あたまのなかで

よろしくお願いします。神経症患者としてではなく、ひとりの人間として。俳句が好きです。Twitter→(https://twitter.com/ryuji_haiku)

九堂夜想試論 ~前回の文章の欠点から~


1 自慢話のような前置き

 

前回、このブログに「九堂夜想句集『アラベスク』を読む」という文章を書いた。

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2019/02/24/231148

 

著者の九堂氏自ら私に句集をお送りいただいたこともあり、そのお礼代わりとして感想を書いた。「本人に読んでいただけたら嬉しい」と思っていた。

 

しかし、そのブログを書いたあとの九堂氏からの反応が嬉しかった。まず、読んでいただいたどころか、私の「ブログを更新した」という旨のツイートに「いいね」を押され、リツイートもしていただいた。

 

また、今日起きてパソコンを点けると、九堂氏がTwitterのみならず、Facebookにも私のブログのリンクを貼っていただいたことを知った。

 

そしてそのFacebookのコメント欄には、俳句作家であり『豈』同人の堀本吟氏からのコメントが寄せられていた。

 

このように、九堂氏と堀本氏から丁寧な反応をしていただき、私は「ブログを更新して良かった」と強く思った。

 

2 私の『アラベスク』の感想の欠点

 

―と、ここまでお読みいただいた方は、「自慢話じゃないか」としか思わないだろう。仰る通りである。私が逆の立場でもそうとしか思わない。

 

だから、このように「九堂氏と堀本氏から丁寧な対応をしていただいた」とわざわざ自慢するのは、拙稿をブログにアップするより恥ずかしいことである。

 

それを踏まえた上で、どうしてこのような文章を書いているのかと訊かれたら、「私がひねくれた性格だからです」と答える。

 

ひねくれた性格―つまり、私は今回のように自分の文章を他人から褒められたりすると、反比例するように自分の文章の欠点を探してしまうのだ。

 

この稿でこれから本題として述べるのは、無論『アラベスク』の感想の欠点である。その欠点とは、次のようなものである。以下、前回の文章から引く。

 

九堂の「海程」同人としての作品で、私の手元にある最も古いものは『海程多摩』第八集(2009年)に寄せている「墨界」20句である。以下、1句目から10句目までを引く。

萍や古人(いにしえびと)と徒人(ただびと)と
さかしまに湖は立つらし告天子
常おとめ野の一切はうたわずに
蛇ひそと風は面をあげにけり
月朧あれ画かれたる顔ならん
ときしらず他界の火事のとよむかな
墨界に蝶を釣らんと空し手は
諸がえり日は血脈を濁らせつ
鳥過ぎて野には呻めく石柱

一読、聞き慣れない言葉が並ぶ。「徒人」(普通の人、常人、天皇・皇后に対する臣下の称、官位の低い人、僧でない人、俗人)、「常おとめ」(とこしえに若々しい女、いつも変わらぬ若々しい少女)、「墨界」(料紙に墨で引いたり墨色に刷ったりした罫線)等々・・・。九堂の句を知ってから、私は電子辞書を広げる回数が増えた。

 

また、句のなかの季語も古さを感じさせる言い回しが目立つ。「告天子」(雲雀の別名)、「ときしらず」(キンセンカの別名)、「諸がえり」(生後3年を経た鷹。あおたかとも言う)等々・・・。

 

つまり、前回の文章のなかで私は、俳句のなかの言葉を解説することで、それを意味の領域まで落としてしまっているのだ。

 

例えば、「徒人」「常おとめ」という言葉から、読者はそれぞれに自由なイメージを持っていいと思う。それを「普通の人」、「とこしえに若々しい女」と解説されると、読者の想像はそこで止まってしまう。


尊大な言い方になるが、感想を書くということは著者と読者をつなぐ中間点になるということである。つまり、私のブログを読んで「『アラベスク』を読んでみたい」と思ってもらえることが重要である。

 

そのように考えると、私が九堂氏の俳句の言葉の意味を解説したことは非常に野暮であったと思う。

 

さらに言えば、私も九堂氏の句からその意味を知った言葉がある。例えば「墨界」がそうだ。「料紙に墨で引いたり墨色に刷ったりした罫線」という意味の言葉だが、私はそれまで文字の並び通り「墨の世界」をイメージしていた。そして、「墨の世界」は「言葉の世界」「本の世界」へとそのイメージを変えていった。


それは私にとって非常に楽しかった。いま「墨界」の正しい意味を知っても、そうした楽しいイメージは私のなかで持続させようと思う。

 

九堂氏の俳句を読む上で非常に重要なのに、前回の文章で書き忘れたことがある。それは、「九堂氏の俳句は意味を考えるのではなく、イメージを感じる句である」ということだ。

例えば、先に「墨界」という言葉について触れたが、『アラベスク』には

 

墨界に蝶を釣らんと空し手は

 

という句が収録されている。掲句から、私はこんな光景をイメージした。飽くまでも私のイメージである。

 

「墨界」とは、言葉の世界であり、本の世界である。理性の世界と言い換えても良い。森のように、或いは海のように言葉が満ちているその世界を、一頭の蝶が渡ってゆく。蝶は美しい。自分はその蝶を捕まえようと釣り糸を垂らすが、(そう、俳句の光景が意味ではなくイメージであるなら、蝶もおよぐ)なかなか捕まえられない。そのうち、蝶は理性の世界を離れ、本能のままにどこかへ過ぎてしまう。残された釣り糸のさびしさ、終(つい)に理性の世界を抜け出せなかった自分のさびしさが「空し手」という言葉に象徴的に表れている。

 

―だいたいこのような光景である。「墨界」という言葉の正しい意味は疎か、蝶がいるのはどのような場所かもはっきりとは分からない。しかし、正直に言えば個人的に気に入っている解釈である。

 

3 九堂氏の俳句に於ける言葉の解放

 

前回の文章で、私は九堂氏の

 

蝶や果つなべて旅人算の外(げ)に

 

という句を例に、「九堂の句の世界では、『蝶』や『蛇』は悉く季語の桎梏から解放される。」と書いた。

 

しかし、いま改めて『アラベスク』、また『LOTUS』を読むと、九堂氏は季語どころか言葉それ自体を意味の桎梏から解放しようとしていることが分かる。前回の文章で九堂氏の句について「聞き慣れない言葉が並ぶ」「季語も古さを感じさせる言い回しが目立つ」と書いたが、それは言葉から日常性を取り除き、意味の桎梏から解放させるための術なのだろう。

 

前回の文章で、図らずも「言葉の意味の解説」という野暮なことをしてしまったが、それでも九堂氏の句には、自由にイメージを感じられる言葉がまだ沢山ある。

 

試しに『アラベスク』からアトランダムに引けば、以下のようになる。

 

天泣の鳥トルソーを嬲らんと
日あらぬ海には海の破墨とや
寂声をふいに天道ぼこりの蝶
虹や落つ紫都は何々してあそぶ
妹這うや硯に立てる天眼を
リュートや亡し風眼の騎手にして
狐窓しずと菊の香とどまれる
まむしゆび月の脂を啜らんか
鳥食やつとに毬(があが)を咥えては
めくら道つれゆく花のおとうとを

 

「天泣」「破墨」「寂声」「紫都」・・・。もう先のような野暮なことは行わない。これらの言葉から、読者はどのようなイメージを広げるだろうか。

 

このような九堂氏の言葉の使い方は、いまの私にとってひとつの憧れである。どうしても一句のなかで言葉の意味に囚われ(それは季語に限ったことではない)、その先のイメージも意味を抜け出させないからだ。

 

そして、そうした言葉の自由なイメージによって、前回の文章で書いた、百鬼夜行絵巻を広げるような、或いはボルヘス「砂の本」を広げるような、始まりも終わりも無い世界を多くの人に楽しんでほしい。

 

 

九堂夜想句集『アラベスク』を読む

 

九堂夜想の句集アラベスクが、今月六花書林より上梓された。

 

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私と九堂とは、これまでに彼が同人として参加している「LOTUS」の句会に於いて昨年10月と12月の2回会ったに過ぎない。しかし、幸運にも彼自ら句集を謹呈していただいた。非常にありがたく思う。

 

Ⅰ 九堂夜想を知ったきっかけ

 

そもそも九堂を知ったのは、現在私が所属している俳句結社「海原」の前進であった「海程」(主宰・金子兜太の逝去に伴い、昨年7月で終刊)に、彼がかつて所属していたからである。

 

私が九堂を知ったとき、既に彼の作風は「海程」のなかで異端とも言うべきものだった。九堂の「海程」同人としての作品で、私の手元にある最も古いものは『海程多摩』第八集(2009年)に寄せている「墨界」20句である。以下、1句目から10句目までを引く。

 

萍や古人(いにしえびと)と徒人(ただびと)と
さかしまに湖は立つらし告天子
常おとめ野の一切はうたわずに
蛇ひそと風は面をあげにけり
月朧あれ画かれたる顔ならん
ときしらず他界の火事のとよむかな
墨界に蝶を釣らんと空し手は
諸がえり日は血脈を濁らせつ
鳥過ぎて野には呻めく石柱

 

一読、聞き慣れない言葉が並ぶ。「徒人」(普通の人、常人、天皇・皇后に対する臣下の称、官位の低い人、僧でない人、俗人)、「常おとめ」(とこしえに若々しい女、いつも変わらぬ若々しい少女)、「墨界」(料紙に墨で引いたり墨色に刷ったりした罫線)等々・・・。九堂の句を知ってから、私は電子辞書を広げる回数が増えた。


また、句のなかの季語も古さを感じさせる言い回しが目立つ。「告天子」(雲雀の別名)、「ときしらず」(キンセンカの別名)、「諸がえり」(生後3年を経た鷹。あおたかとも言う)等々・・・。

 

現実世界のあれこれには見向きもせず、ひたすら言葉によって妖しく美しいイメージを作り出していく。そんな九堂の俳句に私は圧倒された。以来、私は出来るだけ多くの九堂の句を読もうと心掛けた。

 

先に書いたように九堂は「LOTUS」に参加しているが、さらに詳しく言えば、彼は2004年の創刊以来の同人である。

そして、彼は句歴を重ねるごとに作品・評論の発表の場の重きを「海程」から「LOTUS」に移していった。九堂がいつ「海程」を退会したのか具体的には分からないが、彼は『海程多摩』第十二集(2013年)にも「神遣う」20句を寄せているから、この年まで「海程」同人だったことは間違いない。いずれにしても現在の「海原」に参加していないことは確かである。

 

そのため、九堂の俳句は「海程」より「LOTUS」で書かれていったと言うほうが適切だろう。

 

Ⅱ 『アラベスク』の感想の書きづらさ

 

ここまでの長い前置きを終え、ようやく『アラベスク』の感想を書いていきたいのだが、忌憚なく言えば『アラベスク』は非常に感想を書きづらい句集である。

 

誤解のないように付け加えれば、その理由は九堂の句のレベルの低さにあるのではない。寧ろ、その理由は九堂の作風の強固なオリジナリティにある。

 

端的に言えば『アラベスク』は、というより、「LOTUS」で近年発表されている九堂の句は一句で完結するものではない。

 

例えば、『LOTUS』最新号(第41号)に九堂は「天鏡」18句を寄せている。そのなかから何句かを抄出する。

 

天鏡にひそむ蠍の神ごえや

空井戸や言葉か砂か興りつつ

風やまた砂を繰らんと大鷹は

蝶を食む子のまなうらに砂丘あれ

叛きゆく大鷹終わりなき問いを

 

このように「天」「鷹」「蝶」「砂」といった言葉を繰り返し用いている。

 

また、その第41号では

 

さすらいの天深くして祖語や蛇

 

第40号(「遊部」20句)では

 

天庭を蛇およぐみな巫病とぞ

 

といったように、『LOTUS』を何冊か通して読めば「蛇」という言葉をやはり多く用いている。『アラベスク』を通読して、特に多く用いていると思った言葉は「蝶」「蛇」、それから「鳥」であった。

このような同じ言葉の頻出によって、九堂は一句を超えた大きな俳句の世界を作ろうとしている。

 

その大きな世界とは、先に書いたような現実世界のあれこれには見向きもしない世界である。寧ろ九堂は、あの世、彼岸、他界といった我々が生きているうちには垣間見ることすら叶わない世界に目を向けているようだ。


それらを考えると、九堂の句を読むことは絵巻物を広げることに似ている。百鬼夜行絵巻のなかで繰り返し画かれる、日没と共に現れ夜明けと共に消える鬼神の姿と、九堂の句の「蝶」「蛇」「鳥」の姿は重なる。そう言えば、『アラベスク』には

 

日ふかく化人の尻を吸う蝶ら

 

という句も収められている。

 

また、そうした九堂の句の世界では、「蝶」や「蛇」は悉く季語の桎梏から解放される。これはおそらく『アラベスク』には収められていないが、

 

蝶や果つなべて旅人算の外(げ)に

 

という句がある。(『LOTUS』第41号収録)掲句の「蝶」を、私は既に死んでいる蝶と解釈した。また、「旅人算」に象徴されているのは、どちらが先でどちらが後、どちらが速くてどちらが遅い、牽いてはどちらが優れていてどちらが劣っているかといったこの世の様々なつまらぬしがらみだと思う。しかし、掲句の死んだ「蝶」はそのようなしがらみから「なべて」「外に」飛んで行ける。先を飛んでいたかと思えば後ろを飛び、現れたと思えば消える、そんな何匹もの蝶の姿を想像する。


そして、考え方によっては季語もそのようなしがらみのひとつではないだろうか。どの季節に飛んでいても、或いは生きていても死んでいても、「蝶」は「蝶」。蝶を春の季語に限定し、夏の蝶、秋の蝶、冬の蝶・・・と注釈のように書かなければいけないことは、ナンセンスとも言える。

掲句からは、季語の桎梏から解放された「蝶」のたましいとも呼びたい姿が感じられる。

 

富澤赤黃男の有名な言葉に

 

蝶はまさに〈蝶〉であるが、その〈蝶〉ではない。(「クロノスの舌」)

 

というものがあるが、掲句は赤黃男の言葉を実作によって示したのではないか。

 

アラベスク』の特長の一つとして、そうして絵巻物を広げるように蝶の姿や蛇の姿、鳥の姿を追っていく句集ということが言える。

 

Ⅲ 『アラベスク』という「砂の本」

 

アラベスク』は全部で3章に分かれている句集である。また、章ごとのタイトルはなく簡素に「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」と振られているのみだ。そして、その3章のなかを先に書いたように「蝶」「蛇」「鳥」が繰り返し現れる。


これは、卑近なことを言ってしまえば、非常にある一句を探すことが困難である。しかし、読み進めていくうちに、この私が感じた困難さこそ九堂が『アラベスク』という句集で表現したかったことなのではないかと考えるようになった。

 

「詩客」というウェブサイトの「私の好きな詩人」というコーナーで、昨年2月に九堂はエドモン・ジャベスいう詩人を取り上げている。
https://blog.goo.ne.jp/sikyakuesse/e/c3692a929b9c79c7e78a9d716cd1e5ee)その書き出しの文を引く。

 

ボルヘスの掌編「砂の本」に出てくる書物は、魅惑的で、かつ恐るべき存在である。布製の、一見してさほど厚いとも思えない古びた八折り判の本だが、異様に重い。普通に開くことはできる。だが、表紙があるにもかかわらず、なぜか一頁目が開けない。同様に最終頁も見出せない。始まりも終わりもなく、書物自体が次々とあらたな頁を生み出し(あるページには九乗の頁数が!)、本を開くたびに、言葉が、文章が、流れるように変容する。そして、ひとたび本を閉じたが最後、二度と同じ頁を繰ることはできない。

 

そして、九堂はこの面妖な「砂の本」について、さらに以下のように述べている。

 

まさに、砂のごとく、サラサラと絶え間ない遊動性をはらむ、ある意味で〈無限〉を体現したような本だが、これを読んで、ふと似たようなイメージの書物が脳裡に浮かんだものである。句集である。
五七五・一行・棒書きの、砂粒のようなフラジャイルな一句一句がまとめられた一巻の在りようは、さすがに記されたテクスト自体は変わらないものの、初読から時を経てあらたに頁を開くたびに、その都度あたらしい感懐や発見、創造の契機を読み手に与えてくれる(あくまで中身の充実した良質なものに限られるが)。

 

その後、九堂は実際に「砂の本」と呼べるような詩を書いた詩人として、ジャベスの名を挙げている。九堂にとってはジャベスについての記述が重要なのだろうが、私は寧ろボルヘスの「砂の本」そのものに惹かれてしまった。

 

つまり、九堂にとって『アラベスク』の3章に繰り返し現れる「蝶」「蛇」「鳥」の存在は、その絵巻物のような世界を具現化することと同じくらい、「砂の本」を具現化することに於いて重要だったのである。このことも『アラベスク』の特長である。

 

先に私は

 

蝶や果つなべて旅人算の外(げ)に

 

という句を、「おそらく『アラベスク』には収められていないが」と断った上で取り上げた。

 

そう、「おそらく」なのだ。正直に言えば、私は掲句が「『アラベスク』のどこかの頁に収められていたのではないか?」という疑問を捨てきれずにいる。いま、この稿を書くにあたって、句集を読み返したが見つからなかった。

 

しかし、掲句はあるとき『アラベスク』のなかで見つかるかも知れない。またしかし、それと同様にある句が『アラベスク』から消えてしまうかも知れない。

 

掲句が『アラベスク』から消えたとき、私は「『アラベスク』に仕掛けられた罠にまんまと嵌ってしまったなぁ」と思った。無論、非常に嬉しかった。

 

アラベスク』のなかの「蝶」「蛇」「鳥」のどれかが動き出したら気を付けたほうがいい。それは、九堂が著したこの「砂の本」に足元を掬われ始めているということだから。無論、気を付けたところで無駄であり、最後はそれを快楽とすら感じるようになるのだが―。

 

最後に『アラベスク』から、その特長を最も表していると私が感じた句を引く。

 

我空とやみな蛇の香に酔いやすし

 

私ばかり酩酊していても周りはつまらない。是非多くの人にその妖しく美しいイメージを味わってほしい。

 

診察記録 2019年2月 その他、2月の様子


こんにちは。というか、お久しぶりです。

 

前回の更新から、1ヶ月以上も経ってしまいました。

 

その間のことを、2月13日(水)の埼玉医科大学病院への診察も合わせて、つらつらと書いていこうと思います。

 

・2月5日 風邪を引く

 

ブログをなかなか更新出来なかった大きな理由の一つがこれです。2月のはじめから、仕事から帰ったあと、なんとなくだるく、すぐにベッドに潜り込むような日々が続いていました。

 

はじめは、アルバイトでの疲れ、あるいは時々起こる神経症による体調不良だと思っていました。

 

しかし、それにしてはだるさが長引くと感じ、5日の夕方に念のため熱を測ってみると38.2度・・・。即座に熱さまシートを貼って、ベッドに入りました。

 

インフルエンザかも知れないので翌日に病院へ診察。検査の結果は陰性でした。

 

ただ、インフルエンザではなかったとしてもやはり風邪はつらい!

 

39度以上の熱が出て、結局、完全に治るまで1週間くらいかかりました。友人と会う約束や、句会もキャンセルせざるを得ませんでした。残念・・・。

 

ここ何年か風邪は引いてなかったので、油断していたのかも知れません。改めて風邪には気を付けようと思いました。

 

・2月13日 埼玉医科大学病院へ診察

 

今回の診察で先生に話した主な内容は、アルバイトの悩み。正確に言えば、今回に限らずもう何回か診察の度に話していることなんですが、社員と打ち解けることが出来なかったり、社員から心ないことを言われたりして、やはり段々と自分のなかでアルバイトがつらいものになっていました。

 

また、先に書いたように風邪を引いて、自分のなかでアルバイトに対する虚しさが強くなりました。

 

その虚しさが強くなった大きな理由が、勤務時間です。


以前ブログに書いたこともありますが、私のアルバイトは最寄りの駅に隣接するショッピングモールの清掃です。

 

勤務時間は、求人情報の上では

 

・午前7時から午前10時まで

・午前7時から午後12時まで(休憩30分)

・午前7時から午後5時まで(休憩2時間)

 

の3種類になっています。

 

しかし、実際は「人手不足だから」「開店前の掃除が終わらないから」という理由で、私を含め社員全員が1時間くらい早い午前6時から仕事をしていました。

 

そして、その1時間分の給料は払われていませんでした。

 

私を含め、良くないことだったのですが、全員が「みんなやっているから」という感じで、この給料未払いについて意見しませんでした。

 

また、時給も891円と埼玉県の最低賃金でした。つまり、午前7時から午前10時までの3時間だと、2673円にしかなりません。そして、私は清掃の仕事に就いて日が浅いことや、神経症のために仕事を休むこともあったので、3時間しか仕事を入れてもらえない日が多かったです。

 

つまり、ただでさえその日2673円しか働けないのに、風邪を引いて休むと、そのお金すら稼げなくなります。

 

そうした給料の問題や人間関係の問題に対して、風邪で休んでいるうちに「別の仕事を探したほうが良いのではないか」と考えるようになりました。

 

その日の診察では「仕事を変えようか悩んでいる」というところまでしか先生に話しませんでしたが、結局、この診察から数日後、アルバイト先に「退職したい」と伝えました。近いうちに職場へ退職届を書きに行く予定です。

 

・2月20日 障害者年金の申請をする

 

前回の診察記録で、障害者年金の申請のために、診断書を書いてもらうよう先生に頼んだと書きました。(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2019/01/16/104812

 

13日の診察でその診断書を受け取り、予め用意しておいた他の書類と合わせて、20日に大宮年金事務所まで障害者年金の申請にいきました。(この書類への記入が忙しかったことも、ブログを更新出来なかった大きな理由です)

 

年金事務所では、「病歴・就労状況等申立書」(自分がその病気を発病したときから病院に初診でかかったときまでの様子を年月順に記入する紙)の訂正を求められ、慌てて職員の前で書き直したりしましたが、それ以外は書類の不備もなく、申請することが出来ました。

 

書類は何種類かありどれも複雑なので、認定されるまで3、4ヶ月かかるそうです。また、申請したからといって必ず認定されるわけではありません。

 

個人的には、もちろん認定されてほしいです。少し不安ですが、「やるだけのことはやった」と思い、結果を待つことにします。

 

ただ、とりあえず申請をして肩の荷が下りた感じはします。

 

・現在の状況

 

というわけで、以上が私の2月の大体の様子です。改めて書いてみると、自分でも「忙しかったんだなぁ」と思います(笑)

 

つまり、現在の状況は「アルバイトを辞め、障害者年金の認定を待っている」というものです。

 

そして、「新しくアルバイトを探すか、このまましばらくアルバイトを休むか」ということをいま迷っています。

 

あまり詳しく書くと重たい話になってしまいそうですが(もうなっている?)前職に限らず、これまで色んなアルバイト先でつらい思いをして、その度に辞めているので、障害者年金の結果が分かるまでは少しのんびりしようかなとも思っています。

 

まぁ、このことについては今すぐに結論が出る話でもないでしょうから、また考えて、ブログにも書こうと思います。

 

久々の更新で、つい長い文章になってしまいました。

 

最後に、現在の薬の状況です。

 

抗不安剤 ロラゼパム錠「サワイ」 0.5mg 1日4回
睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
抗不安剤 レキソタン錠5 5mg 不安時

 

診察記録 2019年1月 障害者年金について

 

こんにちは。(もう「明けましておめでとうございます」という時期ではありませんよね・・・)

 

2019年になってはじめてのブログ更新です。

 

1月9日(水)に、埼玉医科大学病院での診察に行ってきました。

 

主に仕事の上での悩みや、最近、気分の落ち込みが激しいこと、また、それに伴って体調が優れないこと等を先生に話しました。

 

また、その日の診察での大きな出来事として、障害者年金に必要な診断書を書いてもらうよう、先生に渡しました。

 

障害者年金の申請に必要な書類自体は、診察の日から少し前の1月4日(金)、大宮年金事務所に行って全て揃えてきました。

 

次の診察の日(2月6日)に診断書を受け取ることになっているので、2月中には申請しようと思います。

 

 

今後の予定としては、障害者年金を申請し、認定されるまではいまの仕事でお金を稼いでいこうと思います。

 

もちろん、障害者年金は申請したからと言って必ずしも認定されるものではないので、その不安もありますが、もし認定されなかったら、それはそのときに考えようと思います。

 

とりあえず、いまは障害者年金の申請に必要な書類を丁寧に仕上げていきたいと思います。


現在の薬の状況です。頭痛薬 ロキソプロフェンナトリウム錠「クニヒロ」と、胃腸薬 レバミピド錠「EMEC」が減って、いまは3種類処方されています。

 

抗不安剤 ロラゼパム錠「サワイ」 0.5mg 1日4回
睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
抗不安剤 レキソタン錠5 5mg 不安時

 

 

 

 

診察記録 2018年12月

 

こんにちは。

 

12月26日(水)に、埼玉医科大学病院まで診察に行ってきました。

 

早いもので、もう今年最後の診察です。

 

前回の診察記録では、仕事の上で悩みがあり、それを思い切って上司に相談したら、上司や同僚からの私への接し方が以前より穏やかになったということを書きました。

 

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/12/04/191408


前回の診察から約1か月が過ぎましたが、有難いことにそうした状況は続いています。

なので、繰り返すようですが以前より仕事がしやすくなっています。

 

というわけで、いまの精神的な悩みは殆どありません。

 

強いて言えば、1日のなかで気分の変動が少し多い気もしますが、抗不安剤を服んで自分でコントロール出来ていると思っています。

 

あとは、体調的な悩みでは、これも前回の診察記録で書いたことですが、寒い季節になってからの頭痛が少し多いです。でも。これもロキソニンジェネリック医薬品を服めば抑えられます。

 

・・・というわけで、総じて言えば、いまのところはこのブログに書くようなことは殆どありません(笑)

 

でも、これは良いことだと思っています。それだけ寛解に近づいているということですから。

 

来年もこのまま、なるべく穏やかに過ごせていけたら良いです。

 

現在の薬の状況です。

 

抗不安剤 ロラゼパム錠「サワイ」 0.5mg 1日4回
睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
抗不安剤 レキソタン錠5 5mg 不安時
・頭痛薬 ロキソプロフェンナトリウム錠 「クニヒロ」 60mg 頭痛時
・胃腸薬 レバミピド錠「EMEC」 100mg 頭痛時

 

次回の診察は、少し事情があって早まって1月9日(水)の予定です。

 

また、今年は障害者年金・障害者手帳の申請をしようと思ったのですが、忙しかったり体調が優れなかったりして結局出来ませんでした。来年は早めに申請しようと思います。来年の大きな目標のひとつです。

 

この記事で、診察記録のカテゴリ記事だけでなく、このブログ全体としても今年最後の記事になるかも知れません。

 

皆さん、どうぞよいお年をお迎えください (*^_^*)

 

俳句を書きはじめて二年になりました② ~7月から12月まで~

 

こんばんは。

 

今回も、前回と同様、俳句を書きはじめてから2年になった今年を月毎に振り返っていきたいと思います。今回は7月から12月まで。

 

・7月

 

12日~14日 大阪旅行

2泊3日で大阪まで旅行に行ってきました。最大の目的は中崎町にある本屋「葉ね文庫さん」へ行くこと。このお店は詩歌の品揃えが充実しています。1日目・2日目の両方とも行きました。

雑居ビルの半地下に構えてあるこじんまりとしたお店ですが、棚に並べられた句集・歌集・詩集・俳誌・歌誌・・・の品揃えには圧倒されます。靴を脱いで入るので、サンダルを脱いだときの素足で踏む絨毯の感触が心地良かったです。なんだか自分の部屋にいるようでした。(実際、来店する度に長居してしまいました、ゴメンナサイ)


また、偶然なことに、同じ埼玉県内にお住まいの方と知り合えたことも嬉しかったです。


とにかく、非常に居心地の良いお店だったので、また来年も行きたいと思います。季節は・・・やっぱり夏が良いな。

 

買った本を含めて、「葉ね文庫」さんがどのようなお店かということ、また、大阪旅行の全般については以下のブログに書いてあります。

 

【関連記事】

大阪旅行記1日目 ~葉ね文庫さんに行ってきました~
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/07/13/175409

 

大阪旅行記2日目 ~中崎町の面白いお店と、葉ね文庫さんでの嬉しい出来事~
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/07/14/104813

 

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葉ね文庫さんの看板

 

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店内の様子

 

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店主・池上きくこさんと私

 

 

31日 石田波郷新人賞応募

芝不器俳句新人賞に続き、7月の終わりに石田波郷新人賞に応募しました。石田波郷新人賞は、年齢制限30歳未満という、俳句の賞のなかでも非常に若い年代向けの賞です。また、未発表作20句に表題を付けて応募します。私は「会話」という表題を付けて応募しました。
芝不器男俳句新人賞での「自分らしい俳句とはなにか」という考えを、この賞で実践してみたいという思いがありました。
しかし、10月の中旬に知った結果では惨敗芝不器男俳句新人賞のときは通過できた一次選考すら通過出来ませんでした。
それから、自分の技術不足もあるのでしょうが、なんとなく自分のいまの作風である「口語体・現代仮名遣い」の俳句が軽く見られているような印象でした。
はっきり言って、応募作品の「会話」は、今年自分が応募した3つの賞(芝不器男俳句新人賞・石田波郷新人賞・いま推敲中の俳句四季新人賞)のなかで、一番よく書けた作品でした。それだけに、結果のショックは大きかったです。

 

【関連記事】

石田波郷新人賞について考えたこと
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/10/16/190452

 

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いちおう作品集は送られてきました・・・。

 

7月の一句 藻の花や爪先立ちという孤独

 

・8月

 

28日~30日 髙田獄舎さんと北海道旅行

フォロワーさんのお一人であり、俳句や短歌を書かれている髙田獄舎さんのお誘いで、髙田さんのお住まいの北海道は札幌と登別温泉に行ってきました。


生まれて初めて行った北海道ですが、食べ物は美味しく、温泉も気持ち良かったです。何より、旅行中の髙田さんの親切な案内が嬉しかったです。


髙田さんは来年の1月に関東の若手俳句作家を集めた新年会を主催しているので、またそのときにお会い出来たら良いと思います。


最後に、髙田さんが8月下旬にご自身のブログで発表した連作50句「ふるさと」から、特に印象的な句を引きます。

 

黄金の鷹地に埋めてから孤独な着火

 

〈最高〉に額づけば釘と龍錆びに濁流消え

 

祝祭じみたビル内の擬声と膨らむサボテン

 

暑い寒村毒蛇干からび家具生まれ

 

錐のように美詩人踊り階下の海亀

 

土塊数えて俺らを〈ぼくら〉などと言わない

 

絹的な冬の時間のウィスキーにも広がる根

 

電球換え終え厠に確かなミッキーマウスの呼吸

 

自己愛を割けば菊の眩暈がビルの玩具

 

腐る地下水爪や鉄橋がのびるとき


髙田さんのブログ「愚人正機」→(http://guzinsyouki.blog.fc2.com

髙田さんの俳句50句連作「ふるさと」→(http://guzinsyouki.blog.fc2.com/blog-entry-41.html

 

【関連記事】

北海道旅行記 1日目 〜髙田獄舎さんと初めてお会いして、札幌でお酒を呑みまくりました〜
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/20/205644

 

北海道旅行記 2日目① 〜登別温泉へ行く〜
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/25/212851

 

北海道旅行記 2日目② 〜「地獄谷」をめぐり、「うる星やつら」について話しました〜
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/26/221432

 

北海道旅行記 3日目 〜さようなら、北海道!
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/29/155843

 

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美しかった札幌の夜景

 

8月の一句 初恋や遠くの空にいなびかり

 

・9月

 

1日 「海原」創刊

この日、『海原』が創刊されました。『海原』は、先に書いたように『海程』の後継誌です。

「海程」は1962年の創刊以来約56年間続いた俳句雑誌でしたが、昨年の5月金子兜太先生から終刊が発表されました。
また、当初は金子主宰ご自身も「海原」の創刊号を手に取られる予定でしたが、これも先に書いたようにそれが叶うことはなく今年の2月に98歳で亡くなられてしまいました。

 

金子先生の死後、今年の7月に「海程」は終刊号を迎え、その約56年の歴史に幕を下ろしました。

 

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『海程』終刊号

 

それから約2ヶ月経ち、安西篤さんの代表のもと「海原」の創刊号が出されました。
もちろん、「海程」の句会等でその存在は知っていましたが、やはり実物を見ると感慨深いものがありました。

 

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『海原』創刊号

 

そして、これもこのブログで何度か書いていることですが、私は「海程」時代、句会に俳句を送ることはあっても、「海程」の会員になることはしませんでした。さらに言えば、私が初めて「海程」の句会に出席したのが既に終刊が発表されたあとだったので、敢えて会員にはなりませんでした。

つまり、「海原」は私にとって初めて所属する俳句雑誌というわけです。先に書いた感慨深さのなかには、単に実物を見たという思いだけではなく、そのような思いも大きくありました。

 

『海原』は同人と会員(会友)とに分かれています。私は句歴そのものが短いので会友です。
会友には「海原集」というページがあり、会友の方たちの俳句が掲載されています。

「海原集」では、発行人の武田伸一さんの選により、上位30位までの会友が元々投句した5句のうち4句掲載されます。30位より下は3句掲載されます。
また、その上位30位までのうち、さらに武田さんが良いと思われた句は「好作三十句」のなかに選ばれ、1ページにまとめて掲載されます。
そして、そんな会友である私にとって、その創刊号で嬉しいことがありました。
その上位30位までのなかに私の句が選ばれたのです。
初めて俳句雑誌に投句をして、その5句のうち4句が掲載されたということは非常に驚きましたし、嬉しかったです。

また、「好句拾録」というコーナーに、その4句のうち1句が掲載されたことも嬉しかったです。
「好句拾録」は、そのタイトルの下にかっことじで「好作三十句を除く」と書かれているので、「好作三十句」の次点のようなものだと自分では捉えています。

「好句拾録」に掲載されたのは、

半分は薬のからだ 百合活ける

という句です。

『海原』の創刊号は、その創刊の事実以上に嬉しいことを私にもたらしてくれました。

 

※追記 その後、「好作三十句」には、第3号(11月号)に初めて選ばれ、最新号の第4号(12月号)でも続きました。また、創刊以来上位30位以内には入っています。どちらもとても嬉しく、このまま続いてほしいです。『海原』での直近の目標は、「海原集」の第1位です!

 

【関連記事】

「海原」創刊!→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/02/010031

 

9月の一句 猫じゃらし青信号ってつまらない

 

・10月

 

20日 「LOTUS」の句会に参加させていただきました

この日、俳句同人誌「LOTUS」の句会に参加させていただくため、王子まで行ってきました。

 

私が「LOTUS」の句会に参加させていただきたいと考えたのは、まず芝不器男俳句新人賞がきっかけでした。
今回の芝不器男俳句新人賞の受賞者のうち、城戸朱理奨励賞を受賞された表健太郎さんと西村我尼吾奨励賞を受賞された佐々木貴子さんはともに「LOTUS」の同人です。
また、前回、第4回の芝不器男俳句新人賞を受賞された曽根毅さんも「LOTUS」の同人です。
さらに第2回で齋藤愼爾奨励賞を受賞された九堂夜想(くどう・やそう)さんも「LOTUS」の同人です。

つまり、過去5回の大会の歴史のなかで、「LOTUS」に所属している俳句作家は多く賞に選ばれています。
もちろん、どこの結社・同人に所属しているかより、その個人の才能がどのようなものかが重要であることは承知です。しかし、こうした結果は意識せざるを得ないと思います。

こうした結果を受けて、、個人的に「LOTUS」への関心はとても高まりました。

 

また、そうした賞以外にも、そもそもの同人の皆さんの句風(特に、九堂夜想さんと酒卷英一郞さん)に惹かれたという理由もあります。

 

実際に私が句会に出したのは、以下の3句


言語野の
端ばかり見て
秋の暮

 

はらからの
そのははからの
波羅蜜多

 

枯尾花
或る辭失くして
揺れ止まぬ


同人のお一人であり、一行ではなく三行表記で俳句を書いている酒卷英一郞さんに倣って、三行表記の句を投句しました。

 

そして、この3句のうち「言語野」の句を酒卷さんに選んでいただき、最高得点タイもいただけて非常に嬉しかったです。

 

三行表記の俳句は実際に書いてみて思った以上に楽しかったので、これからも参加しようと思います。

 

【関連記事】

「LOTUS」の句会に行ってきました!
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/10/21/233216

 

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九堂夜想さん(右)と私

 

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酒卷英一郞さんと私

 

10月の一句
言語野の
端ばかり見て
秋の暮

 

・11月

 

7日 間村俊一さんの装幀展に行ってきました

以前から憧れていた装幀家であり、俳句作家でもある間村俊一さんの装幀展「ボヴァリー夫人の庭」へ根岸まで行ってきました。
会場は古民家を改装したギャラリー。そのなかには間村さんが装幀された本がズラッと並んでいました。

また、この展覧会では、展示の他に「三つ巴バトルトークと称された鼎談も行われていました。
私が観に行った日には、俳句作家の小澤實さん(結社「澤」主宰)と、詩人・俳句作家の高橋睦郎さんと間村さんの鼎談でした。貴重な話がたくさん聞けて良かったです。間村さんから著書に揮毫もしていただきました。

 

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鼎談の様子。左から 小澤さん、高橋さん、間村さん。

 

【関連記事】

間村俊一さんの装幀展「ボヴァリー夫人の庭」に行ってきました!
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/11/10/120020


10日 「詩客」への原稿執筆

10月の「LOTUS」の句会が縁で、九堂さんから「詩客(しきゃく)」という詩人の森川雅美さんが運営されているウェブサイトへの原稿の依頼をいただきました。タイトルこそ「俳句時評」となっているものの、九堂さんの「テーマはどんなものでも構いません」というお言葉に甘えて、以前から好きだった俳句作家・大原テルカズについて書きました。もともとこのブログに書いた文章を大幅に書き変えたものです。句歴の浅い私にこのようなご依頼をいただき、非常に嬉しかったです。

 

【関連記事】

俳句時評 第103回 大原テルカズの行方
https://blog.goo.ne.jp/sikyakuhaiku/e/75a5a51723af535b6a4432c8534a525e

 

11月の一句 少年は迷路に夢中三島の忌

 

・12月

 

31日 俳句四季新人賞応募

あっという間に今年も終わりです。こうして書いてみると、随分と色んなことがありました。

そして、現在は12月31日に締め切りの俳句四季新人賞への応募作品を推敲しています。


この賞は、年齢制限45歳以下、あるいは句歴10年以内の人が応募対象になっています。また、総句数30句に表題を付けて応募しますが、3年以内の既発表作は応募可能です。

 

私の場合、俳句を書き始めてちょうど2年なので、全句既発表作でも応募は出来るのですが、やはり下手な句が多く、うんうん唸りながら新しく句を書いています・・・(^-^;)

 

推敲していて特に印象的なのは、7月に応募した石田波郷新人賞との難易度の違いです。石田波郷新人賞は未発表作20句、俳句四季新人賞は未発表作・既発表作含めて30句なので、正直「難易度にそこまで差は無いだろう」と考えていました。

 

甘かった・・・(笑)

 

句数が10句増えただけで、「こんなに句を揃えるのが難しくなるのか」と感じました。

 

でも、句数30句自体は揃っているので、あとは締め切りまで粘って良い作品を完成させたいです。そして受賞したいです。

 

来年の目標

 

こんな感じで、俳句四季新人賞の推敲に追われながら俳句2年目の日を迎えています。

 

最後に、来年の目標を。。本当はこういうものを考えることは苦手なのですが・・・(笑)


今年は齋藤愼爾さん、高田獄舎さん、「LOTUS」の皆さん、小澤實さんが主宰を務められる「澤」の皆さん等と初めてお会い出来た年でした。なので、来年からもこうした新しい出会いを増やしていきたいです。そして様々な方から刺激を受けたいです。具体的には、来年の1月に髙田さんが主催される新年会がそうした場になれば良いと思います。

 

また、「LOTUS」の酒卷英一郞さんとお会いしたことで自分の俳句表現のなかに新しく三行表記が加わったので、来年からは一行表記(口語体・現代仮名遣い)と三行表記(文語体・旧仮名遣い)とを合わせて、「自分の俳句」について考えていきたいです。

 

確か「LOTUS」のどなたかから「真逆だね(笑)」と仰られましたが、その通りだと思います(笑)

 

そして!なによりいま推敲している俳句四季新人賞を受賞したいと思います

 

 

というわけで、来年もよろしくお願いします(*^▽^*)

 

俳句を書きはじめて二年になりました① ~1月から4月まで~

こんばんは。

 

今日で俳句を書きはじめてから2年になりました。

 

今年は俳句に関して、去年よりずっと多くの出来事があった年でした。

 

それを、月毎に振り返ってみたいと思います (*^_^*) まずは1月から4月まで。

 

・1月

 

20日 芝不器男俳句新人賞応募

既発表作・未発表作は問わないとは言え、計100句を1つの作品としてまとめるということは、いままで自分が体験したことのないことでした。

 

芝不器男俳句新人賞公式サイト→(http://fukiosho.org/

 

1月の一句 太陽系一列にして独楽澄めり


・2月

 

20日 金子兜太先生逝去

私がいま所属している結社「海原」(代表・安西篤)の前進にあたる結社「海程」の主宰を長年務めておられた金子兜太先生がこの日亡くなられました。享年98歳。
その報せを聞いたときはショックでしたが、いまは「海原」代表の安西篤さん、編集人の堀之内長一さん、発行人の武田伸一さんをはじめとした同人・会員の皆さんに支えられ、「自分らしい俳句とは何か」ということを前向きに考えられるようになっています。

 

24日 子連れ句会に参加

結社「炎環」の同人である西川火尖(にしかわ・かせん)さんが主催されている「子連れ句会」に参加させていただきました。会場の公民館の場所が分からず遅刻し、その上西川さんに迎えに来ていただくといった体たらくを演じましたが、句会は盛り上がって良かったです。
子ども(もしくは赤ちゃん)のパワーが凄まじいので、こちらもそれに負けないようなパワー(具体的には声のハリ)が必要になった句会でした。

 

【関連記事】

「子連れ句会」に行ってきました!
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/07/015645

 

「子連れ句会」について書いてある西川さんのブログ記事
http://syuuu.blog63.fc2.com/blog-entry-1202.html?sp

 

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「子連れ句会」の様子。

 

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畳の上にはプラレールの線路が散乱しています(笑)

 

2月の一句 捺印のだんだんうすくなり春だ

 

・3月

 

2日 金子先生の告別式

この日、金子先生の告別式に参加させていただきました。会場は熊谷市にある「メモリアル彩雲」。
私は、遂に生前の金子先生とお会いすることが叶いませんでした。そのため、棺のなかにいらっしゃる金子先生が、私が初めてお会いした先生のお姿でした。
柩のなかとは言え、金子先生にご挨拶出来て良かったと思います。

 

31日 お花見&芝不器男俳句新人賞一次選考通過を知る

この日は先に書いた「子連れ句会」の西川さんをはじめとして、他の「炎環」の皆さんや、西川さんのご友人の皆さんが集まり、代々木公園で「お花見句会」が開催されました。・・・と言っても、「句会」とは名ばかりで実際は単なるお花見でしたが(笑)

 

そして、そのうちの何名かは芝不器男俳句新人賞に応募していました。そのため、一次選考通過作品が発表されるまでのお花見の席は和気藹々としながらもどこか緊張感のある不思議な雰囲気が漂っていました。

午後1時を少し過ぎたくらいのことでした。

私はそのとき、お花見のトイレ待ちの列にいました。お花見のトイレが混むことはある程度覚悟していましたが、やはり代々木公園は広く、その列は予想以上のものでした。
手持ち無沙汰で待っているのもつまらないと思っていたとき、ふと「一次選考通過の作品ってもう発表されているのかな」と気付き、スマホを開いてみました。

そして・・・全応募作品140作品(過去最多でした)のうち、一次選考を通過した34作品に、自分の受付番号78番を見つけました。

思わず声を上げそうになりました。そのあと、お花見の場所へ戻り西川さんをはじめとした皆さんに通過したことを伝えると、皆さんから「おめでとう!」と言っていただけました。

まさか自分の作品が一次選考を通過するなんて思っていなかったので、とても驚きました。

 

3月の一句 白梅や柩の窓の涙跡

 

・4月

 

14日 芝不器男俳句新人賞各賞決定

この日、一次選考を通過した芝不器男俳句新人賞の最終選考会が荒川区のホールで公開で行われました。そして、最終結果が以下のように発表されました。

第5回芝不器男俳句新人賞
受付番号58番 生駒大祐

城戸朱理(きど・しゅり)奨励賞
38番 表健太郎

齋藤愼爾(さいとう・しんじ)奨励賞
1番 菅原慎矢

対馬康子奨励賞
105番 堀下翔

中村和弘奨励賞
13番 松本てふこ

西村我尼吾(にしむら・がにあ)奨励賞
45番 佐々木貴

関悦史特別賞
71番 白川走を(一次選考非通過作品)

・・・というワケで、私は最終選考で落とされました。

ちなみに、私はこの最終選考会には用事があって行けなかったのですが、実際に行かれたTwitterのフォロワーの方から、それぞれの審査員が誰の応募作品について評していたのか教えていただきました。
そして、そのなかで城戸朱理さんが私の作品について評されていたそうです。曰く「現代を生きる感覚。まだ自己の確証がないまま世界を見つめている。」とのこと。

今を生きる感覚は、肯定的な評だと思っています。それを意識して書いたので、このことが城戸さんに伝わったのは良かったです。
また、自己の確証の無さは、口語体への確証の無さとイコールだと考えています。自分らしい口語体の俳句を書こうとしましたが、結果的に上手く行きませんでした。
言ってみれば、自分がいままで文語体で書いていた世界観と新しく試した口語体の世界観との間に宙ぶらりんになってしまったのだと思います。

・・・でも、語弊を承知で言いますが、落とされて良かったと思います。何故なら、やはり自分が応募した作品は、自分らしさが感じられるものではなかったからです。

一次選考を通過したときから、自分で自分らしさが感じられない俳句を、自分の俳句として捉えられてしまうことに少し怖さを感じていました。例えるなら、ブカブカの服を着せられているような感覚です。

それが、こうして最終結果が発表されたいま、その服を脱いで、自分の俳句とは何か、もう一度ゼロから考えたいです。

だから、繰り返すように今回は落とされて良かったと思っていますが、次回以降は賞を獲りたいです。次回まで4年の時間がありながら、もしまた今回のように「自分らしさが感じられない俳句だった」と言うのなら、それはみっともないです。
それから、今回辿り着けた「一次選考通過」というラインは、次回以降も維持したいと考えています。
強がりではなく、今回の芝不器男俳句新人賞の最終選考落選は、これからの「自分らしい俳句」を考える上での大きなきっかけになったと思います。

 

【関連記事】

芝不器男俳句新人賞について① ~私が賞について考えたこと~→
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/15/124205

 

芝不器男俳句新人賞について② ~各賞受賞作の感想・前編~

 

第5回芝不器男俳句新人賞 受付番号58番 生駒大祐
城戸朱理奨励賞 38番 表健太郎
齋藤愼爾奨励賞 1番 菅原慎矢

 

の各賞の感想です→
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/28/135124

 

芝不器男俳句新人賞について③ ~各賞受賞作の感想・後編~

 

対馬康子奨励賞 105番 堀下翔
中村和弘奨励賞 13番 松本てふこ
西村我尼吾奨励賞 45番 佐々木貴
関悦史特別賞 71番 田中惣一郎

 

の各賞の感想です→
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/30/005558

 

23日 齋藤愼爾さんとお会いしました

この日、日頃からお世話になっている俳句作家・歌人藤原龍一郎さんが機会を与えてくださり、憧れの俳句作家である齋藤愼爾さんとお会いすることが出来ました。


齋藤さんは1939年8月生まれ。来年の誕生日で79歳を迎えられます。しかし、そんな年齢から受ける印象とは全く違い、現在の「俳壇」への批判を鋭くお話しされていました。また、その博覧強記ぶりにも驚きました。


齋藤さんへの私の思いはいくら語ってもきりがないので(笑)、あとは下のブログ記事を読んでいただければと思います。

最後に、『齋藤愼爾全句集』から私が好きな10句を載せます。とにかくその世界観に圧倒されてほしいです。

 

ががんぼの一肢が栞卒業す

 

籾降らし降らし晩年泣かぬ父

 

遠火事や童話の終はりに王子の死

 

少年の髪白みゆく櫻狩

 

春を病む屏風の山河に囲まれて

 

法師蝉血より冷たく泉澄む

 

梟や闇のはじめは白に似て

 

向日葵の金のふちどり廃鉱史

 

吃音や枝の先まで梅の花

 

一人より二人は淡し白芒

 

【関連記事】

https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/05/01/054142

 

改めて齋藤愼爾さん、藤原龍一郎さんにお礼を申し上げたいです。

 

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齋藤愼爾さんと私

 

4月の一句 桃の花アッチョンブリケという語感

 

以上、1月から4月度までを振り返ってみました。次回は少し飛んで、7月から12月までを振り返ります。いま応募作品を推敲している俳句の賞についても書くつもりです。