石田波郷新人賞について考えたこと
こんばんは。
昨日、我が家に『石田波郷俳句大会 第10回 作品集』が送られてきました。
石田波郷俳句大会というのは、俳句作家・石田波郷(1913〜1969)が胸膜炎のため1948年(35歳)より度々入所し、息を引き取った場所でもある国立東京療養所(現・東京病院)が清瀬市にあることに因み、2009年から清瀬市石田波郷俳句大会実行委員会の主催のもと開催されている大会です。
石田波郷俳句大会では、
・大賞
・清瀬市長賞
・角川『俳句』賞
・新人賞(準賞・大山雅由記念奨励賞)
・ジュニアの部
・一般の部
の6つに分けて、それぞれの賞や部門で俳句を募集をしています。
石田波郷俳句大会公式サイト→(http://city.kiyose.lg.jp/s055/020/010/070/20140919091641.html)
石田波郷新人賞公式ブログ→(http://www.ishidahakyo-shinjinsho.com/?m=1)
私はそのなかの新人賞に今回応募しました。今回はそのことを中心に書いていきます。
新人賞の応募要項は
・応募資格は30歳以下であること
・未発表句20句に表題を付けて応募すること
というものです。
また、審査員は甲斐由紀子・岸本尚毅・齋藤朝比古・佐藤郁良の4名です。
7月30日が締め切りだったので、6月頃からおよそ1ヶ月半か2ヶ月くらいに渡り、句の推敲を行ったり並び順を整理したりしました。
しかし、結果を先に申し上げると、私は新人賞・準賞・大山雅由記念奨励賞のいずれも受賞出来ませんでした。
今回の石田波郷新人賞の各賞受賞作は以下の3作品です。
新人賞「まだ雪に」岩田奎
準賞「裏うつり」渡辺光
大山雅由記念・奨励賞「月面」日下部太河
また、作品集では選考の様子と、審査員による選評も収録されているのですが、それを読んで各賞を決める前段階の一次選考にも通過出来なかったことを知りました。
先に書いたように作品集が送られてきたのは昨日ですが、各賞の受賞者をはじめて知ったのは10月5日のことでした。
率直に言って、ものすごく悔しかったです。
以前、芝不器男俳句新人賞に応募したときの記事でも書きましたが、私は口語体(話し言葉)・現代仮名遣いを基調に俳句を書いています。
芝不器男俳句新人賞について書いた記事→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/04/15/124205)
それは、「俳句で口語体や現代仮名遣いを使う分、作者である私の思いも読者に伝わりやすいのではないか」という思いからです。
芝不器男俳句新人賞に応募したのは今年の1月中旬でしたが、それから石田波郷新人賞に応募した7月末までの約半年間、私のなかでその思いはさらに強くなっていました。
石田波郷新人賞に応募した20句は、そうした口語体も踏まえ、自分が理想とする俳句にベストを尽くしたという自負もありました。
それだけに、受賞したいという思いも、受賞出来なかったという悔しさも、芝不器男俳句新人賞のときより強かったです。
また・・・これは受賞出来なかった悔しさから感じた、冷静な意見ではないかも知れませんが、作品集を読んで石田波郷新人賞は全体として口語体の俳句を軽く見ているような印象を受けました。実際、石田波郷新人賞の各賞の受賞作は、いずれも文語体・旧仮名遣いの作品でした。
先に書いたように私は俳句に於ける口語体での表現を重要視していますが、全面的に文語体より口語体のほうが優れているとは思っていません。石田波郷新人賞の受賞作にも良いと思う句はありました。以下、そうした句を受賞作から5句ずつ引いていきます。
新人賞「まだ雪に」岩田奎
涅槃会やみなとはゆきのすぐ溶くる
うつし世を雲の流るる茅の輪かな
水羊羹風の谷中のどこか通夜
白式部手鏡は手を映さざる
まだ雪に気づかず起きてくる音か
準賞「裏うつり」渡辺光
ストローに関節のある立夏かな
台風一過創刊号のやうに空
溶けるまで漂ふを綿虫といふ
貼る前に糊乾きゆくかみなづき
ポケットにあるはずの鍵鳥帰る
大山雅由記念・奨励賞「月面」日下部太河
卒業や傷付け合つて舟と陸
短夜の花瓶あらあらしく光る
つとめてのピアノあかるし水蜜桃
いくばくかひかがみ汚す障子貼り
白鳥を置き去りにする一日かな
また、石田波郷新人賞を抜きにしても文語体・旧仮名遣いで書かれた良い句はたくさんあります。私自身も、俳句を書き始めた当初は文語体・旧仮名遣いを使っていました。
しかし、そのことを踏まえても、口語体の俳句を軽く見ているような印象は拭えませんでした。
それは、各賞の受賞作の何句かに、五七五の韻律や、文語体の格調に甘んじていると思った句があったからです。
例えば、
新人賞「まだ雪に」のなかの
合格を告げて上着の雪払ふ
準賞「裏うつり」のなかの
東京や団扇をこんなにも貰ひ
大山雅由記念・奨励賞「月面」の
蝶追つててのひらはつつましき花
届かざる手紙さまよふ花野かな
これらの句からは、そうした甘えを感じました。
「合格を」の句からは、多少のドラマ性、世界観の広がりがあると思いますが、「東京や」の句からは単なる日常を切り取っただけという印象を受けます。
また、その逆に「蝶追つて」「届かざる」の句からは、いかにも俳句的な美しさを想望していて、現実感が伝わってきませんでした。
また、現実感について話を広げると、作品集の冒頭には石田波郷の長男である石田修大による「俳句は生活そのもの」という文章が掲載されています。
やや暴論かも知れませんが、「俳句は生活そのもの」と述べるのであれば、文語体・旧仮名遣いによる俳句を書いた時点で「そのもの」と言い切ることとの乖離が生じていると思います。
繰り返すように、私は俳句に於ける口語体での表現を重要視していますが、自分のなかでその根拠となっているのは、宮崎斗士句集『そんな青』(六花書林 2014年)の栞に寄稿されている柳生正名「『おっぱい』という語感」のなかにある文章です。この文章のなかで柳生は、文語体を基調とする自身の俳句と、口語体を基調とする宮崎の俳句の違いについて以下のように述べています。
筆者自身(註・柳生)は文語を基調に作句しており、宮崎との違いがどこから出てくるのか、興味をそそられる。自己分析的に思い当たるのは、自らの文語志向の背景には、俳句を口語に象徴される日常世界と切り離した別世界として立ち上げたい、つまり満たされない日常からの逃避先として俳句世界を位置付けたい、という“厨二病”めいた欲求が存在するようだ。
「伝統」を標榜する俳人も、建前は日常の常住坐臥や、ありきたりの自然をリアルに詠む立場を強調するが、実際は日常から逃れ出て、例えば「花鳥諷詠」という理念に基づき再構成されたヴァーチャルな空間に遊ぶがごとき句を詠むケースが多くなかろうか。
この文章の特に2段落目は、私の「俳句は生活そのもの」という文章への違和感と殆ど同じことについて述べていると思います。
また、「俳句は生活そのもの」を体現している句の一つとして選ばれたのが、「東京や団扇をこんなにも貰ひ」だとすれば、そのことも問題です。
今回の石田波郷新人賞で全体的に感じたのは、「自分とは全く違うところで俳句を書いている人がいる」ということです。揶揄等ではなく、率直にそう思いました。また、次回に応募するかどうかは、かなり悩んでいます。
最後に、大げさに聞こえるかも知れませんが、今回の新人賞の結果を受けても私はこれからもこの社会で感じたことや考えたことを肉声として俳句に書いていきたいですし、そのために口語体で書いていきたいです。
診察記録 2018年10月
こんにちは。
10月の初めにブログを更新してから、忙しい日々が続いてなかなか新しい記事を書けていませんでした。
というワケで、1週間前の話ですが、10月3日(水)の埼玉医科大学病院の診察について書いていきます。
まず先生にお話ししたのは、「最近の連続する台風の接近で気圧が低くなり、頭痛や身体のダルさが多く起こるようになっている」ということ。
これについては、神経症の症状としての頭痛や身体のダルさとはまた違うものなので、ストレッチを勧められました。
寝る前に首筋や肩をほぐすと、少しは楽になるそうです。
診察の日から何回か行ってみましたが、確かに行わないよりすっきりと眠れました。
元々身体が硬いので、それを改善するためにもこの寝る前のストレッチは続けていこうと思います。
次にお話ししたのは、「睡眠導入剤の量を減らせないか」という相談。
というのも、最近スゴく眠い日が続いています。
これも台風の接近による低気圧が原因かも知れませんが、個人的には睡眠導入剤の量が1回2錠というのが多いためではないかと考えています。つまり、朝起きても薬が身体に残ってしまっていて、眠さが続いているんだと思います。
これについて先生は「確かに、どちらの理由も考えられると思う。それに、不眠から過眠気味になるのは、薬が効いているということ、つまり病気が良くなってきているということなので減らしても良いでしょう。」と仰いました。
ただし、「今回は実際に睡眠導入剤の量を減らすのではなく、前回と同じ1回2錠で睡眠導入剤を処方します。それで、次回までにどのくらい薬が余ったか報告してください。」とも仰いました。
その話を聞いたときは嬉しかったのですが、診察から1週間が過ぎた現在、率直に言って薬の量を減らすことは難しい状況です・・・。
何回か1錠で眠りに就こうと試しましたが、やはり眠れず2錠服んでいます。
まぁ、急に減薬して病気が悪いほうに向かってしまうよりは、現状を維持するほうが良いと前向きに考えるようにします。
先生が「薬を減らしても良いですよ」と仰ってくれたのと同時に、薬を減らすのを急かしてくれないことが救いになっています。
睡眠導入剤や抗不安剤も、焦らずとも少しずつ薬を減らしていけたら良いと思います。
最後に仕事の話。以前ブログにも書いたように、9月の初めから最寄りの駅に隣接するショッピングモールの清掃のアルバイトをしています。
仕事を始めて約1ヶ月になりますが、いまのところ目立った問題は無く続けられています。
その前に就いていた運送会社の事務の仕事は、始めてから約1ヶ月で人間関係で神経をすり減らした末に仕事に行けなくなり、無断欠勤を何日か続けた結果退職してしまったので、「1ヶ月目立った問題がなく続けられた」ということは自分のなかで1つの達成感があります。
そういうワケで、いまは抗不安剤こそ服んでいるものの、ストレス等が原因の心の不調はほとんどありません。嬉しく思います。
やがて仕事に慣れて、こうした状態がこれからも続いていけたら良いです。
ただ、そうである分、先にも書いた台風の低気圧による身体の不調がもどかしいです。(>_<)
まぁ、台風は季節的なものなので、なんとかやり過ごそうと思います・・・( ̄▽ ̄;)
今回はだいたいこんな感じの診察でした。というワケで、処方された薬の量は変わっていません。
現在の薬の状況です。
・頓服薬 ロラゼパム錠「サワイ」0.5mg 10回分
・頓服薬 「レキソタン錠」5mg 10回分
・睡眠導入剤 ブロチゾラム錠「サワイ」 0.25mg 1日2回(就寝前)
それから、今回は診察のあとに障害者手帳と障害者年金についての相談をしました。
医師の先生とは別の相談員の方に、自分がいままで疑問に思っていたことを丁寧に説明してもらえました。
このことについては次回の診察とも関係してきそうなので、次回の診察記録でまとめて書こうと思います。
木村リュウジの日々反省:月野ぽぽな「はつなつの上澄みとして母ねむる」(「海原」第2号)・・
「海原(KAIGEN)」第2号(2018・10月号、海原発行所)は、「海程全国大会 in 秩父 Final 」と題し、昨年7月に故・金子兜太の故郷秩父で開催された「海程」の最後の全国大会の様子に多くのページを割いている。
全国大会では現「海原」代表の安西篤が
「先生のご逝去を受けての大会、緊張としみじみとしたものを感じる。喪失感から立ち上がるエネルギーを感じる。一月号に『海原』の概要を、二・三月号に理念を載せた。①最短定型という詩形式への愛を、②『俳諧自由』の精神という『海程』の理念を踏襲していく。」
と挨拶した。その後、第1日目の第一次句会をはじめ、3日間のうち句会が3回も行われたというから、既に兜太の残したエネルギーは同人・会友に継承されているのではないかと愚生は考えてしまう。
また、宮崎斗士はこの全国大会を振り返り「ありがとう、秩父」という文章を寄稿している。一部引用したい。
私的には約二十年に渡って、俳句道場をはじめ何度となくお世話になった秩父。俳句道場も終わり、これで一段落かと思うと感慨深い。たくさんの思い出をありがとう、秩父。またふらっと訪ねてみたい、もちろん金子先生ご夫妻のお墓参りを兼ねて。バナナ持参で。
最後に、第一次句会での高点句を以下に挙げてゆきたい。
はつなつの上澄みとして母ねむる 月野ぽぽな
田を植えて遠流のごとく青むかな 松本勇二
妻そっくりだなぁ春の舌出し絡繰め 樽谷寛子
閑かさや青葉を軽く噛む感じ 遠山郁好
青田風空きっ腹ほどの帰心です 森 鈴
引力にかすかなる音昼蛍 金子斐子
草刈女水の韻(ひびき)を思慕しつつ 日高 玲
どこまでも荒野少年蚊帳を出て 鳥山由貴子
夏怒濤兜太の一輪車の轍 中野佑海
十薬は福島の使者夜も灯る 野口佐稔
田水湧く畳はみ出す子の手足 佐藤君子
青鮫よ万緑ちょうどいい重さ 茂里美絵
母ひとり男の貌で毛虫焼く 藤田敦子
青鮫の遺伝子どっと走り梅雨 山中葛子
北海道旅行記 3日目 〜さようなら、北海道!〜
こんにちは。
今回も8月28日(火)から8月30日(木)までの2泊3日の北海道旅行について書いていきます。
ちなみに、いままでの旅行記は下のそれぞれの記事をお読みください。
1日目
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/20/205644
2日目①
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/25/212851
2日目②
https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/26/221432
いままで3回に渡って(長い)書いてきた北海道旅行記も、今回が最終回です。
それでは、さっそく最終日の様子を振り返っていきたいと思います。(もしかしたら、朝食と朝風呂の順番が逆かも知れません・・・)
8月30日(木)
・朝食を食べに行く
・朝風呂に入る
・絶品「スノーロイヤル」
・さようなら、北海道!
・朝食を食べに行く
昨夜は夕食に美味しいバイキングを食べ、ビールとワインを呑みながら髙田さんと話したあとに就寝。
翌朝は特に二日酔いとかもなく、すっきり起きられました。
この日は最初に朝食を食べに行きます。前回の記事にも書きましたが、第一滝本館は夕食・朝食のどちらもバイキングでした。
昨夜の夕食では、海鮮が充実していたり、ステーキやラーメンもあったりと、全体的にガッツリとしたメニューが並んでいる印象を受けました。
しかし、この日の朝食ではデニッシュ等のパンも並んでいて、夕食よりはアッサリしたメニューが並んでいる印象を受けました。
デニッシュ。美味しかったです。
・朝風呂に入る
朝食を食べ終わったあとは、2人で朝風呂に入りました。ちなみに、前回の記事で「第一滝本館には地下にも浴場がある」といったことを書きましたが、それはこの朝風呂のときに髙田さんから教えてもらったことです。「知らないんですか? もったいない!」と言われてしまいました(笑)
地下のお風呂で印象的だったのはジャグジーバスです。強めのジャグジーに全身を刺激され、身体が癒されました。
髙田さんは「1年に1回はこの旅館に来て、俳句を書く疲れを取っている。この旅館に来なきゃ俳句なんて書けないですよ。」といったことを話していました。私は「1年に1回こういう素敵な旅館に行けるなんて羨ましいなぁ」と思いました。
その後、旅館をチェックアウトして、帰りはまた「わくわく号」で札幌駅まで向かいます。
正直、「わくわく号」での行きの会話はよく覚えているのですが、帰りの会話はあまり覚えていません・・・。もしかしたら寝てしまっていたかも知れません(笑)
・絶品「スノーロイヤル」
「わくわく号」が札幌に到着したのは11時頃。実は、この時点で私が札幌にいられるのはあと90分ほどでした。
新千歳空港を出発し羽田空港に着き、さらにそこから埼玉の最寄り駅に着くまでの時間を逆算するとそうなりました。仕方なかったのですが、やはり「もっと札幌にいたい。もっと北海道にいたい」という思いは強かったです。
そこで、髙田さんが最後に私に案内してくれた札幌のお店は「雪印パーラー」。札幌の街中にあります。
華やかなショーウィンドウ。色んな種類のパフェやスイーツがあります。
そして、このお店で私たちが食べたのが「スノーロイヤル」というアイスクリームです。
これが「スノーロイヤル」です。非常に高級感のある見た目ですが、それもそのはずで、この「スノーロイヤル」、1968年に北海道開拓100年を記念して来道した昭和天皇のために、宮内庁から雪印乳業(現・雪印メグミルク)に「最高のアイスクリームを作ってほしい」と依頼を受けて作られたものなのです。試作期間はじつに半年に及んだというから驚きです。
さて、その味ですが、非常に美味しかったです。クリームのまろやかさと、氷のきめ細やかさとが絶妙に合わさっているのを感じました。また、その口の中で甘さの余韻が長く残っていたことも印象的でした。
北海道旅行の最後に食べることが出来て良かったです。そして、もう一度北海道を訪れたときに食べてみたいと思いました。
「雪印パーラー」公式サイト→(http://www.snowbrand-p.co.jp/)
・さようなら、北海道!
「スノーロイヤル」を食べ終え、いよいよ札幌とお別れです。12時半頃の電車に乗り、40分くらいで新千歳空港に着きました。髙田さんとは途中の駅でお別れしました。
そうして新千歳空港に着き、予定より20分遅れて15時20分にAIR DO 26便で北海道を出発しました。さようなら、北海道!
雨が降っていた新千歳空港。(写真は私が乗った飛行機ではありません)
AIR DO 26便の機内に乗り込む人たち。
そして、出発が遅れた分到着も少し遅れ、16時40分頃に羽田空港に到着しました。
・・・というワケで、以上が2泊3日に渡って行ってきた北海道旅行でした。改めて北海道は良いところだと思いました。そして、この旅行記で何回も言っていますが、美味しい食べ物がいっぱいあるところだと思いました。
また、2泊3日、札幌と登別温泉を丁寧に案内してくれた髙田獄舎さんにも改めてお礼を言いたいです。本当にありがとうございました!
ご自身のTwitterでもツイートされていましたが、来年の1月に東京にいらっしゃるそうなので、またそのときにお会い出来たら良いと思います。
というワケで、全4回に渡って(長い!)書いてきた北海道旅行記もこれで終わりにします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!(*^▽^*)
・・・補足
これは書こうかどうか迷ったのですが、少しだけ。
この旅行から約1週間後の9月6日、北海道で大きな地震が起こりました。
このブログを書いている9月29日現在は復旧が進んでいるそうですが、地震が発生した当時は北海道の全地域が停電、新千歳空港も全便欠航という大きな被害が起こりました。
自分が約1週間前に訪れた場所がそのようになっているのは非常にショックでした。
髙田さんに安否を確認しましたが、無事だということで安心しました。
この旅行記のなかで、自分がこの北海道の地震に対して何か書こうとしましたが、観光客として2泊3日北海道を訪れただけに過ぎない自分がそうしたことを書くのも傲慢な気がしてやめました。
そうしたことを書かず、この旅行記から「北海道に行きたいな」と少しでも思ってもらえたら幸いです。
これで本当に北海道旅行記は終わりです。
北海道旅行旅行記 2日目② 〜「地獄谷」をめぐり、「うる星やつら」について話しました〜
こんばんは。
今回も8月28日(火)から8月30日(木)までの2泊3日の北海道旅行について書いていきます。
ちなみに、初日の様子については、以下の記事をお読みください→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/20/205644)
また、2日目の途中までの様子については、以下の記事をお読みください→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/25/212851)
今回は、2日目の夜に美味しかった夕食バイキングを食べ終えたからのことについて書いていきます。
8月29日(水) 夜
・とにかく広かった浴場
・温泉街と「地獄谷」の遊歩道へ行く
・お土産と、ビール、ワインを買う
・鬼に始まり鬼に終わった2日目
・とにかく広かった浴場
バイキングのあと、まず向かったのはお風呂でした。たぶん、バイキングを食べ終えて一度部屋に戻ってきてから、すぐに向かったと思います。
旅館に着いたときとは逆で、髙田さんは部屋のなかで待ち、私だけが浴場に行きました。
まず嬉しかったのは、第一滝本館の浴場は、ロビーでフェイスタオルとバスタオルとを貸してもらえること。
なので、持っていく荷物と言えばせいぜい財布かスマホくらい。もちろんそうした貴重品を入れるロッカーもあります。そんな感じで、とても身軽にお風呂まで行けることが良かったです。
ちなみに、一度浴場から出たらまたロビーに返却するので、例えば2回目のお風呂に入るときはまた新しいフェイスタオルとバスタオルを貸してもらえます。
浴場のドアを開けて、まず印象的だったのが浴場全体の広さ。
例えば関東の旅館にも大きな浴場があるところがありますが、第一滝本館の浴場は正直その倍以上に大きかったです。しかもその広さの浴場が地下にもあり、また浴場の隣にはプールも併設されていると知り驚きました。
私は、旅行の1日目で新千歳空港から札幌駅に向かうまでに電車の窓越しから見た広大な草原を思い出しました。「やはり北海道は広いなぁ」と思いました。
湯船に浸かって印象的だったのが、浴場のなかでも取り分け大きな湯船から登別温泉の「地獄谷」が一望出来たことです。
こちらのサイト(https://travel.biglobe.ne.jp/onsen/s_area/noboribetsu/01.html)によれば「地獄谷」とは、「約1万年前、笠山という山が噴火してできた爆裂火口の跡」で、「登別温泉で使用する温泉の約4分の3の源泉地」にもなっている場所です。
大きな湯船に取り付けられている大きな窓からは、茶色とグレーがむき出しになった岩肌を見ることが出来ます。
その取り分け大きな浴場のほかにも、色んな浴場に入りました。やはりお湯の効能が違うのか、湯船によって肌に受ける感触もそれぞれ違いました。
すっかり身体が温まり、着替えて部屋に戻りました。
部屋に戻ってから、最近の俳句の世界で気になっていることを雑談していました。(この2泊3日のうち、ずーっとそれをしてきたようなものですが 笑)
ちなみに、第一滝本館は「ご飲泉処」といって、温泉を飲めるスペースがあります。
「ご飲泉処」。
この蛇口から温泉が出てくる
左側が温泉、右側が水の蛇口
身体に良いらしいですが、髙田さん曰く「健康には良いけど、あんまり飲み過ぎると気分が悪くなる」とのこと。実際に飲んでみましたが、確かに身体のなかに硫黄が溜まる感じがして、1杯で終わりにしました。
・温泉街と「地獄谷」の遊歩道へ行く
そんなことをしているうちに、温泉街に行こう、それからそのまま「地獄谷」の遊歩道まで足を伸ばしてみようということになりました。
話は少し変わりますが、私が北海道についてまず感じたのは繰り返しているようにその広さなんですが、その他に涼しさも感じました。「8月下旬なのにこんなに涼しいのか!」と思いました。
まして、今年の夏に埼玉県熊谷市が観測史上最高気温となる41.1度を記録したので、熊谷市ではないにしろ私が住んでいる市は「日本でいちばん暑い都道府県」のなかにあることには変わりありません。なので、その涼しさはひとしおでした。
それで驚いたのが、北海道の人たちの薄着です。半袖のTシャツ1枚だったり、素足にサンダルを履いていたりして、いかに普段から生活しているだろうとは言え「寒くないのかな?」と思いました。(そう言えば、今回の旅行で髙田さんもずっと半袖のシャツを着ていました)
前置きが長くなってしまいましたが、それでも1日目・2日目と過ごしているとそんな私でも北海道の気温に慣れてきました。というワケで、お風呂上がりで身体が温まっていたこともあり、半袖のTシャツに薄いカーディガンを羽織り、ジーパンを履き、素足にサンダルを履いて温泉街に出てみました。
実際に外に出てみると、涼しさがちょうど良く感じられて良かったです。
まずは旅館のすぐそばの間欠泉へ。
地下から勢いよく湯気が吹き出してくる様子に圧巻されました。
次に温泉街のお土産屋へ。印象的だったのが、建物の造りがおしゃれだったお店が多かったこと。(写真を撮っておけば良かったです)
そんな感じで温泉街を歩いていたのですが、急に私の目の前に巨大な閻魔像が現れてびっくりしました。
髙田さんによればこれは「閻魔堂」と言い、毎年8月の最終土・日曜日に「地獄まつり」が開かれ、この閻魔像(正確には山車)が堂から出されて温泉街を練り歩くそうです。
「『閻魔堂』のなかに安置されているだけでも迫力があるのに、それが温泉街を練り歩くとなると大変な迫力なんだろうな・・・」と思いました。
「閻魔堂」の写真も撮り忘れてしまったのですが(ごめんなさい!)、こんな感じの像が温泉街のなかに安置されています。
(こちらのサイトから画像をお借りしました→http://noboribetsu-spa.jp/see_activitie/enmado/)
最初は温泉街でお土産を買うつもりでしたが、旅館にもお土産屋があることに気づいて結局温泉街ではお土産は買いませんでした。次に「地獄谷」の遊歩道へ向かいました。
遊歩道を歩いてしばらくすると、「地獄谷」のミニチュアを見つけました。私が旅館の大きな浴場から見た岩肌が、だいたいどのあたりにあるのか分かって興味深かったです。
ミニチュアの様子
遊歩道には、こんな大きな看板もありました。暗い夜道でもかなり目立っていました。
そして、これが「地獄谷」です。先ほどのミニチュアの写真と似ているのが分かると思います。柵の向こうからは硫黄の香りが漂っていました。
その後、遊歩道を伝って行けるいちばん高いところまで行き、私たちは「地獄谷」を後にしました。
思っていたより急な道程でもなく、お風呂のあとの夕涼みのようで気持ち良かったです。
・お土産と、ビール、ワインを買う
旅館に戻ってからはお土産屋へ。色々見た結果「じゃがポックル」をお土産に決めました。
ちなみに、髙田さんによれば北海道のお土産というといまでも熊の木彫りの彫刻が人気だそうです。
それから、お土産屋ではこんなビールを買いました。
プレミアムビール「鬼伝説」。そういえば、昨日のブログに書き忘れてしまいましたが、バスが登別温泉に差し掛かったとき、巨大な鬼の像が立っていました。高さ18m、重さは18tもあるそうです。
「地獄谷」があるということから、登別温泉は街中の至るところに鬼の像が置かれているらしいです。言わば登別温泉のシンボルです。
(こちらのサイトから画像をお借りしました→https://blogs.yahoo.co.jp/information_plaza2010/11423298.html)
この「鬼伝説」も、そんな鬼のイメージから生まれたビール。「レッドエール」という種類のビールで、味は黒ビールに近い感じがしました。
また、お土産屋ではビールと合わせて「滝本」という第一滝本館のオリジナルワインも買いました。すっきりしていて呑みやすかったです。
ただ、開封方法がフタではなくコルクだったので、慌てて髙田さんがフロントまでコルクを借りに行くということも起こりました。(こうして振り返ってみると、オレは髙田さんに働かせ過ぎですね。しっかりしろよと思います・・・)
・鬼に始まり鬼に終わった2日目
ビールとワインを呑みながら、ここで旅行以来初めて、俳句についてでも、北海道についてでもない話で盛り上がりました。
それは映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(公開・1984年 監督・押井守)についての話です。
実は、髙田さんが旅行以前にTwitterで絶賛していたのを読んで私も観てみたのですが、とても面白かったです。ネタバレにならないように話しますが、タイトルからも分かるように「夢」をテーマにした映画です。
部屋で話した、映画に対するそれぞれの印象を思い出すままにあげると、
「全体的に画面の構図がエグい」
「映画終盤の『責任取ってね』というセリフの深さ」
「学園祭でのあたるのクラスの喫茶店の名前、それからメガネのコスプレのせいでNHKでは再放送されないんだ!」
「それぞれの登場人物のキャラクターが立っているので、観ていてとても楽しい」
「誰もが知っている浦島太郎の話から、ああいう風に話を広げるのはスゴいと思う」
「ラムちゃんが可愛い。想像していたよりずっと可愛いかった」
・・・等々がありました。Amazonから買えるので、まだ観ていないダーリンは早く観てみるっちゃ!
Amazonの URL→(https://www.amazon.co.jp/%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%892-%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC-DVD-%E5%B9%B3%E9%87%8E%E6%96%87/dp/B00006C1W0)
・・・そんな感じで、第一滝本館での夜は更けていきました。何時くらいに寝たかは覚えていませんが、たぶん髙田さんのご自宅で寝たときよりは早かったと思います。
というワケで、この日は登別温泉の入り口にあった巨大な鬼の像に始まり、ラムちゃんという鬼族の宇宙人に終わりました。つまり、鬼に始まり鬼に終わった北海道旅行2日目でした。
次回はいよいよ北海道最終日。朝食のバイキングや、北海道で最後に食べたロイヤルなアイスクリームについて書こうと思います (#⌒▽⌒#)
北海道旅行記 2日目① 〜登別温泉へ行く〜
こんばんは。
前回に引き続き、8月28日(火)から8月30日(木)までの、2泊3日の北海道旅行について書いていきます。
今日は2日目について。ちなみに、1日目の様子は前回の記事をお読みください m(_ _)m→(https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/20/205644)
・8月29日(水)
・死に体で迎えた朝
・スープカレーへの憧れ
・担担麺を食べることに
・「わくわく号」で旅館へ向かう
・旅館の夕食、まだまだ続く北海道旅行
・死に体で迎えた朝
前日に髙田さんから「死ぬまで呑みましょう。」と言われ、私たちは焼き鳥が美味しい居酒屋とカルパッチョが美味しい居酒屋をハシゴしました。さらにコンビニでビールを買い、髙田さんのご自宅でも深夜まで呑み続けました。
その結果、髙田さんの「死ぬまで呑みましょう。」という言葉が予言だったかのように、翌朝8時頃に目を覚ました私は死に体でした。頭が痛いし、全身の節々も痛かったです。
この日は登別温泉に行く予定でした。14時に、札幌駅から登別温泉にある旅館「第一滝本館」まで直通しているバスに乗ります。なので、その前の晩に「12時くらいに起きて、12時半くらいに家を出ましょう。」と2人で確認し合いました。
ところが、実際に朝が来てみると私だけが早く起きていました。それも先に書いたように、起きたは良いけど死に体でした。
そんな感じで8時頃から12時までの約4時間、私は布団のなかで寝たり起きたりを繰り返していました。
ちなみに途中、お手洗いをお借りしようと私が泊めていただいた部屋を出て、隣の部屋にいらっしゃる髙田さんをドアのガラス越しに見てみると爆睡していました。うらやましいと思いました。
やがて12時頃に髙田さんが起きてこられました。私が「おはようございます」の次に髙田さんに言ったのは「シャワーを貸していただいても良いですか?」ということでした。
先に書いたように、この日は札幌駅から登別温泉の旅館までバスで行くんですが、その道程が約2時間かかるんです。頭も体の節々も痛かったそのときの私は「こんな状態で2時間もバスに乗るなんてムリだ!」と思いました。
幸い、快くシャワーを貸してくださり、だいぶ死に体から解放されました。
12時半頃、髙田さんのお父さんが車を運転してくださり、札幌駅まで向かいます。ここで髙田さんのご自宅とはお別れです。一晩泊めていただきどうもありがとうございました!
・スープカレーへの憧れ
髙田さんのご自宅の最寄り駅から出発し、札幌駅に着いた頃には13時を少し過ぎていたと思います。
お昼時ということもあり、電車内での会話も自然と食べ物の話になります。何と言っても北海道は美味しい食べ物がいっぱいあるところですからね。
そんな会話のなかで、髙田さんが薦めてくれたのが札幌駅内の飲食店街にある「奥芝商店 実家」というスープカレーのお店。
「奥芝商店 実家」の食べログ→(https://s.tabelog.com/hokkaido/A0101/A010101/1055977/top_amp/)
私にとってスープカレーと言えば、「名前は聞いたことがあるけど食べたことがない」ものの一つでした。大泉洋がテレビでその魅力を盛んに喋っていたのがやけに印象的です。
大泉洋はともかく、髙田さんからスマホで見せてもらったそのお店のスープカレーはどれも美味しそうでした。そんな感じで、「今日のお昼はスープカレーを食べよう」と2人のなかで決まりました。
・担担麺を食べることに
札幌駅に着き、早速飲食店街に向かいます。しばらく進むと「奥芝商店 実家」はありました!・・・が、スゴい行列。人気店らしく、その列が途絶える気配はありません。正直私はかなりお腹が減っていたので、並んでまで食べる気力はありませんでした・・・。
というワケで、同じ飲食店街にあった「175°DENO担担麺」というお店へ行くことにしました。
「175°DENO担担麺」公式サイト→(https://www.175.co.jp/)
店名からも分かるように、担担麺のお店です。このお店の担担麺は刺激の強さが花椒の量によって
・シビれない
・シビれる
・すごくシビれる
の3つに分かれています。このお店も電車内での会話のなかで「美味しいよ」と話題にのぼっていました。
はじめに食券を買うシステムで、私は「黒ごま担担麺(汁あり)」の「シビれない」を注文。髙田さんは「黒ごま担担麺(汁なし)」の、確か「シビれる」か「すごくシビれる」のどちらかを注文していました。
私のもとに運ばれてきた「黒ごま担担麺(汁あり)」の「シビれない」がこちら。
美味しそうでしょう?美味しかったです。
上にはナッツものっています。ナッツがのっている担担麺というのはあまり見たことがなかったのですが、担担麺のスープの辛さとナッツのコクが不思議と合っていました。
正直、「せっかく札幌まで来たのに、『シビれる』を選んで辛くて食べられなかったらもったいない」と考えて「シビれない」を頼んだのですが、実際に食べてみると思っていたよりマイルドな味で「これなら『シビれる』も食べられるかも知れない」と思いました。また札幌に行くときに食べに行きたいお店です。
それから、「奥芝商店 実家」のスープカレーもいつか食べてみたいと思います!
・「わくわく号」で旅館へ向かう
担担麺に大満足したまま、私たちは登別温泉の旅館「第一滝本館」まで直通しているバスに乗ります。
ちなみに、そのバスの名前は「わくわく号」と言います。「5歳児が考えたみたいな名前ですね」と声に出してしまいました。
「わくわく号」に乗っていく
バスのなかでも髙田さんと様々な話をしましたが、特に印象的だったのが髙田さんの大学生当時のお話でした。
前回のブログでも書いたように、髙田さんは現在は札幌にお住まいですが、大学生当時は東京都内の大学に通っていました。
その大学生生活で、自分と同世代の俳句作家とお会いしたり、様々な句会に参加したりしたそうです。
私は、いままで「海原」(旧・海程)の句会のみに参加することを、半ば意識して続けていましたが、「それではいけない」と考え直しました。髙田さんのように、「海原」に限らず自分の興味のある俳句作家と会ったり、句会に参加したりすることの必要性を感じました。
(ちなみに、その第一歩として来月に「LOTUS」という同人誌の句会に参加します。その様子もブログにあげる予定です。お楽しみに〜)
そんな感じで、途中一度サービスエリアでの休憩をはさみ、「わくわく号」は約2時間後の14時に「第一滝本館」に到着しました。
「第一滝本館」公式サイト→(https://takimotokan.co.jp/)
バスを降りてまず感じたのが硫黄の匂いです。上の写真の右側に写っている滝は、実は温泉が流れています。「登別温泉に来た」という思いが高まっていきます。
そしてこれが旅館のロビーです。広かったです。髙田さんが2人分のチェックインをされている間することもなかったので、この高い天井をただただボーッと眺めていました(笑)
部屋の鍵が思った以上に開けるのが難しいというハプニングもありましたが(フロントの方に直接訊いて開けられるようになりました)、私たちが泊まった部屋は広々とした洋室でした。大きな窓からは、旅館の中庭を見下ろすことも出来ました。
きれいな中庭
髙田さんは部屋に少しいた後、浴場へ行きました。私は荷物の整理をしたかったので部屋に残ることにしました。
それから、浴衣に着替えようとも思いましたが、帯が思った以上に長く結びづらかったのでさっさと諦めて、家から持ってきた甚平に着替えてダラダラ過ごしていました。
しばらくすると髙田さんが部屋に帰ってきました。ちょうど夕食が始まる時間だったので、食堂へ行きました。
・旅館の夕食、まだまだ続く北海道旅行
第一滝本館での夕食・朝食はどちらもバイキング形式でした。旅行の前の打ち合わせで髙田さんからそのことを教えていただき、私はもちろん楽しみに感じていましたが、半面不安にも感じていました。
何故なら、私はバイキングでの盛り付けがとても下手だからです。友人と旅行に行っても、いつも目の前の友人がきれいに盛り付けたプレートを遠い目で眺めるだけでした・・・。
そんなワケで私のバイキングの写真はありませんが、食べたものは少し紹介しようと思います。まずはこちら。
いくら丼です。いくらはもちろん北海道産ですし、またお米も「ななつぼし」という北海道産のお米です。
口に含んだ瞬間、いくらがプチプチとはじけて大変美味しかったです。
また、いくらの他にも海鮮系のおかずは充実していました。それからラーメンやステーキ、竜田揚げもありました。デザートも豊富でした。
ちなみに、私の目の前の髙田さんのプレートはとてもきれいでした。
そんな感じで、お昼の担担麺に続き夕食も大満足で終わりました。
・・・とここまで書いて3614文字。
本当は夕食の後もようやく私が入ったお風呂のことや、旅館のそばの温泉街を回ったこと、間欠泉や登別温泉の「地獄谷」を回ったこと、部屋で映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」について語ったこと・・・等、書きたいことがまだまだあるのですが、それを書き進めてしまうとあと2000文字から3000文字は必要になってしまうでしょうから、今回はこのあたりでとりあえず終わりにしたいと思います。
楽しかった北海道旅行記はまだまだ続きます !(*^▽^*)
北海道旅行記 1日目 〜髙田獄舎さんと初めてお会いして、札幌でお酒を呑みまくりました〜
こんばんは。
少し前の話ですが、8月28日(火)から30日(木)までの2泊3日で北海道旅行に行ってきました!
本当は旅行から帰ってきた直後に感想を書きたかったのですが、それから約1週間後の9月6日(木)に北海道で大きな地震があり、なんとなく書きそびれてしまっていました。
というワケで、早速その2泊3日を振り返っていこうと思います。
まず、今回私を北海道旅行に誘っていただいたのは札幌在住のフォロワーさん・髙田獄舎さん。俳句や短歌を書かれています。
髙田さんのブログ「愚人正機」→(http://guzinsyouki.blog.fc2.com)
髙田さんの俳句50句連作「ふるさと」→(http://guzinsyouki.blog.fc2.com/blog-entry-41.html)
髙田さんから今年の5月初旬くらいに初めて北海道旅行の誘いを受け、8月上旬くらいまでにTwitterのDMで具体的なことを決めて行きました。
それでは、まずは1日目の様子を目次付きでどうぞ!
8月28日(火)
・出発
・髙田さんと合流、テレビ局のインタビューを受ける
・赤レンガ庁舎と札幌時計台
・「死ぬまで呑みましょう」
・札幌の夜景を一望する
・出発
今回私が羽田空港から乗った便は12時50分羽田空港発14時20分新千歳空港着・AIR DO23便です。
搭乗券
朝早くに埼玉の家を出て、羽田空港に到着します。「空港が混んでいたらどうしよう」等と考えた結果、出発時刻の2時間前までには空港に着いていました。どう考えても早過ぎました。
空港内の立ち食いそば屋でお昼を食べたあとは特にすることもなく、「北海道は寒いだろうな」と考えて用意したブルゾンと長袖Tシャツに早くも着替え、ひたすら出発時刻まで待ちました。
割と気に入っているTシャツ
出発時刻の約1時間くらい前には、手荷物検査を経て搭乗口に通されます。空港の大きな窓から自分の乗る機体が見えるとやはり興奮します。
55番搭乗口
窓から見えるAIR DO23便
12時50分、予定時刻通りに飛行機は出発。自由席だったので、私の席は3人掛け席の真ん中でした。
しかし、飛んでいる間に外の景色を眺めるという行為は自分が考えていた以上に気晴らしになっていたようで、フライト中はそれが出来なかったぶん、すこし窮屈な思いをしてしまいました・・・(^_^;)
そんなことがありながらも、飛行機は14時20分、これも予定時刻通りに新千歳空港に到着しました。生まれて初めて北海道にやってきました。
・髙田さんと合流、テレビ局のインタビューを受ける
その後、新千歳空港からさらに電車で40分ほどかけて札幌駅まで向かいます。途中、窓を流れる広々とした草原を見ているうちに「オレはいま北海道に来ているんだ・・・」という思いが強くなっていきます。
3時半頃、札幌駅で髙田さんと合流します。髙田さんの第一印象は、物静かで真面目そうな方でした。
札幌駅の構内でアイヌの生活の展示?をしていましたが、よく分からなかったのでスルーしてしまいました(苦笑)
アイヌの生活の展示。もっとよく見ておけば良かったかも知れない・・・。
ちなみに、札幌駅から北海道庁旧本庁舎(いわゆる赤レンガ庁舎)に行くために歩いていたのですが、途中でテレビ局からのインタビューを受けました。
質問は「ひと月にどれくらい本を読みますか?」というもので、髙田さんも私も「10冊から20冊くらい」と答えた・・・ような気がします。
相手はどこのテレビ局かも名乗らなかったので、どんな番組のインタビューかも分からなかったのですが、北海道に着いて初めての体験がテレビ局からのインタビューというのは、なんとも強烈な体験でした。
・赤レンガ庁舎と札幌時計台
程なくして赤レンガ庁舎に到着。
実際に見た赤レンガ庁舎は、写真で見るよりもレンガの重厚感があってずっと格好良かったです。2枚目の写真の屋根に見える赤い星も印象的でした。
赤レンガ庁舎の内部は、北海道庁舎として実際に使われていた頃の品々の展示から、明治時代の北海道の開拓史についての展示、北方領土についての展示、さらには北海道ゆかりの画家の絵の展示まで、北海道に関する事柄が幅広く展示してありました。内部の造りも、外から見たときと同じように重厚感のあるものでした。
赤レンガ庁舎のあとは、大通り公園を経て札幌時計台に進みます。大通り公園には何人もの人たちがベンチでくつろいでいました。
さて、これはご存知の方も多いかも知れませんが、札幌時計台は高層ビルに囲まれたなかに建っています。
そのため、なんとなく自然のなかに堂々と建っている様子を想像して実物を見ると、ガッカリしてしまうことが多いです。
しかもその日は改装工事中。ただでさえガッカリ度が高いのに、改装工事中ともなればそのガッカリ度には拍車がかかっているだろうと、ひねくれた期待をして時計台まで向かいます。
そうした期待を胸に、実際に見た札幌時計台がコレです。
・・・なんというか、非常に「ダメ」な感じがしますね。
改装工事のブルーシートに時計台の絵が描かれているのは「せめて時計台の感じを出そう」という施工者側の思いなんでしょうが、それが却って「ダメ」な感じを助長させていると思います。髙田さんと2人で「ダメですね」「ダメですね」とうなずき合いました・・・(笑)
・「死ぬまで呑みましょう」
札幌時計台のあとは、すすきの近くにある居酒屋さん「串鳥」で、少し早めのご飯を食べます。主に北海道内にお店がある居酒屋さんで、店名の通り焼き鳥が美味しいお店です。
「串鳥」の公式サイト→(https://kushidori.com/)
考えてみれば、3時半頃に髙田さんと合流してから、はじめて腰を落ち着けられた場所でした。お互いに俳句を書いているので、焼き鳥を食べお酒を呑みながら俳句についての色々な話題を話しました。
私が今年の7月末に応募した石田波郷新人賞の作品と、髙田さんの連作「ふるさと」とを見せ合ったりもしました。
「串鳥」を出たあとも、その隣にあったワインと海鮮がメインの居酒屋さんに行きます。(名前は忘れてしまいました)
ここのお店のカルパッチョはすごく美味しかったです。それから、ワインも色んな種類がありました。
大通り公園を歩いているときに、髙田さんから「今夜は死ぬまで呑みましょう」と言われたのですが、この2軒目のお店でそれが現実味を帯びてきたと思います。
「死ぬほど呑んでいる」途中の様子
2軒目を出たあとは、かなり酔いが回っていました。(ここから記憶も曖昧になっています)
・札幌の夜景を一望する
そのかなり酔いが回った状態で、JRタワーの展望台へと向かいました。たぶん、展望台の開館時間が終わってしまうギリギリで、どうにか間に合いました。
タワー38階、地上160mから眺める札幌の夜景はとても綺麗でした。繰り返すようにかなり酔いが回っていたので、「絶対あとで覚えていない」と思い写真を撮りまくりました(笑)
ちなみに、すすきので有名なニッカウヰスキーの大きな看板も写真に撮りました。
この日は髙田さんのご自宅へ泊めていただくことになっていたので、札幌からタクシーで髙田さんのご自宅まで向かいます。(既に終電は乗り過ごしていました)
それで・・・多分、そのタクシーに乗る前に、札幌駅の近くのコンビニでビールとポテチを買ったと思います。髙田さんのご自宅でビールを呑みながら深夜まで話した記憶があるので。
髙田さんはいくら酔いが回っても私のことを「リュウジ」などと呼び捨てにはしませんでしたが(されてもまったく構いません)、私と言えば髙田さんのご自宅に着く頃になると「獄舎〜」と呼び捨てにしていたと思います。単刀直入に言えばウザ絡みです。
翌朝髙田さんに謝罪し、髙田さんも「別に良いですよ」と言ってくれましたが、やはり思い返すと恥ずかしくなります・・・。
それからも午前の2時か3時まで話して、ようやく寝たと思います。
こんな感じで北海道旅行の1日目は終わりました。
2日目は札幌駅から専用のバスに乗り、2時間ほどかけて登別温泉まで行ったので、その様子を書いていきます。なるべく早めに更新するつもりなので、お楽しみに (^_^)