「#いいねの数だけ・・・」をやってみて
こんばんは。
もう7月も終わりですね・・・。時間が経つのは本当に早い・・・。
さて、6月の終わりにTwitterで「#いいねの数だけ好きなものを言う見た人もやる」というハッシュタグが流行りました。
これは、その名の通りTwitterにある「いいね」ボタンを自分が押された数だけ、好きなものを言う、というものです。
今回はそのツイートをブログにも転載しようと思います。
理由は、普段主に神経症の話と俳句の話しかしていないので(苦笑)、それ以外の私の好きなものを知ってほしいからです。
決して過去のツイートをペーストしただけという手抜きではありません!( ̄^ ̄)
いいねは全部で12個いただきました。それではお読みください~
1.KAN。最初に聴いたアルバムは「愛は勝つ」が収録された「野球選手が夢だった。」その次のアルバム「ゆっくり風呂につかりたい」でファンに。色んなジャンルの曲や色んな人の物真似(笑)を自分のものに出来るけど、ピアノ1台で歌っている姿が一番映える。今までもこれからも一番好きなミュージシャン
KAN 公式サイト→(https://www.kimurakan.com/)
2.ビブリオバトル。面白いと思った本を1人5分間で発表し、例えばその場で5人が発表したらそのうち一番面白いと思った本1冊を得票で決めるというゲーム(説明下手)。2014年、友人に誘われて初めてゲームを観覧してハマる。現在は主に紀伊国屋書店新宿本店、右左見堂、ビブリオエイト主催のゲームに出場
ビブリオバトル 公式サイト。全国での開催情報もこちらからご覧いただけます。→(http://www.bibliobattle.jp/)
3.俳句。2016年12月から書き始めています。いまは「海程」という結社の句会に多く参加しています。「海程」は今年の7月に終刊するのであえて会員にはなっていませんが、後継誌の「海原」の会員にはなろうと思います。というかもう年会費を払い、創刊号に載る句も送りました。好きな俳句作家はたくさん
4.中華料理。そういえば好きな食べ物についてツイートしていなかったと思い・・・(笑)中華料理が好きです。特に好きなのが麻婆豆腐。麻婆豆腐だけでいくらでもご飯食べられると思います。他に好きなのは青椒肉絲、油淋鶏。もちろんラーメンと餃子も大好きです
5.クリームソーダ。ただのメロンソーダも好きですが、やはりアイスが乗っているぶん余計に美味しく感じます。『孤独のグルメ』で五郎がメロンソーダを飲んで「このワザとらしいメロン味!」と言う(褒めている)シーンがあるけど、そういう味が好きです。アイコンの写真は、浅草の甘味処「梅園」のもの
「梅園」公式サイト→(http://www.asakusa-umezono.co.jp/)
6.カードキャプターさくら。この世で最も好きなアニメ・マンガだと思う。アニメのほうが印象が強い。さくらちゃんと知世ちゃんと小狼くんと秋穂ちゃんとケロちゃん可愛い。桃矢と雪兎さんカッコいい。撫子さんと藤隆さんは優しい。悪い人の1人も出てこない作品。アニメ「クリアカード編」の2期を切望!
「カードキャプターさくら」公式サイト→(http://ccsakura-official.com/)
7.高橋幸宏。YMOのボーカル・ドラムであり、ソロミュージシャンとしても活躍している人。ファッションも音楽もオシャレ。自分にとってのユキヒロの第一印象はファッションだったけど、最近曲も聴き始め、ますます好きになった。「幸福の調子」「今日の空」「1%の関係」「Last summer」とかが特に好き
高橋幸宏 Twitter→(https://mobile.twitter.com/room66plus)
8.あずきちゃん。原作・秋元康、画・木村千歌によるマンガ・アニメ。「カードキャプターさくら」の次に好き。あずきちゃんも可愛いけど、自分はどちらかと言えば親友のかおるちゃんのほうが可愛いと思う。小学校のときまでしかアニメ化されていないので、その後原作で続く中学校編もアニメ化してほしい
9.岡村靖幸。歌手。デビュー以来現在までどんどん唄い方のクセが強くなっている。ただメチャクチャ上手い。ダンスも上手い。「変態」「気持ち悪い」が褒め言葉になる人。自分のライブを「デート」と呼び、いつだって「女の子のために」歌を唄っている。「新時代思想」「カルアミルク」等が特に好きな歌
岡村靖幸 公式サイト→(http://okamurayasuyuki.info/info/)
10.浅岡キョウジ。マンガ家。この人の描く耽美的な雰囲気が好き。「カードキャプターさくら」や「あずきちゃん」のようなずっと好きなマンガではなく、最近好きになったマンガ。最新作の「花やつばめ」は今年上半期一番読んだマンガだと思う。応援していたが全2巻で終わってしまい悲しい
浅岡キョウジ Twitter→(https://mobile.twitter.com/info_kyoji)
11.cocoon。今日マチ子によるマンガ。今日マチ子の作品に詳しくはないが、これは印象的だった。マティズモの極致とも言える戦争に対し、女の子らしさで闘っていった少女たちの物語。「肉の焼けるにおい 溶けたガラスのにおい(中略)でも大丈夫ーわたしの手は石鹸の香りに包まれているから」
今日マチ子 Twitter→(https://mobile.twitter.com/machikomemo)
12.トラッドファッション。KANちゃんについて先に書いたけど、そのKANちゃんがいつもアイビールックであることに影響されて、自分もそうした服を着るようになった。紺のブレザーにボタンダウンシャツ、レジメンタルのネクタイにベージュのチノパン、コインローファーが自分の一番カッコイイと思う服装
以上です!ありがとうございました〜
ちなみに、このハッシュタグは自分が好きなことを思う存分語れるものなので、Twitterを使っていながら、「まだやったことがない!」という方は是非やってみてください (#⌒▽⌒#)
診察記録 2018年7月 〜新しい仕事へのストレス〜
こんにちは
今日は、埼玉医大学病院まで診察に行ってきました。
その前に、最近の仕事について少しまとめて話しておきます。
6月上旬に、病院の先生から1ヶ月ほど療養する必要があると仰られたのにも関わらず、隣町のにあるお菓子の工場のアルバイトの面接を受けてしまいました。そして、10日頃にそこに採用されました。
しかし、そのときの面接は働けないことへの焦燥感から受けてしまったもので、当然働いて大丈夫な精神状態・体調ではありませんでした。
だから、採用の電話をいただいたとき、むしろ不安になりました。
その後、採用を辞退しようと工場に電話しました。
すると、工場からの返事は「もしよろしければ、入社日を変えることも出来ますが、いかがなさいますか?」という意外なものでした。
しかし、私はそうした言葉を受けても不安に感じました。何故なら、「約1ヶ月療養をしてから仕事をしようと考えていた以上、約1ヶ月、つまり7月の上旬だとして、工場側にはそれまで約20日も待ってもらわなくてはなならない。そんなに待ってもらいないだろう」というのが、正直な思いだったからです。
そこで改めて「病院の先生からは、1ヶ月くらい療養したほうが良いと言われています。そうすると、7月上旬くらいの入社になってしまうのですが、それでもよろしいですか?」と言ってみました。
すると、工場側からは「良いですよ」と即答してくれました。正直、あっけないくらいでした。
そうして、約1ヶ月の療養を終えて、その工場に勤め始めようとしたときのことです。
以前私が事務職として勤めていた運輸会社から、「もう一度勤めてくれないか?」と連絡があったのです。
・・・しかし、その会社は、私が以前人間関係で辞めてしまったところだったからです。
事務職の上司の1人に性格のキツい人がいて、その人からパワハラのような扱いを受けてしまいました。既にそのころ神経症の診断を受けていましたが、ハッキリ言ってその人のせいで神経症が悪化しました。
ただ、その人は今年の2月末で辞めていました。「いまは会社にいないから、その人と一緒に仕事する心配は無い」とも連絡がありました。
また、なにより自分がその運輸会社で働いてみようと考えたのは通勤時間の差です。私は神経症の診断を受けていて自動車の免許を持っていないので、通勤手段は自転車になります。
隣町のお菓子工場は、自転車で片道30分かかりました。
対してその運輸会社は片道5分しかかかりませんでした。
これからの猛暑を考えると、片道30分の通勤はキツいな・・・と考え、最終的にその通勤時間の短さを理由に運輸会社に勤めることにしました。いま7月上旬から働きはじめて少しが経ちます。
・・・大分前置きが長くなってしまいましたが、今日はそうした最近の仕事について診察で話しました。
主に話したのが、ストレスの増加。働くということでストレスがかかることは仕方ないと考えていましたが、それでも想像以上でした。
具体的には、上司や同僚から言われた指図に、悪意が含まれているのじゃないかと考えてしまうこと。
例えば、直接そうしたことを言われたワケじゃなくても、相手から「役立たず」と思われているんじゃないかと考えてしまっています。
次に集中力の低下。例えば、仕事柄、伝票の細かい数字を追ったりすることが多いのですが、それが上手くいきません。いま伝票のどこの見ていたのか、よく分からなくなってしまいます。
療養していたときも、そうした集中力の低下は感じていましたが、仕事に就いてからいよいよそれを感じるようになりました。
繰り返すように、そうしたことからストレスの増加が起こっています。正直、お腹が痛くなってしまうこともあります。
そのようなことを話したら、先生から「いまは症状が特に強いときなんだと思う」と仰られました。また、いままで1種類だった抗不安剤に加え、新しい抗不安剤を頓服薬として処方してもらいました。
具体的に言えば、
いま使っている抗不安剤・「ロラゼパム錠 サワイ」 0.5mg 1日4回を28日分
頓服薬として処方された新しい抗不安剤「レキソタン」5mgを10回分になりました。
新しい抗不安剤のほうが、少し効果の強いものです。
また、睡眠導入剤はいままでと同じ
プロチゾラム錠「ヨシトミ」0.25mg 1日1回を28日分です。
睡眠導入剤に関して言えば、前回の診察で先生から教えていただいた「不眠を抑える5ヶ条」
1.朝起きたら太陽を浴びる。このことで、眠りを良くするホルモン「メラトニン」が分泌される。
2.昼寝は1回15~30分くらいが望ましい。1時間を超えると夜の睡眠に差し支えが出る。
3.また、昼寝は午後3時以前に行ったほうが良い。午後3時を過ぎると夜の睡眠に差し支えが出る。
4.夜に眠るときは1~2時間前までに激しい運動や、満腹になるまでの食事を終わらせておいたほうが良い。
5.夜に眠る直前にテレビを観たり、スマホを開いたりしないほうが良い。「メラトニン」が正しく分泌されなくなる。また、本を読んだり音楽を聴いたりして、リラックスした気持ちで眠りに就くことが大切。
これは、特に3番と5番を意識して行うようにしています。お陰で、最近不眠の悩みは少なくなってきています。
・・・それにしても、療養の都合で入社日を伸ばしてもらった工場を、入社日の直前で変え、新しく入った会社でもストレスの増加で悩んでいるとは・・・。なんだかやりきれない思いです。
次回の診察は8月15日 水曜日です。
大阪旅行記 2日目・3日目 〜中崎町の面白いお店と、葉ね文庫さんでの嬉しい出来事〜
こんにちは。
前回に引き続き、2泊3日の大阪旅行について書いていきます。今回は2日目と3日目です。
ちなみに、1日目についてはこちらのURLからお読みください。
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/07/13/175409
2日目の朝。ホテル代を節約するため、日程は2泊3日ですがホテルに泊まるのは1泊だけにしました。だいたい8時くらいに起きたと思いますが、それから30分くらいベッドのなかでゴロゴロしてしまい、実際にベッドから出たのは8時半くらいでした。
シャワーを浴びて着替え、無料の朝食へ向かいます。私が泊まったアリエッタホテル大阪では、朝6時半から9時半までの間、朝食としてパンやグラノーラ、牛乳、オレンジジュース等が用意されています。
そのなかから私が選んだのはこんな感じです。
泊まる前からネットでの評判で「朝食が美味しい」といった感想は目にしていましたが、実際に食べてみると想像以上に美味しく、また満腹感もありました。パンは色んな種類があり、そのどれもがカリカリに焼き上がっていました。また、写真には撮りませんでしたが、このあとにグラノーラも食べました。
満足してホテルの部屋に戻り、そのあとはチェックアウトの30分前までまたベッドのなかでゴロゴロしていました。なんか、ホテルのベッドですごく眠気を誘いませんか?(笑)
その後、もう少しゴロゴロしていたいという思いを引き摺りながらもチェックアウトを済ませ、ホテルを後にしました。
さて、今日の目的は「中崎町の面白いお店を訪ねる」というものです。
昨日の目的は「葉ね文庫さんに行く」というもので、それは大満足のうちに達成出来ました。
しかし、私は昨日、葉ね文庫さんのある中崎町の街並みを歩いて、葉ね文庫さん以外にも面白そうな店があることに気づきました。
昨日は出来るだけ長く葉ね文庫さんにいようと思って行かなかったのですが、今日はそうしたお店をまわって見ようと思いました。
私がまわった中崎町のお店で印象的なものは2軒ありました。
まず、「green pepe」さん。道を歩いていたらいきなりこの「昭和レトロ」と書かれた看板が目に入り、思わずお店に向かってしまいました。
お店についてまず驚いたのはその外観です。昭和の日本家屋を思わせる建物の前に、レトロなデザインのワンピースや、ガチャガチャが並んでいました。
ちなみに、ガチャガチャのなかにはキン消しもありました。
お店に入ってみると、そこは入り口以上にレトロな洋服、おもちゃ、トランク、家具といったものがひしめいていました。それこそ「サザエさん」でしか見ないような黒電話が、実際に使えるものとして売られていたのは驚きました。店主さんによれば、「お店にあるのは1970年代に使われていたものが一番多い。それから、最低でも30年以上前のものを取り扱っている」とのことでした。
私が転がしていたキャリーバッグをお店の奥のほうまで運んでいただいたことがきっかけで、「昔のカバンやトランクは重い、いまのカバンやキャリーバッグは軽い」という話で盛り上がりました。
店主さんは、以前広島に旅行に行かれた際、そうした何十年か前に使われていたトランクを持って道中を移動しましたが、とにかくそのトランクが重たく、先々で大変な思いをしたそうです。
「昔のひとたちはどうやって持っていたんやろうね?」とも仰っていました。
財布の都合もあり、また家具や雑貨といった、大きめの商品が多かったこともありなにも買いませんでしたが、明るい店主さんとお話出来て楽しかったです。
green pepeさん 公式サイト→http://www.greenpepe3104.com/
続いて「書肆アラビク」さん。これは、昨日のうちから行きたいと考えていたお店です。残念ながら店内の外観の撮影はNGだったので写真は撮っていないのですが、なんというか、独特なオーラを感じさせる佇まいでした。
書肆アラビクさんは、古本屋とカフェ、ギャラリーを併設しているお店です。その本棚のラインナップを見てみると、澁澤龍彦の本があったり、球体関節人形の本があったりと、非常に濃いものでした。また、球体関節人形ではありませんが店内には人形も置かれており、外観から感じた独特なオーラに拍車をかけるようでした。
書肆アラビクさんでは本は買いませんでしたが、コーヒーは注文しました。それがこちら。
「カフェ・グラスホッパー」というコーヒーです。カップの真ん中に置かれているのはミント。また、全体的にもミントの味がする不思議なコーヒーです。右隣のグラスに入っているのはミントを溶かしたもの(確かそのようなものだったと思います)で、店主さんからコーヒーを飲んでいてミントが足りなくなったら注ぎ足すように言われました。
コーヒーとミントという組み合わせは自分のなかには無く、非常に新鮮に映りました。でも、実際に飲んでみるとミントの味とコーヒーの味とが程よく合わさっていて、とても美味しく飲めました。不思議な体験をしました。
書肆アラビクさん 公式サイト→http://arabiq.net/
そんな感じで中崎町のお店をまわっていると、葉ね文庫さんの開店時間が近づいてきました。昨日の今日ということもあり、行こうかどうか迷いましたが、新しい入荷があるかも知れないということと、どのようなお客さんが来るのか気になるということから、やはり行くことにしました。
この日の葉ね文庫さんでは何も買いませんでしが、こんな同人誌をいただきました。
『晴』(はれ)第1号。川柳の同人誌です。同人の1人である樋口由紀子という川柳作家がご自身の句集を葉ね文庫さんに送ったのですが、その句集と一緒に入っていたそうです。
『晴』には樋口由紀子をはじめとして、広瀬ちえみ、月波与生(つきなみ・よじょう)、きゅういちといった現代の川柳の世界で注目を浴びている作家が同人として参加しています。
各同人の川柳もそうですが、個人的は樋口由紀子の評論が特に印象的でした。
本来は非売品なのですが、店主の池上さんから「あげます」と仰られ、いただいてしまいました。ありがとうございます。
また、この日の葉ね文庫さんでは、嬉しい出来事がありました。
それは、私と同じく埼玉から葉ね文庫さんにいらっしゃった、しかも同年代のお客さんとお会い出来たこと。
その前の日に、女性の2人組のお客さんに「埼玉から来ました」と話して、「わざわざ埼玉から葉ね文庫に来たの!?」と非常に驚かれたので、自分は大分奇特な人間なんだと思っていました。
それが、自分以外にも埼玉から葉ね文庫さんにいらっしゃった方がいたのです。今度は私が驚いてしまいました。
その女性は、自分では俳句や短歌等は書かないのですが、主に歌集を愛読しているそうです。また川柳の句集も少し読んでいるとも話していました。
私は自分が俳句を書いているということもあり、どうしても俳句の句集を中心に読んでしまっています。なので、その方が話してくれる短歌の話や歌集の話が大変刺激的でした。
また、その方は俳句の句集はあまり読まないそうで、逆に私が俳句や句集について話すこともありました。葉ね文庫さんで思いがけず楽しい話が出来ました。
そして、その方が谷町六丁目にある「BAR 深化」に行きたいと仰いました。ネットで画像を見せてもらうと、潜水艦をモティーフにした、変わった見た目のバーです。私も行きたいと思いました。そこで、葉ね文庫さんの閉店10分前にお店を後にして、BAR 深化に向かいました。
葉ね文庫さんからBAR 深化までは電車で20分くらい掛かります。また、お店がかなり奥まったところにあるので夜ということもあり辿り着けるかどうか少し不安でしたが、どうにか辿り着けました。
しかし、着いた矢先でお店が満席だということを知らされます。せっかく辿り着いたのでやっぱりショックでした。考えてみれば、予め電話で席の空き状況を確認するといった方法もあったのですが・・・。とにかく辿り着くことばかりに気を取られていました(苦笑)BAR 深化、いつか行ってみたいです。
しょうがない、ということで別のお店を探します。その結果、BAR 深化の近くにあった「hapo」という「シャンパーニュと自然派ワイン」を中心に提供しているお店に入ることにしました。入ってみると、小さな明かりだけが灯る、静かな雰囲気のバーでした。
hapo Instagram→https://www.instagram.com/___hapo___/
hapoで私はビール、その方はシャンパーニュをそれぞれ注文しました。
はじめ私はビールだけを呑むつもりでしたが、シャンパーニュが運ばれてきたときのマスターの解説(1903年からいまに至るまで、家族だけ経営しているところのシャンパーニュだそうです)や、目の前で美味しそうにシャンパーニュを呑んでいる様子に触発され、予定よりもビールを早く呑み終わり、シャンパーニュに切り替えました(笑)
味は、非常に呑みやすかったです。また、フルーツの良い香りもしました。
さて、お店で私たちが話したのは葉ね文庫さんでの会話の、お酒が相まってさらに盛り上がったものでした。2人の共通の好きな歌人として笹井宏之がいたので、「笹井宏之は良い」、「天才です」とお互いに話していました。また、川柳の話や、「プレバト!」での夏井いつきによる俳句査定の話もしました。
2人で1時間くらい話しましたが、その間とにかく楽しかったです。自分と同年代で、俳句や短歌、川柳等の話が出来る人がいるということがとても嬉しかったです。Twitterのアカウントを交換したので、また機会があればお会いしたいと思いました。
hapoを後にして、私たちは新大阪駅まで向かいました。その方は新大阪駅にホテルを予約していましたが、私は先に書いたようにその夜のホテルを予約していなかったので、駅の近くにあるネットカフェに泊まりました。ネットカフェの椅子はお世辞にも寝心地が良いとは言えませんでしたが、シャワーを浴びることが出来たのは良かったです。
そのあとは、ネットカフェに置いてあるマンガを読んだり、途中仮眠を取ったりして、朝が来るのを待ちました。
↑『カードキャプターさくら』、大好きなマンガです。
というワケで、2日目が終わりました。
3日目は、この土曜日から大阪をはじめとして全国的な猛暑に見舞われると聞いていたので恐れをなして(笑)、朝の8時にネットカフェを出ました。そしていまは8時46分新大阪駅発、11時20分東京駅着ののぞみの車内でこのブログを書いています。
あんまり今回の旅行を振り返ったまとめのようなことを書くのは得意ではありませんが、改めて葉ね文庫さんは良いお店でした。また、中崎町という、自分が過去何回か大阪に行ったなかで足を踏み入れていなかった街の面白さを知ることが出来たことも良かったです。
今回の旅行ではいわゆる観光名所は全くと言って良いほどまわりませんでしたが、それでも充分に楽しかったです。関西は全体的に好きな地域なので、これからも大阪府内での面白い街、他の府県での面白い街を知っていきたいと思います。
家に着いてから、そして明日は何もせずにのんびりする予定です・・・。
大阪旅行記 1日目〜葉ね文庫さんに行ってきました〜
こんにちは。
実は、昨日から2泊3日の予定で大阪に来ています。
昨日の夕方にTwitterで「今晩中にブログを書きます」と言ったんですが、夕方から夜にかけて色々あり、結局は書けないまま寝てしまいました・・・(苦笑)
というワケで、これから大阪旅行の1日目の様子を書いていきます。写真多めです。
9時40分ごろに東京駅に着き、10時33分発のひかりで新大阪駅まで向かいます。
↑新幹線のなかでの昼食
ひかりに乗ってから約2時間後の13時36分、新大阪駅に着きました。
タイトルにも書きましたが、今回の旅行の最大の目的は「葉ね文庫」さんに行くこと。詳しくは後述しますが、葉ね文庫さんは俳句・短歌・川柳・詩関係の本を豊富に取り揃えている本屋さんです。俳句を書いている身として、前から行ってみたいと思っていました。
しかし、葉ね文庫さんの平日の営業時間は19時から。なので、しばらくホテルで持ってきた本を読んだりしてゴロゴロしていました。
昨日私が泊まったホテルがこちら。「アリエッタホテル大阪」。本町駅の近くにある、キレイなホテルです。
アリエッタホテル大阪 公式サイト→https://www.thehotel.co.jp/jp/arietta_osaka/
部屋はこんな感じ。
今回泊まったプランが夕食のないプランだったので(というより、ビジネスホテルっぽいホテルで、元々夕食が無さそう)、夕食はホテルの近くのお店で食べることにしました。
私が選んだのは「千鳥屋宗家」。お店の大部分は和菓子屋ですが、カフェも併設されていてそこでご飯を食べることが出来ます。
千鳥屋宗家 公式サイト→http://www.chidoriya.jp/
私が頼んだのは京五目ご飯とうどんのセット。大阪をはじめとして関西には何度か行ったことがあるのですが、あの薄味の出汁が美味しく、うどんは結構食べていると思います。
結構ホテルの部屋の冷房が強く、体が冷えてしまっていたので、温かいうどんがとても美味しかったです (*^▽^*)
ちなみに、千鳥屋宗家ではこんなことを募集していました。・・・当たるのかな?
夕飯を食べ終えると、葉ね文庫さんへ行くのにちょうど良い時間帯だったので、ホテルのある本町駅から、葉ね文庫さんのある中崎町駅まで向かいます。
帰宅ラッシュにぶつかったのか、地下鉄の予想外の混み具合に少し戸惑ってしまいましたが、無事に中崎町駅に着けました。
中崎町駅から葉ね文庫さんまでは近く、迷わずにお店まで着けました。「サクラビル」というビルの半地下の階に、葉ね文庫さんはあります。
看板の絵からも分かるかも知れませんが、葉ね文庫さんは靴を脱いであがるお店です。私もサンダルを脱いで、素足になってあがりました。床には一面絨毯が敷かれていて、絨毯の感触が心地良かったです。
また、先ほど俳句や短歌関係の本を豊富に取り揃えていると書きましたが、実際に行ってみてそれを感じました。小さな店内にそうした本が敷き詰められている様は圧巻でした。
「葉ね文庫」さんの店主は池上きくこさん。ショートカットと、おだやかな話し方が印象的でした。私がお店にいる間、お客さんが何人か来ていたのですが、どなたとも楽しそうにお話されていました。なんか、池上さんも半分お客さんのような感じでした。失礼な言い方かも知れませんが、そのくらいお客さんと自然体でお話されていました(対して、私のお店にいるときの態度、特にお店に入ったばかりのときの態度はぎこちなかったです・・・)。
ちなみに、色んなお客さんのうち、女性の2人組とは、私と同じく閉店までいたので結構話せました。私が「埼玉から来ました」と言うと、2人とも「わざわざ葉ね文庫に来るために埼玉から来るなんて!」と、とても驚いていました。
また、そのうちのお一人は、どうやら「埼玉=東京のベッドタウン=都会」と思われているらしく、「埼玉って都会ですよね? 私なんか夜になると外からカエルの鳴き声が聞こえるところに住んでいます」と仰いました。
ホントのことを言えば、私が住んでいるのは埼玉の片田舎で(というより、そもそも埼玉が都会ではない)、同じように夜になるとカエルの鳴き声が聞こえてくるのですが、「都会的なイメージを持たれているほうが良い」と思い、そのまま否定をせずに黙っていました(悪いヤツ)。
さて、そんな葉ね文庫さんでは、「めったに行けないお店だ」と思ってたくさん本を買いました。その買った本がこちら。
西川徹郎句集『無灯艦隊』(著者署名入!)
俳誌『LOTUS』第35号
特集/LOTUSレポートⅢ 酒卷英一郞「阿哆喇句祠亞 ataraxia」(アタラクシア)評
笹井宏之歌集『八月のフルート奏者』
家登みろく・朝妻久美子『俳句・川柳共詠句集 混線』
安井浩司『安井浩司選句集』
関根千方句集『白桃』
特に買えて嬉しかったのが『LOTUS』第35号です。この号で特集されている酒卷英一郞という俳句作家は、一行ではなく三行に分けて俳句を書いている人です。句の例として、
描きつ傍(かきつはた)
主觀寫生の(しゆくわんしやせいの)
明忽ぐ(あけいそぐ)
すてつぺい
白き夏野が
すてつぺん
裏花や(うらばなや)
わたくしあめの
外に濡れて
といったものがあります。酒卷は1950年に生まれ、19歳のときから俳句を書き始めており、つまり既に40年以上俳句を書いているのですが、「生涯に一冊の句集しか上梓しない。初めての句集が全句集でありたい」と考えており、未だ句集を上梓していません。
そのため、「阿哆喇句祠亞 ataraxia」というタイトルで酒卷の俳句が50句収録されており、また彼へのインタビュー、『LOTUS』の他の同人による彼の俳句についての評論も収録されているこの号は、現時点で酒卷の俳句を最もまとまって読める資料だと思います。
先ほどあげた句のように、酒卷の俳句は難しいものが多いのですが、自分の俳句の鑑賞力を鍛えるためにも頑張って読みます。
・・・好きな俳句作家に熱を入れすぎてしまったので、話を葉ね文庫さんに戻します(笑)
葉ね文庫さんでは、来たお客さんの多くに短冊を渡し、自作の俳句や短歌を書いてもらっています。やはり、お店に来るお客さんも俳句や短歌を書かれている方が多いそうです。ちなみに、先ほど書いた女性の2人組も、どちらも短歌を詠まれている方でした。
なので、お店には短冊がたくさん吊るされています。
そして、私も短冊とペンを渡され、俳句を書かせてもらいました (^▽^)
それがこちら。
キョウチクトウ嫌いな人の名が綺麗
今年の芝不器男俳句新人賞に応募したなかの1句です。
もしよければ、お店に行かれたときに探してもらいたいです(笑)
そして、最後は店主の池上さんと記念撮影をして、お店をあとにしました。こころよく撮影に応じていただきありがとうございました。
というワケで、初めての葉ね文庫は大満足のうちに終了しました。改めて言いますが、葉ね文庫さんの俳句・短歌・川柳・詩関係の本の豊富は想像以上でした。短詩型・文学に興味のある方は絶対行ってみるべきだと思います。
葉ね文庫さん 公式サイト→http://hanebunko.com/
池上きくこさんのTwitter→https://mobile.twitter.com/tobiyaman
・・・そして、最初に言ったようにホテルに戻ったらブログを書く予定だったんですが、ホテルの部屋に着くやいなや眠ってしまいした・・・。
とりあえず、1日目はこんな感じで終わりました。
次回は、2日目に訪れた、葉ね文庫さん以外の中崎町の面白いお店について書きたいと思います。ていうか、今日がもうその2日目なのですが(笑)
ではまた〜。
俳句を書くということ・追記 〜折笠美秋と高屋窓秋〜
おはようございます
昨日、ブログに上げた文章、「俳句を書くということ ~田島健一さんのブログから~」について。
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/06/28/060530
昨日の今日にも関わらず、このブログ内での注目記事の1位になりました。俳句に関心のある多く方が読んでいただいたのだと思います。ありがとうございます。
その「俳句を書く」ということについて、田島さんのブログでの「書かなければ忘れてしまう、書けば失われてしまう」という言葉に関連して思い出したことがあります。
それは、折笠美秋(1934~1990)のこと。
彼は高柳重信(1923~1983)に師事し、1958年に重信が同人誌『俳句評論』を創刊した当初から、編集に携わりました。
重信も美秋も、ともに「俳句を書く」と言っていました。
その後、長年にわたり師弟関係であった両者でしたが、重信は1983年に60歳で急逝。美秋もその前年、1982年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受けます。
以来美秋は病床で、わずかに動く眼と口とを頼りに奥さんに俳句や評論を書き取ってもらうようになります。
そんな美秋の病床での日々をまとめた『死出の衣(ころも)は』という本があります。随筆と併せ、俳句も収録されています。
この本のなかで、美秋が重信から聞いた話として、若き日の重信が山口誓子の宅を訪れた際のことが書かれています。
曰く、重信は誓子から「あなたは俳句を“書く”と言っていますね」と批判的に言われたそうです。
『死出の衣は』によれば、これは重信が「ようやく三十代に達した」の頃の話だそうです。西暦に直すと1953年前後の話になります。私は俳句の歴史に詳しいわけではありませんが、それでも現代より遥かに「伝統的」な俳句が俳句の世界の中心であり、重信の「俳句を書く」という言い方がとりわけ奇異に映ったことは容易に想像がつきます。
誓子からそんな批判を受けたことを、重信は美秋に時折懐かしげに話していたそうです。
美秋はこの話に対し、「何故“書く”なのか、事改まって此処に記すつもりはない」と書きながらも、「敢て記すならば“書く”という時に私は、高屋さん(注・高屋窓秋 1910~1999)が原稿用紙の真ん中に四文字『白い夏野』と書き、来る日も来る日も眼前の机の上に置かれていたという、現代俳句出立の記念碑的一句『頭の中で白い夏野となつてゐる』の作品成立過程を、極めて象徴的なシーンとして想起する。」と記しています。
「事改まって此処に記すつもりはない」という、一見素っ気ない書き方が、却って「いまさら俳句を“書く”か“詠む”か疑う余地はない」という美秋の強い思いを感じさせます。
また、そのあとに記している高屋窓秋のエピソードは、私が『死出の衣は』を最初に読んだとき、非常に印象的な文章でした。
「頭の中で白い夏野となつてゐる」は、私の好きな句の1つです。実際の風景としての「夏野」を超え、作者のなかの「夏野」のイメージが果てしなく広がり、それが読者まで伝わってきます。
冨田拓也という俳句作家が、以下のウェブサイトで美秋の代表句
ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう
の「ひかり野」という表現について「〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉の『白い夏野』を意味するものでもあるのでしょう。」と述べていますが、同感です。
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/08/blog-post_29.html
繰り返すようですが、「白い夏野」も「ひかり野」も、実際の風景というよりは、作者の頭のなかに果てしなく広がっているイメージです。
そのことを考えると、これらのイメージは田島さんのブログに書かれた「書かなければ忘れてしまう、書けば失われてしまう」ものだとも思えます。
このように思い返してみれば、私のなかで『死出の衣は』のなかの高屋窓秋のエピソードが根底にあり、それが田島さんのブログに触発されて表出し、自分でも俳句を「書く」と言うようになったのでしょう。
美秋の文章と田島さんの文章を通じて、「何を書けば良いのか」「どのように書けば良いのか」という自分の俳句に対する意識が、少しではありますがハッキリしてきたと思います。
最後に、『死出の衣は』というタイトルは、美秋の
ととのえよ死出の衣(い)は雪紡ぎたる
という句に由来しています。この「雪」も実際の風景というよりは、美秋や美秋の家族がALSの闘病のなかで重く受け止める悲しみの比喩として読むべきでしょう。
俳句を書くということ 〜田島健一さんのブログから〜
おはようございます。
今日は久々に俳句の話。というのも、いままで俳句関連の作業をしていたからです。
1つは、今年の1月に私が応募した芝不器男俳句新人賞へのご感想のお手紙をくださった知り合いの俳句作家の方に、そのお礼の手紙を書いていました。
芝不器男俳句新人賞がどういった賞なか、また、賞への応募を経た私の考えについては、以下の文章を参考にしていただきたいです。
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/15/124205
もう1つは、7月31日が締め切りの石田波郷新人賞の準備をしていました。
まだ締め切りまで1ヶ月ほどありますが、その芝不器男俳句新人賞へのご感想のお手紙をくださった俳句作家の方に近いうち句会でお会いする機会があるので、途中経過を見ていただきたいと思い、句の推敲や全体の構成を考えていました。
つまり、徹夜で俳句関連の作業をしていたので、頭がすっかり俳句モードになり、なかなか眠れないのです。
というワケで、いっそ開き直ってこんな朝早い時間から俳句についての文章を書いています。
最近、私は俳句を「書く」という言い方を、半ば意識的にしています。
俳句は「書く」より「詠む」という言い方が一般的だと思います。私も俳句を始めたばかりの頃から最近までは、何の疑いも無く俳句を「詠む」と言っていました。
それが変わったのは、田島健一さんという俳句作家がブログに書いた「俳句を書くこと」というタイトルの文章を読んでからです。
http://moon.ap.teacup.com/tajima/1818.html
その文章のなかで、田島さんは「書かなければ忘れてしまう、書けば失われてしまうという『書くことのジレンマ』の間で俳句は書かれなければならない。」と仰っています。
「書かなければ忘れてしまう」という思いは、俳句に限らず文章全般に言えることです。とりわけ俳句や短歌、詩、小説といった文学では言葉の表現に対する繊細さが求められますから、そうした思いは強くなります。このことはすぐに分かりました。
しかし、その後に続く「書けば失われてしまう」という思いは、理解するまでに時間がかかりました。いや、正確にはいまも考えている途中だと思います。
そして、しばらく考えた結果「俳句を書く前の自分の思いが、俳句として、言葉として書かれたことでその完全な姿を失ってしまう。五・七・五の定型と季語という制限によって、姿を変えてしまう」ということなのではないかと思いました。
例えば「チューリップ赤・白・黄色満開だ」といった句があるとします(テキトウに書いた句です)。この時点で私は既に俳句を書くことで失われてしまったものを感じます。見えなくなったものと言い換えてもいいでしょう。
それは「実はチューリップがそんなに好きでは無いという可能性」です。この可能性は、俳句の定型に乗せること、その定型にチューリップという季語を乗せることで失われてしまっています。
「何を言っているんだ。チューリップが好きだから俳句に書くんだろう」と言われるかも知れません。しかし、実際は逆のことが起こっていると思います。つまり、定型と季語という、それこそ小学校で習うものによって、自分の思っている以上にチューリップが好きに感じてしまうのです。
この錯覚のような現象には、かなり根深いものがあると思います。
その根深さのもとになっているのも、やはり定型と季語でしょう。つまり、(自戒として言いますが)定型に言葉を当てはめたとき、それに安心してしまう俳句作家が多くいて、この安心感を以て俳句を「詠む」と言ってしまうのだと思います。
田島さんは、そうした定型と季語への安心感を、俳句から取り除こうとしているのではないでしょうか。だからこそ「書けば失われてしまう」ということをブログのなかで繰り返し述べているのだと思います。
自分が眼で見ているチューリップを俳句に書いたとき、それが本当に自分の眼で見ていたチューリップかどうか、田島さんは考えているのでしょう。
しかし、私は田島さんの俳句や、俳句に関する考えにすべてに賛成しているわけではありません。
例えば田島さんの俳句には、非常に解釈が難しいものがあります。句集『ただならぬぽ』から引いてみます。
猫あつまる不思議な婚姻しずかな滝
蓑虫は澄んだ眼の鉛筆になる
鶴が見たいぞ泥になるまで人間は
風船のうちがわに江戸どしゃぶりの
これらの句から、田島さんが俳句を書く前にご自身が見ていたものを一読者として推し量るのは大変難しいです。
また、さらに言えば、田島さんにしか見えないかも知れないものを読者に俳句として読ませる理由、田島さんの書いているものが俳句である理由等についても考えてしまいます。
しかし、田島さんの「書かなければ忘れてしまう、書けば失われてしまうという『書くことのジレンマ』の間で俳句は書かれなければならない。」という主張自体には賛成です。
何故なら、田島さんの書いている俳句と、私がこれから書こうとしている俳句は違いますが、定型と季語に安心しないように俳句を書いていきたいという思いと、常に自分のなかで「俳句とは何か」を考えていきたいという思いとを共有したいからです。
まとまっていませんが、私の俳句を書くということへの、正直な考えです。
診察記録 2018年6月 〜不眠を抑える5ヶ条〜
こんにちは
今日は埼玉医科大学病院まで診察に行ってきました。
いつもは前回の診察から4週間後に診察があるんですが、前回の診察を受けて、先生から「抑うつ状態がひどいので、少し診察の間隔を短くしましょう。」と仰られ、前回から3週間後の診察になりました。
今回の診察で私が話したのは、次のようなことです。
・療養が終わる予定の7月上旬に合わせて新しい仕事が決まっていることもあり、気分的には少し落ち着いている。
・ただ、体調はあまり良くない。一番気になっているのは梅雨の低気圧が原因の頭痛とだるさ。
また、不眠もひどい。日中にだるく寝てしまい、夜に眠れないという悪循環になってしまっていると思う
・記憶が長続きしない。自分がこれまでしていたこと、これからしようとしていたことをすぐに忘れてしまう。頭のなかが霧に包まれているような感じ。
これについて、先生の返答は次のようなことでした。
・前回の診察から3週間を経て、抑うつ状態は治まってきているので仕事をしても大丈夫だと思う。
また仕事のことで何か気になることがあったら、次回の診察で言ってほしい。
・不眠を抑える5ヶ条としては、こんなものがある。
1.朝起きたら太陽を浴びる。このことで、眠りを良くするホルモン「メラトニン」が分泌される。
2.昼寝は1回15~30分くらいが望ましい。1時間を超えると夜の睡眠に差し支えが出る。
3.また、昼寝は午後3時以前に行ったほうが良い。午後3時を過ぎると夜の睡眠に差し支えが出る。
4.夜に眠るときは1~2時間前までに激しい運動や、満腹になるまでの食事を終わらせておいたほうが良い。
5.夜に眠る直前にテレビを観たり、スマホを開いたりしないほうが良い。「メラトニン」が正しく分泌されなくなる。また、本を読んだり音楽を聴いたりして、リラックスした気持ちで眠りに就くことが大切。
「抑うつ状態が治まってきている」と仰ってもらえて良かったです。また、「不眠を抑える5ヶ条」を教えてもらったことも良かったです。
個人的には、1番や5番がすぐに実践出来そうなので、試してみようと思います。
その他には、前回の診察で申請した自立支援医療精度の診断書を受け取ってきました。
自分で必要事項を記入する書類はもう記入が終わっているので、その書類と診断書とを合わせて早ければ明日役所に申請しに行こうと思います。
また、自立支援医療が認定されると、申請してから認定されるまでの医療費(3割負担)のうち2割分を返金されるので、受付の人から「領収書を失くさないようにしてきてください」と言われました。保管しておこうと思います。
とりあえず、最近は落ち着けているので良かったです。
あと少しになった療養期間ですが、「不眠を抑える5ヶ条」を試し体調も良くなって、7月から働けるようになりたいです。
それから、前回の診察記録では書き忘れてしまいましたが、処方せんの数に変化はありません。抗不安剤1日4錠(朝・昼・夜・就寝前)、睡眠導入剤1日1錠(就寝前)です。
次の診察は、また4週間後の7月18日 水曜日です。元の間隔に戻ったことも良かったです。
では、また。
【追記】今日、お薬手帳を忘れてしまいました。以前もよく忘れ、結果的に失くしてしまったので、再発行してもらってからは診察のたびに持って行こうと思っていたのに・・・。気をつけます ( ̄▽ ̄;)