拍手が起こりました。


アンコールの曲はマドロス横丁」。港町の酒場を舞台にした、アップテンポな楽しい曲です。

マドロス横丁」を唄い終わったあと、改めて大きな拍手のなかでうりさんたちはステージを後にしてライブは終わりました。

 

会場ではCDの販売も行っていたので、繰り返すように「メロンソーダさくらんぼ」で一気に心を持っていかれた私は「カルデラ」を買いました。ジャケットのデザインが可愛い。

 

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こんな感じで観た今日のライブですが、まず全体的に優しい雰囲気が印象的でした。ライブの終盤、うりさんの近くの席にいた小さな女の子が曲に合わせて手を叩いているのをお姉さん? が優しそうに見ていたりしていました。

 

また、会場がこじんまりしていたということもあるでしょうが、何よりうりさんとお客さんとの距離の近さが印象的でした。それは、うりさんの音楽の世界の特長にあると思います。

うりさんの音楽には、最初にあげた「回転木馬に僕と猫」のような幻想的な歌であっても、どこかに歌のなかの人々の体温が感じられます。そうした特長は「メロンソーダさくらんぼ」や「プーアールママ」のような市井の人々を唄った曲ではさらにはっきりと現れています。

お客さんは、そうしたうりさんの音楽に流れる体温を感じ取りに来ているのだと思います。

 

だから、例えるならうりさんの音楽は「サンダル履きの音楽」です。普段着で、サンダル履きのまま・・・そんなリラックスした状態から入り込んでいける音楽だと感じました。

 

「なんでもっと早くライブに行かなかったんだろう」と後悔するほど、今日のライブは素敵なものでした。これからは、さらに意識してうりさんの曲を聴いていきたいです。

 

最後に。「カルデラ」の歌詞カードの裏面に描いてあった「メロンソーダさくらんぼ」の絵が、とても可愛いかったです。このままポスターとして飾りたいくらいです。それだと歌詞が分からなくなってしまいますが(笑)

 

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