あたまのなかで

よろしくお願いします。神経症患者としてではなく、ひとりの人間として。俳句が好きです。Twitter→(https://twitter.com/ryuji_haiku)

岡上淑子の作品についての3つの印象


1

 

3月14日(水)に、東京都庭園美術館で開催されている展覧会岡上淑子 沈黙の奇蹟」に行ってきた。

 

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展覧会の公式サイト→(https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190126-0407_okanoue.html

 

岡上淑子はコラージュ作家である。彼女の名前を私が初めて知ったのは、昨年に彼女の出身地である高知県で開催された個展についてインターネットで観たときだった。
岡上のコラージュ作品について、私がまず印象的だったのは、その発想の自由さであった。
例えば、今回観た展覧会の公式ガイドブックの表紙にもなっている「夜間訪問」という作品でも、その自由さはお分かりいただけると思う。

 

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頭部が扇になっているドレス姿の女性が中心に置かれている。女性の背景はヨーロッパ風の大きな城を臨む街並みのシルエットであり、女性は宙に浮かんでいるように見える。そして、その女性を取り囲むように蝙蝠傘が何本も開いている・・・。
写真とは、端的に言えば現実を前面に押し出した表現である。現実には意味が付随する。
しかし、岡上はそれらの写真をバラバラにして意味を解き放つ。そして、意味ではないものによってもう一度それらの写真の断片をつなぎ合わせて、非現実を、幻想を前面に押し出した表現に変える。
扇も、ヨーロッパの街並みも、蝙蝠傘も、そしてなにより中心に置かれたドレスの女性も、岡上の作品のなかでは機能や目的といった意味を持たない。これらは、みな美しいかたちそのものとして作品に置かれている。
このような岡上の作品の、元の写真の存在を忘れさせるような発想の自由さは、私にとってまず印象的であった。

 

2

 

次に私が印象的だったのは、作品に使用されている元の写真にモノクロのものが多いことだ。これは、彼女の生まれ育った時代と関係している。
岡上は1928年に高知県で生まれている。その後、1950年に文化学院デザイン科に入学したことを端緒に、コラージュ作品を作るようになる。そのため、彼女の作品の元の写真は、1950年代の『LIFE』や『VOGUE』等、海外の雑誌に掲載されていたモノクロのものが多いのだ。
しかし、私はこうしたモノクロの写真の多さを、単なる時代背景のみで結論付けたくはない。さらに言えば、岡上はモノクロの写真を使って作品をつくることで、作品にある大きな要素を与えていたと思う。
その要素とは、世界観の統一である。これは、先に書いた「発想の自由さ」と矛盾しているように聞こえるかも知れない。しかし、決してそうではない。
岡上は元の写真の断片の多様性から、さらに多様性のある作品をつくっていき、それが自由な世界観へとつながっていった。
しかし、その自由さは即ち楽しさ、やわらかさとして通じるものではない。寧ろ、彼女の作品の世界観はそれぞれの写真の断片の意味から解き放たれた自由さが、一つの作品のなかでガツンガツンとぶつかり合っているようである。
それは、自由というより混沌に近いかも知れない。例えば、岡上の作品がカラーだったらどうだろうと考える。先に取り上げた「夜間訪問」の扇やドレス、蝙蝠傘に色がついていとしたら。
恐らく、作品のなかの色は鑑賞者にとって非常に乱雑に映り、岡上の思い描く世界観を共有する、或いは鑑賞者のなかで広げていくことは難しいだろう。まさに鑑賞者は自由より混沌を感じてしまう。
つまりそうしたことを防ぐために、先に書いたような、意味から取り除かれた写真の断片の自由さを守るために、岡上はモノクロという世界観の統一を行ったのである。
このような世界観の統一により、岡上の作品には自由と緊張との非常に微妙なバランスが生まれている。彼女の美意識の高さを強く感じる。

 

3

 

岡上の作品について私が最後に印象的だったのは、女性が大きなモティーフとなっているものが多いことだ。例えば「夜間訪問」も、ドレス姿の女性が中心に大きく置かれている。
また、岡上の作品に於ける女性の多くからは、堂々とした印象を受ける。そしてそれは、単純に正義につながるものではなく、寧ろ人間の黒い部分が幻想的な美しさを伴って表現されていると思う。例えば「懺悔室の展望」という作品では、砂漠に髑髏が群がり、その砂漠のさらに遠くにはイエス・キリストらしき人物が立っている光景を、カーテンの付いた窓から笑って眺める二人の女性が描かれている。また、「とらわれ人」という作品では、ベルリンの壁を思わせる長い壁でうなだれている人々の列を前に、全裸の、そして頭部が鎖になっている女性が踊っているように立っている。この作品の女性は堂々としているというよりはエロティックであるというべきだろう。
そして、このような岡上の作品に於ける女性について考える上では、彼女自身の境涯についても触れざるを得ない。
先に書いたように、岡上は1928年に高知県で生まれている。その後、1950年からコラージュ作品を作るようになる。
しかし、1957年に画家・藤野一友と結婚して以降、現在までコラージュの製作から離れている。(因みに藤野とは1967年に離婚。岡上は母と息子とともに東京都から高知県に転居し、現在もそこに住む)
つまり、今回の個展に出品された約150点の作品は、全て岡上が22歳から29歳までの約7年間につくられたものである。
また、今回のような大規模な個展が開催されるようになった端緒は2000年の岡上淑子 フォト・コラージュ —夢のしずく—」(東京・第一生命南ギャラリー)だが、それは1956年以来44年ぶりに開催された個展であった。
こうした事実をもとに、岡上がコラージュの製作を止めた理由を推測したり、所謂「忘れられた作家」であったことを嘆いたりすることは出来るだろう。また、そのことが岡上の作家としての評価につながる部分もあるだろう。
しかし、敢えて言えばそうした岡上の境涯、言い換えるなら「物語性」のようなものを前提として彼女の作品に触れることを私は好まない。
確かに、岡上にとってコラージュの製作は何か救いになるものであったろう。また、その製作を止めた苦しさもあったろう。しかし、これまで述べてきたような岡上の幻想的な作品を前にすると、彼女がそうした個人的なことに重きを置いて製作していたとは私はどうしても思えないのだ。

 

4


「小説のなかにある言葉は、辞書のなかにある言葉よりも美しくなければならない」といった言葉を聞いたことがある。芥川龍之介の言葉だったろうか。岡上のコラージュ作品を観たとき、またその後に彼女の境涯を知ったとき、私はこの言葉を思い出した。
つまり、岡上のコラージュ作品のなかの写真は、雑誌の写真より美しくなければならないと思う。芥川の言葉の「辞書」に象徴されているのは、やはり機能や目的や意味といったものであり、それらは雑誌の写真にも存在する要素だと思う。そうした機能や目的や意味は社会を円滑に進める反面、個人にしがらみを強いてしまうものでもある。岡上は、そうしたしがらみに対して、コラージュの製作という非常に優雅な方法で復讐を試みたのではないだろうか。
岡上の作品での堂々とした、エロティックな、人間の黒い部分を見せる女性たちは、岡上個人の救済と希望のみを表現しているのではない。寧ろ個人を超えて、或いは一過性のイデオロギーを超えて女性というものの本来的な救済と希望を表現していると思う。それは、とても大きな表現である。だからこそ、岡上の作品は長きにわたってその鮮烈な美しさを保っているのだ。
最後に、公式ガイドブックに掲載されている岡上の言葉を引いて筆を擱く。

 

日常の生活を平凡に掃き返す私の指から、ふと生まれましたコラージュ。コラージュ—他人の作品の拝借。鋏と少しばかりの糊。芸術・・・・・・芸術と申せば何んと軽やかな、そして何んと厚かましい純粋さでしょう。ただ私はコラージュが其の冷静な解放の影に、幾分の嘲笑を込めた歌としてではなく、その偶然の拘束のうえに、意志の象を拓くことを願うのです。