あたまのなかで

よろしくお願いします。神経症患者としてではなく、ひとりの人間として。俳句が好きです。Twitter→(https://twitter.com/ryuji_haiku)

俳句を書くということ・追記 〜折笠美秋と高屋窓秋〜


おはようございます


昨日、ブログに上げた文章、「俳句を書くということ ~田島健一さんのブログから~」について。


https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/06/28/060530


昨日の今日にも関わらず、このブログ内での注目記事の1位になりました。俳句に関心のある多く方が読んでいただいたのだと思います。ありがとうございます。

 

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その「俳句を書く」ということについて、田島さんのブログでの「書かなければ忘れてしまう、書けば失われてしまう」という言葉に関連して思い出したことがあります。


それは、折笠美秋(1934~1990)のこと。


彼は高柳重信(1923~1983)に師事し、1958年に重信が同人誌『俳句評論』を創刊した当初から、編集に携わりました。


重信も美秋も、ともに「俳句を書く」と言っていました。


その後、長年にわたり師弟関係であった両者でしたが、重信は1983年に60歳で急逝。美秋もその前年、1982年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受けます。


以来美秋は病床で、わずかに動く眼と口とを頼りに奥さんに俳句や評論を書き取ってもらうようになります。


そんな美秋の病床での日々をまとめた『死出の衣(ころも)は』という本があります。随筆と併せ、俳句も収録されています。

 

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この本のなかで、美秋が重信から聞いた話として、若き日の重信が山口誓子の宅を訪れた際のことが書かれています。


曰く、重信は誓子から「あなたは俳句を“書く”と言っていますね」と批判的に言われたそうです。


死出の衣は』によれば、これは重信が「ようやく三十代に達した」の頃の話だそうです。西暦に直すと1953年前後の話になります。私は俳句の歴史に詳しいわけではありませんが、それでも現代より遥かに「伝統的」な俳句が俳句の世界の中心であり、重信の「俳句を書く」という言い方がとりわけ奇異に映ったことは容易に想像がつきます。


誓子からそんな批判を受けたことを、重信は美秋に時折懐かしげに話していたそうです。


美秋はこの話に対し、「何故“書く”なのか、事改まって此処に記すつもりはない」と書きながらも、「敢て記すならば“書く”という時に私は、高屋さん(注・高屋窓秋     1910~1999)が原稿用紙の真ん中に四文字『白い夏野』と書き、来る日も来る日も眼前の机の上に置かれていたという、現代俳句出立の記念碑的一句『頭の中で白い夏野となつてゐる』の作品成立過程を、極めて象徴的なシーンとして想起する。」と記しています。


「事改まって此処に記すつもりはない」という、一見素っ気ない書き方が、却って「いまさら俳句を“書く”か“詠む”か疑う余地はない」という美秋の強い思いを感じさせます。


また、そのあとに記している高屋窓秋のエピソードは、私が『死出の衣は』を最初に読んだとき、非常に印象的な文章でした。


「頭の中で白い夏野となつてゐる」は、私の好きな句の1つです。実際の風景としての「夏野」を超え、作者のなかの「夏野」のイメージが果てしなく広がり、それが読者まで伝わってきます。


冨田拓也という俳句作家が、以下のウェブサイトで美秋の代表句


ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう


の「ひかり野」という表現について「〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉の『白い夏野』を意味するものでもあるのでしょう。」と述べていますが、同感です。


http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/08/blog-post_29.html


繰り返すようですが、「白い夏野」も「ひかり野」も、実際の風景というよりは、作者の頭のなかに果てしなく広がっているイメージです。

そのことを考えると、これらのイメージは田島さんのブログに書かれた「書かなければ忘れてしまう、書けば失われてしまう」ものだとも思えます。


このように思い返してみれば、私のなかで『死出の衣は』のなかの高屋窓秋のエピソードが根底にあり、それが田島さんのブログに触発されて表出し、自分でも俳句を「書く」と言うようになったのでしょう。


美秋の文章と田島さんの文章を通じて、「何を書けば良いのか」「どのように書けば良いのか」という自分の俳句に対する意識が、少しではありますがハッキリしてきたと思います。


最後に、『死出の衣は』というタイトルは、美秋の


ととのえよ死出の衣(い)は雪紡ぎたる

 

という句に由来しています。この「雪」も実際の風景というよりは、美秋や美秋の家族がALSの闘病のなかで重く受け止める悲しみの比喩として読むべきでしょう。